2015年12月22日(火) 夫婦別姓の最高裁判決
先日の12月16日、夫婦別姓と、再婚禁止期間についての上告審で、最高裁判決が示された。筆者が特に関心のある、前者の夫婦別姓について、ブログでも詳しく取り上げてきたのだが、最高裁大法廷の判断は、万が一と思っていた、想定外の「合憲」であった。
これまで、当ブログに
名前の話題 ―「姓」と「名」 (2015/11/30)
名前の話題 - 夫婦別姓 (2015/12/11)
を投稿してきたところだ。
最高裁判決の後も、マスコミでは、関連する話題が報道されているが、前稿と重複する事項は省略して、本稿では、判決のポイントについて、私見を述べることとしたい。
なお、判決文そのものは見ていないが、以下の、2件のNHK報道を参照・引用している。
①夫婦別姓認めない規定 合憲の初判断 最高裁 NHKニュース (2015/12/16)
②夫婦別姓認めない規定 合憲判断も5人が反対意見 NHKニュース (2015/12/16)
◎憲法判断:現民法の夫婦同姓制は、女性の人権を尊重していない?
憲法では、基本的人権の保障と両性の平等を謳っているが、民法の夫婦同姓の規定は、女性の人権を尊重しておらず、憲法違反ではないか、との訴えについて、判断が下された。
最高裁大法廷は15人の裁判官で構成されているが、多数意見と少数意見に分れたようだ。
◇多数意見:裁判官10人の多数意見は、以下と言う。
“「民法の規定は、夫婦がどちらの名字にするか当事者の話し合いに委ねていて、性別に基づく差別的な取り扱いを定めているわけではなく、規定自体に不平等があるわけではない」として、違憲ではない、という判断が示されました。”(②より 下線は筆者)
民法の規定では、夫婦同姓を強制しているものの、夫の姓にするようにとは決めておらず、どちらの姓にするかは、話し合いで選択できるので、憲法には違反していない、ということのようだ。姓を話し合いで自由に選択出来るので、性差別ではない、との最高裁の判断は、国側の主張を採用したものだろうか。 確かに、形式上ではその通りなのだが、規定だけを見た判断であろう。
◇少数意見:一方、残る5人の裁判官は、少数意見だが、憲法違反であるとしたようだ。中でも、3人の女性裁判官は以下のように、述べている。
“「女性の社会進出は著しく進み、結婚前の名字を使う合理性や必要性が増している。96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状は、女性の社会的、経済的な立場の弱さなどからもたらされている。妻の意思で夫の名字を選んだとしても、その決定過程には、現実の不平等と力関係が作用している」と指摘しました。
そのうえで、「多くの場合、女性のみが自己喪失感などの負担を負うことになり、両性の平等に立脚しているとはいえない。今の制度は結婚の成立に不合理な要件を課し、婚姻の自由を制約する」として、憲法違反だと結論づけました。” (②より 下線は筆者)
少数意見では、民法規定での形式的な選択の自由について、
妻の意思で夫の名字を選んだとしても、
とした上で、そうせざるを得ない理由や背景等について、
女性の社会的、経済的な立場の弱さ
その決定過程には、現実の不平等と力関係が作用している
として、「選択の自由」は、実質的には、制約されている、としている。
結婚時に、夫婦の姓を、制約なしに自由に選択した場合には、仮に、男女の数を同数とすれば、夫50%-妻50%あたりとなるのだろうか。 でも、少数意見にもあるように、実際には、結婚の96%もが、夫の姓を選んでいる実体がある。 この数字は、両性の自由意思で選んだ結果だ、とは言えないだろう。
日本の上流階級には、父系社会を基本にした、伝統的な家制度、家父長制があった。この、伝統的な家制度を護るために、婚姻は、本人の意思より、家と家との関係で決められてきた。
跡取りの男子が居る家の場合は、嫁取りを行っていて、この場合は、嫁は夫の家の姓となる。封建制下では、妻には、姓は無かったか、姓で呼ばれることは、無かったかも知れない。
男子が居ないなど特殊な家の場合だけ、婿取りが行われ、婿入りした夫は、妻の家の姓を名乗ることとなる。 このようなケースは、確率的に、可なり小さい数となろう。
このような伝統的な慣習の中で、男尊女卑が通念となり、女は家事や育児といった役割分担となり、女性の権利が抑圧され、社会進出が妨げられて来たと言えようか。
今年のNHKの、大河ドラマ「花燃ゆ」や、朝ドラ「あさが来た」の女主人公達が、時代の慣習に縛られながらも、生き生きとしているのは、極めて印象的である。
明治になって、民法が制定される時、初期には、夫婦別姓―多分、中国、韓国式のー、もあったようだが、夫婦同姓が戦前まで続き、戦後に改定された民法でも同姓制だが、はじめて、どちらの姓にするかを選べる表現になったという。(このあたり、調査不十分で情報不足)
