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式年遷宮  1  20年に一度

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2013年10月28日(月) 式年遷宮 1 20年に一度

 

 

 今月初め、テレビ等でも、詳しく報道されたが、伊勢神宮の20年に一度の伝統行事である、式年遷宮の一連の日程が終了した。今回の行事に関連して、自分なりに情報を集めてみたが、その過程で、新たに知った事などについて、何回かに分けて、稿をまとめることにし、今回は、遷宮の意味や、周期について取り上げている。

 

 そもそも、伊勢神宮については、国の始まりに関する神話(古事記、日本書紀等)との関連も深く、祀られている神や、建立の時期や由来等について理解するのは容易ではなく(そこがいいのかもしれないが!)、又、国内の神社の中で、どのような位置(格付け)に在るのかについても、余り把握できていないが、以下のように言われている。 

 伊勢神宮には、二つの正宮があり、一つは、太陽を神格化したと言われる、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(通称 内宮)で、ご神体は、天皇を権威づける三種の神器の一つである、八咫鏡(やたのかがみ)と言われる。 もう一つは、衣食住の守り神である、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(通称 外宮)で、こちらもご神体は鏡というが、明確ではない。 

 伊勢神宮と天皇との関係については、皇室の祖神(氏神)である、天照大御神を祀ることから、皇室、朝低の権威との結びつきが強いと言われる。でも、過去に、天皇は参拝しない時期もあった、といった記述もある。(伊勢神宮 - Wikipedia)(なぜ昔の天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのですか | 歴史のQ&A【OKWave】

 又、神社の格付けについても、戦前は、別格扱いの特別な位置にあったと言うが、現在はどうなっているのか、調査不十分である。

 

 

 伊勢神宮が創建された後、天武天皇の時(天武天皇4年 685年)に、「遷宮」についての制度が定められ、第1回の式年遷宮の行事は、持統天皇4年(西暦690年)に行われた、とある。でも、20年後でなく、たった5年後に遷宮が行われたのは、何故だろうか?(神宮式年遷宮 - Wikipedia

 この遷宮は、第40回の後、戦国時代には、120年間以上も行われなかった時期があったり、延期されたこともあったようだが、20年周期で、ほぼ、きっちりと行われて来たようで、今年で、62回目を数えている。

 当初から江戸時代の少し前までは、遷宮は、内宮が先行し、外宮が、2年程遅らせて行われたようで、その後になって、同じ年に数日ずらして行うようになったようだ。

 

 このように、内宮、外宮それぞれで、遷宮を行っているのだが、行事の内容は、正殿は、現在の場所の隣に、そっくり同じ社殿を新築し、そこにご神体を移すというものだ。これと共に、関連施設や宝物類や装束等も、新たにつくり直すという、大変な作業である。

 準備作業は、8年も前から計画的に行われ、毎年、色々な行事があるようだ。

 そこに費やされる、資金や労役等の、エネルギーは凄いものだろう。 総事業費は、570億円と言われるが、これらの資金としては、宮内庁などの国の関与は不明だが、大半は、神宮本体や全国の信者等の寄付で賄われ、労力も氏子や信者のボランティアという。又、必要とされる用材の中の主要なものは、木曽の国有林から伐り出されたものを買い入れているようだ。 

 これらの詳細については、ここでは省略する。

 

 

 今年の遷宮の62回という回数は左程ではないが、年数にすれば、第1回以降、1300年以上も前から続いている、という、大変な年月なのである。

筆者には、殆ど休むことなく継続的に行われて来たという事が、先ず、驚きである。 

 

 世界は勿論のこと、我が国でも、建物や建造物には、世界最古の木造建築物と言われる法隆寺(推古14年(607年)創建)など、古いものも多数ある。 

でも、行事、イベントとして、絶えることなく、長い年月に亘って続いている、というのは、並大抵のことではないだけに、例は限られていよう。

 伊勢神宮の式年遷宮は、日本における伝統行事としては、最古で最大と言っても過言ではないだろう。世界的に見ても、このような例は、殆ど無いようだ。

 

 国内の他の例として思い浮かぶのは、以前、見物したことがあるが、毎年行われ早春の風物詩として著名な、奈良東大寺二月堂のお水取りがある。こちらは、平成13年(2001年)で1250回になるという、歴史と伝統があるようだ。(東大寺二月堂修二会) 

 又、比叡山延暦寺の法灯は、信長による焼打ちも乗り越えて、1200年間、灯し続けられているという話がある。ごくごく小さなイベントだが、担当僧が日課として、法灯用の菜種油を注ぎ足すという。毎日は面倒なので、つい、怠ったり忘れてしまうと、数日は持つものの、いずれは、灯が絶えてしまう事となる。ここから、油断大敵という、戒めの言葉が生まれたともーー。 

 最近、当ブログでも触れたオリンピックだが、規模は国際的だが、こちらは4年毎で、昨年のロンドン大会で、32回と、まだ110年と少しである。

 

 

 ここで、遷宮を行う理由を考えてみたい。 

     

      (画像はくらし☆解説「"遷宮"って何?」NHKから)

 

 遷宮を行うこと、しかも、20年毎に行うという理由については、色々の説があるようだ。(神宮式年遷宮 - Wikipedia)  

○第一に挙げられるのは、日本神道の、「常若」(とこわか)の精神だという。

 建物が古くなり、朽ちる事を忌み嫌い、常に若さを保つ、ということで、人間の基本的な願望でもあろう。これを実現するためには、石造りにする、等もあるだろう。 が、我が国の、森林が豊富で湿潤な土地柄という地勢的な理由から、木造にし、遷宮によって継続的に更新し、常に新鮮さを保ち、永続させるという考え方を採ったのだろうか。

 

○創建時の建物のイメージを保存するという意味もあるようだ。創建当初の社殿の建築様式は、神明造りと呼ばれるようだが、これを、そのまま、現在まで守っているという。

 筆者が驚いたのは、柱などの立て方である。縄文・弥生時代は、国内の多くの遺跡にあるように、土に穴を掘って柱を建てる、掘立(ほったて、ほりたて)という方法が、一般的だったようだ。

 その後、大陸から、礎石や土台を使う工法も入ってきたようだが、伊勢神宮がつくられたと見られる古代当時も、我が国では、この、掘立造りも多く使われたようだ。この掘立は、みすぼらしい建物という語感がある、ほったてごや(掘立小屋)と同じ語源であるのが面白い。

 

 木造建築の場合、建物の柱の下には、通常、土台となる礎石を置くのだが、今回改めて知ったのだが、神宮の正殿の柱は、土台を置かず、直接土の中に埋めるようだ。

 遷宮が始まった当時は、既に、柱の下に石を置く工法もあったようだが、敢えて、創建当初の掘立式にしている。 20年間程は、美しさを保つものの、その後放っておけば、次第に腐朽することを承知の上での、掘立式である。

○20年という周期は、宮大工の技術の継承という面でも、適当な期間だと言う。

 親子などの世代間での技術の継承には、20年周期だと、先ず、若い時に一度、遷宮を経験してやり方を覚え、その後長じて、棟梁などとして関与できるので、少なくとも2回は経験出来るようだ。

 建物や芸術作品等、各種文化遺産の保持や修復の技術やノウハウの伝承は、今後ますます困難を伴うと思われるが、定期的に複製しながら更新するという、式年遷宮形式にすることも、その解の一つと言えるかも知れない。

 


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