2015年11月20日(金) 日本の安全保障 5
我が国の安全保障を巡っては、これまで、参院での騒動の中で、当ブログの記事
日本の安全保障 1 (2015/9/14)
で、安保法案の現憲法9条との関連や、国連憲章との関連等を見て、
日本の安全保障 2 (2015/9/16)
では、これらと密接に関連するテーマである、法案群に対する司法判断について触れてきた。
そして、法案が可決・成立後、
日本の安全保障 3 (2015/10/24)
で、憲法違反状態を解消し、本来のあるべき姿にするための、憲法改正問題を取り上げた。
更に、
日本の安全保障 4 (2015/10/27)
で、平和主義について取り上げている。
本稿では、シリーズの締めくくりとして、難解な課題だが、今後の我が国の姿と進むべき方向、等について、筆者なりに考察してみた。
◎ 憲法の規定と軍備の実体
◇現在の日本国憲法は、3本柱の理念の一つとして、国の安全保障に関して平和主義を掲げている。先稿のその1で取り上げたように、この平和主義のもと、憲法9条では、日本語としてすなおに読めば、戦争の放棄だけでなく、軍備も否定している、と理解するのが自然だろう。(この点、小・中学校等では、どの様に教えているのか気になるところだがーー。)
68年前に施行された憲法の規定を、「時代の流れの中で」あれこれと「理屈をつけて」解釈し、国連憲章等も援用して、自衛権までは否定されていない、として反対勢力を押し切って、自衛のためとする軍備を、「大変な苦労を重ねて」徐々に進めてきた、というのが、戦後日本の保守政治の歴史だろう。このようにして、この9月の、安保法制まで進んできている、と言う事だ。
混乱の中で成立した安保法制は既に公布され、来年3月には、施行される予定となっている。
◇ここで、憲法の規定と、軍備の実体との関係を整理すると、大まかに、以下の3つのケースになるだろうか。
憲法の規定 軍備の実体 備考
ケース1 軍備なし 軍備なし 規定と実体が一致 現平和憲法の精神
ケース2 軍備なし 軍備あり 規定と実体が乖離 現在の日本の状況
ケース3 軍備あり 軍備あり 規定と実体が一致 今後の日本の方向
これらについて、以下に考察してみたい。
●ケース1の考察:
争いや対立等のない「平和」な社会は、実現される事のない、人類の永遠の理想とも言える。
前稿のその4で、現憲法にある「平和主義」を取り上げている。
世界の多くの国は、憲法で、何らかの平和主義のスローガンを掲げているようだが、当然のことかもしれない。 平和主義の反対概念は、良くは分らないが、仮に、「闘争主義」、「暴力主義」、「軍国主義」、「富国強兵主義」などとすると、このような標語を、まともに掲げている国や組織は先ずないだろう。身近な暴力団でも、通常は、隠れ蓑を纏っているものだ。
肝心なのは、スローガンではなく、中身であり、どの様にして実現しようとしているか、実際の行動はどうなのか、である。
平和主義で最も気になる、軍備との関連を改めて考察したい。
純粋な平和主義は有り得るのだろうか。 周囲を全面的に信頼し、一切の軍備を持たない状態が純粋な平和主義と言えるが、前稿などでは、これを丸腰平和主義と形容した。
筆者としては、個人レベルから、国レベルまで、この丸腰平和主義は、現実には、存在するのは難しい、としている。ただし、宗教的な信条としては、可能であるかもしれないが、----。
そして、丸腰ではなく、己を護る自衛手段(軍隊など)を保有することと、平和主義とは相入れない、矛盾する姿勢ではないか、気になるところだ。 一方、自衛手段を持つことは、本来ある自衛権を具現化した、当然の姿勢という考えも有り、又、言葉が適切ではないが、必要悪と見る事も出来るだろう。拠って、矛盾しないとの自分なりの結論にしている。
国の政策・方針として、いずれにも与(くみ)しない、「中立」という立場があり、国際的にも認められているようだ。
最も著名なのは、150年もの以前から、永世中立を認められているスイスだが、どの国とも政治・経済的には連携せず、EUにも加盟していない。でも、徴兵制で、中規模の軍備を持っているようだ。(永世中立国 - Wikipedia )
スイスの憲法については未調査だが、平和主義を掲げているだろうか。中立をどの様に表現しているだろうか。また、軍備については、どの様に規定しているだろうか。
概念としては、スイスは武装中立の範疇になるが、軍備を持たない、非武装中立もあるだろう。これは、前述の丸腰平和主義で、実際には存在できないと思われる。
