2013年11月5日(火) 木を育てるー諏訪大社 御柱祭
過日行われた伊勢神宮の式年遷宮に関連して、当ブログで
式年遷宮 1 20年に一度 (2013/10/28)
式年遷宮 2 木を育てる (2013/10/31)
として取り上げたが、本稿は、前稿での、木を育てる の延長線上で、諏訪大社の式年祭 御柱祭について述べている。
信州の諏訪大社では、毎年行われる通常の神事・例祭の他に、6年間隔で(7年目ごとに)、伝統行事の式年祭である、御柱祭が行われている。近くの深い山中から、大木を伐り出し、何と、人力のみで、神社の境内まで曳き出して、柱を建てるという、勇壮な行事である。日本三大奇祭の一つと言われる程、ユニークな祭りだ。
諏訪大社には、諏訪湖を間にして、上社(本宮、前宮)、下社(春宮、秋宮)の4つの宮があり、それぞれの社殿の4隅に、巨大な柱が建っているが、これを、社殿と共に、定期的に建て変える神事が御柱祭だ。
最近では、平成10年寅年(1998年)、平成16年申年(2004年)、平成22年寅年(2010年)に行われ、次回は、3年後の平成28年申年(2016年)に行われる予定だ。20年毎の明治神宮の式年遷宮と比較すると、6年毎は、結構忙しいだろうか。
物の本などでは、この祭が、信濃国全域の行事として行われるようになったのは、1200年も前で、その後、式年祭として、絶えることなく続けられてきた、と伝えられているようだが、明確ではない。単純計算では、1200/6=200回という伝統があることとなる。
筆者は、残念ながら、この祭を、直接、見物したことは無いが、テレビ中継では、何度か、具に見ている。クライマックスの山下ろしでは、死傷者が出た、と言ったニュースも珍しくは無い。 又、前回の祭りの翌年だったと思うが、友人たちと、信州方面にドライブ旅行に行った時、この大社の上社、下社を訪れて参拝した事がある。その折り、神聖な柱に、触れたように記憶している。
この行事は、無形文化財として、色んな観点から、興味をそそられるわけだが、本稿では、自分として特に関心がある、柱に使われる用材について、述べる事としたい。
今年行われた伊勢神宮の式年遷宮では、社殿の建設等に、木曽山中のヒノキ材が使われたが、こちらの諏訪大社では、御柱にモミの木を使うという。
こちらでは、樹齢180年程になる、巨大なモミの木を伐採してつくる柱材が、上社、下社の4宮の4隅で、16本も必要となる訳だ。中でも、最も大きいとされる、上社本宮の一之御柱の場合は、平成22年の例では、根元の直径は1m程(目通りー外周寸法―3m程)、長さは18m程と言う。(後出の表)
やはり気になるのは、このような用材を如何に確保するのかということで、長期間、計画的に育成する必要があるのは言うまでも無い。
この祭りについて、ネットであれこれ調べると、木を切り出し、神社まで運び、境内に建てるまでのことについては、克明に記してある。でも、その木を採る山が、現在どこにあって、180年もの間、どのように育成管理しているのか、についての記述は、殆ど見当たらなかった。
しかし、あれこれ苦心しながら探した結果、漸くにして、最近の用材の伐採地について、凡そ、以下の様な事が、分って来た。
古来から平成4年迄は、上社用の用材は、八ヶ岳阿弥陀岳に連なる御小屋山(おこやさん 2136m)にある、神社の社有林から得て来たようで、周辺の地域には、現在も、社有林を育成管理する専門の作業集団「山作り」が住んでいるという。
一方、下社用の用材は、社有地ではなく、東俣国有林から、長年、有料で払い下げて貰って調達してきたようだ。
しかし、過去の、伊勢湾台風(1959年)の影響もあって、御小屋山の社有林の原木の枯渇が懸念され、暫く休ませる(焼け石に水?)必要があるということから、平成10年以降から、上社の用材伐採地を、他に求めたようだ。下表のように、平成10年は、下社と同じ東俣国有林から調達出来たものの、上社、下社間の対抗意識も強いこともあって、その後の上社については、下表のように、蓼科山麓の立科町町有林、蓼科山麓の国有林と、転々としているようだ。
次の平成28年は、どうなるのだろうか?