②によれば、判決の最後に、寺田逸郎裁判長は、みずからの考えを補足意見として、以下のように述べたようだ。
“夫婦別姓の裁判について、「司法の場での審査の限界を超えており、民主主義的なプロセスにゆだねることがふさわしい解決だ」として、国会で議論されるべきだという考えを重ねて示しました。”
これは、司法判断を迫られた最高裁の、偽らざる本音と思われる。上述したように、表面的な規定でみる限りでは、現民法が、憲法に違反しているとすると、矛盾に陥ってしまうという、最高裁としては、苦しい状況なのだ。
日本における最高裁の違憲立法審査権については、下記記事
日本の安全保障 2 (2015/9/16)
で取り上げたように、日本の仕組みは、「付随的違憲審査制」と言われるようで、立法後の訴訟で、実際の損害等が立証されないと、違憲判断ができないという、やや、まどろっこしいものだ。
裁判長の意見のように、今回の事案は、まさに、立法の段階で、大いに議論して決めるべき事項で、ドイツ式の、「抽象的違憲審査制」であれば、法律の成立前に、司法の意見も聞ける仕組みとなるのだろうか。
◎夫婦同姓の合理性について
判決の後半では、現在の夫婦同姓制度に合理性があるか否かについて、見解を述べたようだ。(②より)
○現制度の合理性 1
“夫婦が同じ名字にする明治以来の制度は社会に定着しているとしたうえで、「家族を構成する個人が同一の名字を名乗ることで家族という1つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できる」として、制度には合理性があると認めました。”
この見解は、夫婦同姓制のメリットとしてよく言われていることで、国側の主張を取り入れたものと思われる。 合憲か否かの憲法判断ではないが、違憲とは言えない論拠の一つとして、制度に合理性があるとしているようだ。
○現制度の合理性 2
“一方、「名字を変える人にとってアイデンティティーの喪失感を抱いたり、社会的な信用や評価を維持することが難しくなったりするなどの不利益は否定できず、妻となる女性が不利益を受けることが多いだろう」として、制度にはデメリットがあることも認めました。 しかし、旧姓を通称として使うことが広まることによって不利益は一定程度緩和される。”
としている。これは、提訴側の主張である、制度のデメリットに理解を示した上で、国側の、旧姓の通称使用を持ち出して、不利益が緩和されるとしたものだ。
でも、これらの見解は、最高裁の職務とどう関係するものだろうか、やや不明だ。今回の裁判は、夫婦別姓が、合理的か合理的でないかを争っているのではなく、民法の規定が憲法に違反しているか否か、というものだからだ。
提訴した側からみれば、言う迄もなく、夫婦別姓制度は不合理なものなのは当然だ。
◎ 考察と今後の方向
○今回の判決で、最高裁の憲法判断とは、何を、どの様に判断するのか、考えさせられた。
*憲法に書いてある規定と、民法に書いてある規定との間に食い違いがないか
⇒話し合いで選択できるので、性差別や不平等ではない(多数意見)
*憲法の規定の背景にある思想、理念と、民法に書いてある規定や社会の実体との間に食い違いがないか
⇒女性の社会的地位の低さ等から、実質的に不平等がある(少数意見)
*民法の規定の合理性を述べているのは何のためか、何と比較した合理性か
⇒制度に、社会的な合理性があるということで、憲法で保障されている権利や平等が実現されている、ということだろうか。このこと で、違憲ではないと言えるのか、筆者には理解し難い。
○今後について
前稿では、以下のように述べた。 “若し万一、“現民法の規定は憲法に違反していない”、といった判決が出た場合は、“日本の人権意識や民主主義は、世界最低”と言うしかなく、憲法判断を行う最高裁の、存在意義が疑われるだろう。” 前述のように、筆者としては、我が国の最高裁の存在意義に、目下、疑念を抱いているところだ。 夫婦の「姓」の問題については、今後の国会での論議を俟ちたいところだが、どうやら、与党の「先生方」は、現状維持が多数派という! ここは、いつもながらで残念なのだが、外圧に弱い特技を生かして、国連勧告への対応や、来年の伊勢志摩サミットを切っ掛けにして、女性尊重や、女性パワーの活用の観点から、日本としての、明治以降で残されたソフト面の近代化の一つを進める、重要なチャンスでもあろうか。 ○前稿で触れた、結婚時の夫婦の姓について、以下の様な、ドイツのケースが思い浮かぶ。「結婚時の姓は話し合いで決める→決まらない時は夫の姓にする:憲法違反→夫婦別姓も選択可に」
日本の事案と類似しているので、機会を見て、じっくり調べてみたい。