スイスの他、スエーデンやオーストリアも、中立に近い政策をとっているようだが、どの様に違うのか、歴史的な経過はどうなのだろうか。
戦後間もなくの1949年ごろ、マッカーサー元帥が、日本を、「太平洋のスイスたれ」と言ったことがあるという。この発言の真偽は不明だが、現憲法の字義通りの、非武装中立にする考えもあったのかもしれない。(1949-50年にかけて、日本の新聞雑誌に取り上げられたという、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカー... 等)
この夏に訪日した、ノルウエーの著名な平和学者、ガルトゥング博士は、以下のように述べていると言う。(積極的平和主義の提唱者、来日へ 「9条守ると主張を」:朝日新聞デジタル)
“博士は来日する目的をビデオメッセージに込めて、こう続けた。「私は、日本がこう主張するのを夢見てやまない。『欠点もあるが憲法9条を守っていく』『憲法9条が当たり前の世の中にしよう』『軍隊は持たず、外国の攻撃に備えることもない』『そして核兵器は持たない』と」”
博士の理解している憲法9条は、当初の日本語通りの、軍隊を持たない丸腰平和主義だろう。
ケース1は、博士の云う通り、現憲法の元々の精神ではあろうが、理想的な、シンボリックな位置づけであろう。
現実論として、我が国は、今となっては、逆戻りして、既成事実となった軍備を無くして、更地に戻すことは、不可能である。
ケース1について、日本では、筆者を含めて、様々な考え・見解があり、国論としても、纏まっていないと言える。
●ケース2の考察:
ケース2は、国の根幹となる憲法の規定と、安全保障の軍備の実体とが乖離している状況であり、終戦後から、現在まで続いている日本の姿だ。
国家を維持し、安全保障をすすめる事は、重要な問題だが、憲法を変えずに、憲法解釈という無理な理屈を積み重ねて、軍備を進めてきた訳だが、今後も、現在の状況のままで進むのだろうか。現実解としては、このまま進められる可能性も、可なり大きいだろうか。 憲法の規定と実体との乖離はそのままにして、形よりも、安全保障の実体を優先させる考えといえる。
先だっての国会騒動では、安保法制は憲法違反だ、と多くの専門家が指摘し、国民も、安保法制の合憲性を疑問視し、戦争へ繋がるのでは、との不安を持っているのは、周知のことだ。現政権は、理屈を捏ねて、数の力で、憲法違反ではないとして、押し切ってしまったのだ。あれ以来、安保法制は、見掛け上、「合憲」となった、ということだ。
昨日のニュースでは、この所、安保法制に関する政府のHPの閲覧回数が減って来ているので、国民の疑問に答える項目を追加した、という。
イギリスでは慣習法が知られているが、これは、規定が無く慣習が実体ということで、 日本での、規定と実体が乖離している状況を、慣習法で処理することはできないだろう。
◇歯止め
先の騒動では、作家の大江健三郎氏は、“戦後70年の平和主義が崩壊した”といったようだが、氏は、ケース1をイメージしているのだろうか。
世上言われているように、今回の安保法制によって、時代が逆行して以前の軍国主義に戻ったり、徴兵制の復活等に繋がること、はないだろう。 この場合の「歯止め」としては、国内では、戦後育ってきた、民主主義の価値観の一般化、人権意識の高まり、言論の自由・表現の自由の尊重、表現手段の多様化などがあり、国際的な各種の繋がりも、大きな自制力になるだろうか。
一方、逆説的だが、戦後の日本の行動では、憲法9条が、「目の上のたんこぶ」のように、ブレーキ役になり、自制的な行動を促してきた、とも言える。ガルトゥング博士の言葉にあるように、歯止めとして、憲法9条の積極的な存在意義もあるだろうか。
丸腰平和主義の憲法9条の思想は、言ってみれば、信仰の様な存在かも知れない。今回も含めた、戦後からの国会論議をみても、現憲法9条は、一つの理想像として、行動する規範・目標となり、自制力となっているのではないかとも言える。
乖離した状況は、決して望ましくは無いのだが、現実に妥協して諦めるのではなく、積極的に、このままでいい、という考えもあるかも知れない。
今回の安保法制では、自衛隊の海外派遣などを実行する場合は、国会の事前承認が必要となっているが、暴走を押さえる、何らかの歯止めとなるかも知れない。
ケース2についても、日本では、様々な考え・見解があり、国論としても、纏まっていないと言える。
