2024年3月2日(土) こよみと季節 その1
今年は、4年に1度、下図のように、2月が29日まであり、1年が366日となる珍しい年(閏年)で、次は4年後となる。下図は、ネットから引用。
この、2月29日に生まれる子供もいる訳で、誕生日のお祝いはどうするのだろうかと、他人事ながら、気になることだがーーーー。
閏年に因んで、暦と季節に関する話題について、何回かに分けて、とりあげることとし、今回は、その1として、暦法について触れる。
○暦法
暦法には、よく知られているように、以下がある。
・太陰歴 :月の運行に基づく暦法
・太陰太陽暦 :月と太陽の運行に基づく暦法
・太陽暦 :太陽の運行に基づく暦法
月や太陽の運行と季節を表す暦の間に、ずれが生じるため、それを、調整する必要があり、古来、多くの工夫が行われてきた。本稿では、太陰暦については割愛し、太陽暦(グレゴリオ歴)を中心に述べることとしたい。
○西洋での暦法
西洋では、以下のように、太古から、太陽暦が使われてきている。
・ユリウス歴 :太陽暦 ユリウス・カエサルによってBC45年に制定
・グレゴリオ歴:太陽暦 ローマ教皇グレゴリウス13世(下図)によって、ユリウス歴が改訂・制定され、15
82年(日本の江戸地代末期)から使用し、現在に至っている。
○日本での改暦
日本では、1873年(M6)に、江戸時代などに使われていた、太陰太陽暦(天保歴)から、太陽暦(グレゴリオ歴)に改暦され、現在に至っている。
明治の改暦の記述について、以下に引用。
(参照:明治改暦 - Wikipedia.html)
上述のように、
太陰太陽暦(天保歴)の明治5年12月2日に、この旧暦を廃止し、翌日の、明治5年12月3日を、太陽暦の明治6年1月1日としたようだ。
一夜にして、暦が29日も進んだ訳で、先行歴の区切りに合わせて改暦するのではなく、途中での改暦だけに、国内の混乱は大きかったという。
国内の混乱を前に、慶應義塾の福沢諭吉は、太陽暦の正当性を弁護する、下図の、「改暦辨」なる啓蒙書を発行した所、大いに売れて役だったようだ。 (参照:明治改暦)
このような、明治の先人達の苦労のお陰で現在があることを、忘れてはならない。
○太陽暦の精度
以下に、太陽暦の精度に関する記述を引用する。
(参照:ユリウス暦 - Wikipedia.html)
上述のように、ユリウス暦では、1280年に1日のずれが生じ、1280年後には、10日のずれとなる。
*グレゴリオ歴の精度
グレゴリオ歴では、暦のずれを調整するため、おおまかに言って、4年に一度、2月に閏日を入れることとなっている。
この閏日の挿入は、厳密には、400年に100回ではなく、97回となる。
これにより、グレゴリオ歴の精度は、下図のようになる。
(参照:グレゴリオ暦 - Wikipedia.html)
このように、400年で、約26秒ずれるだけとなる。
従って、紀元前4年に制定されたユリウス暦では、1582年時点では、約12日以上のずれが生じていたと思われる。このことが、グレゴリオ暦へ改暦された理由のようだ。
○閏のこと
古来、太陰太陽暦を使用してきた日本では、太陽の運行に基づく二十四節季でチェックしな
がら、月の運行と暦とのずれが多くなると、暦に、「閏月」を挿入してきている。
(参照;閏年 - Wikipedia.html)
閏月を入れる仕組みだが、以前の、月の運行に基づく太陰太陽暦では、季節の移行とのずれを調整するため、19年に7回(約3年に1回)、閏月を挿入したようだ。
明治5年に太陽暦に切り替わったが、直前の明治3年が、太陰太陽暦で最後となる、閏月が挿入されたようで、10月の後が、閏10月になっている。
(参照:閏月-Wikipedia)
歴史上、閏月が何度も挿入されたが、1900以降の事例が、ネットのサイトに出ている。でも、残念ながら、参照不可である。
松尾芭蕉の俳句に、閏月を詠んだ、以下のような、ユニークな句があるようだ。
正月も美濃と近江や閏月
この句を詠んだ状況が、いまいち不明なのだが、この句を詠んだのが正月の時期で、美濃から近江へ旅をしながら、違う土地で、続けて2回、正月を迎えるという、不思議な感慨を詠じたもの、と筆者は推測している。
松尾芭蕉のこの句の石碑(下図)は、美濃と近江の国境近くにあるようだ。
(参照:中山道 近江美濃の国境 html)
○2月29日
冒頭の閏日の誕生日については、平年には、1日繰り上げることが決まっていて、2月28日を誕生日とすることとなるようだ。(参照:年齢計算ニ関スル法律 - Wikipedia.html)
そうでないと、運転免許証が、4年延長されることとなる!?
語呂あわせで、2月28日を、下関が中心となって、魚のフグ(29)の日にしたり、富士山麓の富士急(229)ハイランドの日にしているようだ。