平成28年 平成22年 平成16年 平成10年 〜平成4年
上社用材伐採地 ? 立科町国有林 立科町町有林 東俣国有林 御小屋山社有林
下社用材伐採地 東俣国有林 東俣国有林 東俣国有林 東俣国有林 東俣国有林
伐採地地図 図右下に御小屋山
((上社、立科の蓼科山から御柱祭用材 前回に続き諏訪地方以外で - 御柱祭)から引用)
これに関して、名古屋大学の大学院生が、伝統行事での、用材の調達地を変える事の当事者の葛藤等について調査した論文が見つかった。(御用材をめぐる現状)
他にも関連する記事もあり、いずれにしても、用材の確保は、かなり、深刻な状況のようだ(「御柱の用材」《上社の御柱祭》)
過去には、樹種として、神木とも言われるモミの木でなく、カラマツや、ツガを使った時もあったようだ。
また、下表の上社用の柱の大きさを見ると、本宮1以外は、やや小ぶりな(樹齢が若い) 柱のようだ。(御柱祭アラカルト)
上社の御柱の外周寸法(目通り)
単位:センチメートル
平成22年
平成16年
平成10年
平成4年
昭和61年
昭和55年
2010年
2004年
1998年
1992年
1986年
1980年
本宮1
336
300
278
268
295
263
本宮2
275
290
262
230
258
243
本宮3
245
260
220
206
189
231
本宮4
244
247
213
191
176
221
前宮1
282
272
245
240
251
252
前宮2
257
270
233
214
209
242
前宮3
245
248
218
198
179
230
前宮4
233
242
197
183
165
217
伐採地
立科町
国有林
立科町
町有林
東俣
国有林
御小屋山
社有林
御小屋山
社有林
御小屋山
社有林
巨大なモミの御柱
伐採地が、神社に近い諏訪近郊でなく遠方の場合は、山下ろしのスタート点まで、トラックで運搬すると言う事にもなろう。
伝統行事である御柱祭としては、用材の
・大きさ
・伐採地
・樹種
は、毎回、近隣の山からモミの巨木を伐り出し、人手だけで里まで下ろして柱を建てるという作業を、伝統に則って、「そのまま」を行うのが理想だろうし、使う柱は、出来るだけ巨大なものが望まれるのは人情だろう。でも、現実に起こって来ている、資源の枯渇に対して、どのように対処していくのか、特に、当事者にとっては、極めて、重要なテーマであろう。
今後の状況によっては
・やや小ぶりな用材でよしとする
・伐採地が離れても仕方が無い(トラックで運搬)
・樹種はモミでなくとも我慢する
こともあるだろうか。
御柱祭は、伝統を守ると言うだけでなく、地域全体としても、今や、重要な観光資源であり、経済活動とも言えるであろうか。
祭りに関するPRや、テレビでの放映などは派手になる一方で、今後も、式年祭の人気は高まるだろう。
一方、肝心要の木だが、大きく育つまでには、文明が進んだこの時代でも、昔と殆ど変らない時間を要するのだ。前稿でも述べたことだが、このスピードの時代にあって、自然を相手に、180年もの間、どのようにして、山で木を育てるのか、ということだ。
いっそのこと、生長促進剤を使って時間を短くする、成長が早い熱帯で育てる、等は出来ない相談だろうか。
木がよく育つように面倒を見る作業自体は、そんなに難しいことでも、肉体的に苦しいことでもなく、言わば、単純作業の組み合わせと、繰り返しであろうか。
このような、祭りの裏方とも言える作業には、社会の関心もあまり向けられないことから、単純作業の省力化や、木登り等の危険な作業を減らす工具の開発等も、なかなか進まないように思える。
盛り上がるイベント人気と、地味な木(こ)育てとのギャップの大きさ、落差が、恐ろしく感じられる。
今や、我が国では、生活様式の変化や、石油化学による材料革命等で、木材や里山に依存して来た生活が大きく変わって来ている。建材としての木材の需要も大きく変わり、各種用材や燃料等として雑木等が使われなくなってきているなど、古来の木の文化が、急速に失われて来ている。
森林と人間との関係が、大きく変化してきている訳だ。
森や森林の役割として、各種用材を供給する(勿論、祭事用も含め)ことや、紙パルプの原料とすることに加えて、CO2を吸収する環境保全機能や、水資源を確保する保水林の役割等、今後はどうあるべきなのかを、改めて見直す時期に来ているだろうか。
これによって、我が国の林業や国産木材に対する、社会的な需要や要請が維持され、作業する人達のモチベーションが向上する事が、最後の決め手になるだろうか。
用材の調達難から、現在のような「そのまま」の形で、御柱祭を継続する事が出来ず、最悪の場合、そう遠くない将来に、この祭りを止めざるを得ない事態も起こりうるだろうか。或いは、前述したように、やや変化させて、継続する事になるだろうか。
いずれにしても、御柱祭がどうなって行くのかは、我が国の今後の国土の方向についての、大きな試金石の一つのようにも思える。
果たして御柱祭の、モミの木は「残る」 だろうか?!