●ケース3の考察:
ケース3は、現憲法を改正して、規定と実体とを一致させる方向で、道のりは険しくとも、立憲国家としての基本に立ち帰るため、憲法を改正して、国の安全保障を実現するのが正道であろう。立憲主義、法定主義の基本が問われるのである。
憲法の解釈運用で対処してきた、これまでの悪癖を正し、現在の安保法制を正常に戻すことである。分類上では、戦前の、旧憲法時と状況は同じだが、戦前の軍国主義に戻る訳ではない。
でも、このケース3を実現するのには、かなり大きな困難が予想される。
前稿のその3で述べたが、安全保障にかかわる必要な憲法改正を、政治課題として、実施することとなり、安全保障に関する各党の姿勢・見解が問われるところだ。
自民党の主張は明白で、憲法改正案も示されている。与党となっている公明党や、民主党等の各野党はどうなのだろうか。現憲法を改正しないのか、改正して正式に軍備を持つのか、国論が沸騰するだろうか。
状況や問題と向き合わず、正視しない日本人の悪い国民性については、当ブログで、何度か触れて来たところだが、こと、安全保障に関しても、同様だろうか。
参院の60日ルールと衆院での2/3以上で再可決して、安保法案を成立させる、という姑息な手段がある。これは、今回の騒動で、最悪の事態として想定されたものの、実際は行使されなかったルールだ。 これは、憲法改正の時にこそ、両院の2/3以上の賛成で可決する時に使うべき手段だろう。
現在の与党のほか、野党も加わって、憲法改正に取り組み、2/3以上の賛成で、発議することは、十分に可能であると考える。
18歳以上に選挙権が与えられる来年夏の参院選の、争点や結果が注目される。
これを受けて、憲法改正が発議され、国民投票に進めば、我が国としては、戦後最大の選択となるだろうか。
◇暴走の歯止め
憲法が改正され、ケース3になって、箍(たが)が外れると、軍事行動に歯止めが無くなり、暴走するのではとの危惧がある。
でも、現憲法9条が無くなっても、歯止めは利くだろうと考える。なぜなら、ケース2でも述べたように、国内では、戦後育ってきた、民主主義の価値観の一般化、人権意識の高まり、言論の自由・表現の自由の尊重、表現手段の多様化などがあり、国際的な各種の繋がりも、大きな歯止めになるだろうと考えるからである。
改正後の新憲法でも、正式な軍備は持ちつつも、現憲法9条の丸腰平和主義の精神を、飽くことなく追求する理想像として、歯止め役として、敢えて掲げる事もあるかも知れない。
ケース3についても、日本では、様々な考え・見解があり、国論としても、纏まっていないと言える。
◎日本の進むべき方向
◇国家安全保障戦略
今後の日本の進むべき方向だが、具体的なイメージとして、現政権が公開している
「国家安全保障戦略」
から引用したい。
「国家安全保障戦略」は、現政権の主張として、2013年に公開されたもので、米、英、韓などに倣って作成されたようだ。国家の基本戦略という最も重要な手の内を、敢えて公表したものだ。現憲法を改正して、正式に軍隊を保有していること(ケース3)が前提である。 (国家安全保障戦略について 国家安全保障戦略 - Wikipedia )
この『国家安全保障戦略』の第3頁に、「積極的平和主義」について、以下のように、明示されている。(積極的平和主義 - Wikipedia より)
“他方、現在、我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増していることや、我が国が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面していることに鑑みれば、国際協調主義の観点からも、より積極的な対応が不可欠となっている。
我が国の平和と安全は我が国一国では確保できず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で、国際社会の平和と安定のため一層積極的な役割を果たすことを期待している。
これらを踏まえ、我が国は、今後の安全保障環境の下で、平和国家としての歩みを引き続き堅持し、また、国際政治経済の主要プレーヤーとして、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、我が国の安全 及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく。このことこそが、我が国が掲げるべき国家安全保障の基本理念である。 — 国家安全保障戦略 、第II章1節 ”
