Quantcast
Channel: つれづれの記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 860

赤穂浪士

$
0
0

 2022年12月15日(木)  赤穂浪士

 

 

昨日の12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日で、赤穂浪士を取り上げた、多くの作品がある。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が有名で、浪曲もあるようだ。以前は、漫画などでも、読んだように思う。近頃は、討ち入りを知る人も少なくなったようだ。

筆者がよく覚えているのは、以下の「刃傷松の廊下」の歌である。

  「刃傷松の廊下」 作詞 藤間哲郎  作曲 桜田誠一  歌 真山一郎

この曲は、昭和36年(1961年)に発表されている。 

歌詞は以下で、刃傷沙汰迄の経過を歌っているのだが、途中、1番と2番の間、2番と3番の間に、セリフが入るのが特徴的である。

 

 

 

赤穂城主の浅野内匠頭長矩と、吉良上野介義央との間の、やり取りであるが、梶川殿とは、梶川与惣兵衛のことという。

 

 以前勤務していたNTT現役時代に、兵庫支社長をやったが、支社の管内に、赤穂電話局があり、何度か、行ったこともある。

赤穂は、往時は製塩業が盛んだった土地柄であるが、赤穂浪士を祀る下図の大石神社は、勤務時に、行ったことはあると思われるが、殆ど記憶にはない。

 

むしろ、下図の東京品川の泉岳寺には、切腹した赤穂浪士達の墓があり、行ったことを、よく覚えている。

 

 

演歌「刃傷松の廊下」は、赤穂に勤務した証となる、卒業歌というべき歌で、筆者は、カラオケなどで、何度か歌った記憶がある。とくに、セリフの部分には、熱が入ったものだ。

 

江戸時代には、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」で、主君の仇討ちとして、人口に膾炙し、よく知られたようだ。

5代将軍綱吉時代の事件だが、主君だけ切腹を命じられ、相手の吉良上野介のお咎めはなかった、という不合理に対する怒りと無念の思いが、庶民にはあったのだろうか。大石内蔵助以下の浪士達が、世間を欺きながら、主君の仇を討つ行動が、庶民には受けたのだろう。

往時は、絵本などもあり、47名の義士すべての名前を、諳んじている人もいた様だ。

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 860