◇理想とする国家
上記の表現は、良く見かけるものだが、具体的にどの様に行動するのかが、いまいち、よく見えない。 同じWikipediaサイトに、「理想とする国家」についてリストアップした、以下の記述があり、やや、具体的なので、これを以下に引用する。
ただし、このリストは、「国家安全保障戦略」のⅡ章をもとに作成されたもののようだが、文書自体の中には、見つからなかった。 なお、①等は、筆者が便宜的につけたもので、順序に意味は無い。(積極的平和主義 - Wikipedia より引用)
“理想とする国家
①専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならず、非核三原則を堅持する国家
②米国との同盟を維持し、米国以外のどの国とも協力関係を深め、決して孤立主義を採らない国家
③人間の安全保障の理念に立脚した低開発国への開発援助、環境破壊、エネルギー問題等の地球的規模の国際的課題に積極的に取り組む国家
④外国との貿易・投資関係は互恵関係を原則とし、一方的な経済的搾取は行わない国家
⑤国連憲章を遵守し、国連を始めとする国際機関と連携しその活動に積極的に寄与し、国連平和維持活動を含む国際平和協力活動に積極的に参加する国家
⑥戦争被爆国として、軍縮・大量破壊兵器不拡散に取り組み「核兵器のない世界」の実現に貢献する国家
⑦国際協調主義に基づき、国際社会の平和と安定のために積極的な役割を果たす国家
積極的平和主義は、上記のように専守防衛、非核三原則、軍縮、大量破壊兵器不拡散、国際平和協力活動などの平和国家の理想を引き続き追求する。
同時に、国家、アジア太平洋地域及び国際社会の平和・安定・繁栄を脅かす脅威に対し、国際協調主義に基づいて、外交、防衛を中心に金融管理、通商管理、出入国管理、検疫、医療、防災、警察、食料、資源・エネルギーなど関係当局を総合して体系的な政策を立案し対処しようとする複合的理念である。
『国家安全保障戦略』において、「積極的平和主義」の理念は「国際協調主義に基づく」という文言と必ずペアで用いられる概念であり、これにより一国行動主義的な運用の排除を行っている。” (引用終わり)
◇筆者のコメント
これらについて、筆者としてのコメントを、以下に述べたい。
①で、専守防衛を掲げ、軍事大国にならぬと公言しているのは、一つの姿勢で、自ら、力に訴えることはしないとしている。 でも、この時代、どの国も、建前としては、専守防衛を掲げ、その反対の姿勢を公言している国は無いだろう。口先だけでなく、自制させる歯止め・保障が大事で、それについては、先述しているところだ。
②では、孤立主義は取らないとする中で、特定国である、米国との同盟を、真っ先に強調しているのは、やや、特異だろうか。
最大の核兵器保有国である米国との軍事同盟によって、その核の傘と抑止力で護られている実体があることは、後述の⑥や、①にある、非核三原則との関連で、日本の立場を弱くしている面もある。 一方、核兵器を持たないドイツ、イタリア等は、NATOの下で、米、英、仏の核を、シェアするという位置づけである。
③の人間の安全保障の理念は、やや、ユニークな条項だが、前述の、ガルトング氏の思想も取り入れたものだろうか。これまで進めて来た途上国支援などは、日本の積極的平和主義の、大きな特徴の一つと言えるだろうか。 先ず他国を思うという姿勢は、「情けは人のためならず」に通じるであろうか。
④で、経済的活動で、互恵関係を重視し、搾取を否定しているのは、言わば、当然のことだが、やや、戦前や植民地時代を思わせる表現だ。現代は、もっと複雑で見えにくいだけに、特に、民間ベースの感覚では、通常の経済取引とどう異なるのか、実行上は区別しにくいだろうか。
⑤の、国連を中心とした、国際協調主義は、それ程の、強い力や資源等を持たない我が国としては当然のことであり、⑦とセットである。国連を改革し、常任理事国入りを目指しているが、現常任理事国の重要な既得権でもある拒否権をどうするかが、ポイントの一つだ。
⑥は、①の非核三原則と、セットになるものだろう。 核兵器に対する日本の姿勢は、積極的平和主義の、重要な特徴と言えるだろう。以前、佐藤首相にノーベル平和賞が授与されたのは、日本政府の、非核三原則などの姿勢が評価されたとも言われる。 更に、東日本大震災での深刻な原発事故の体験は、原子力の平和利用についての我が国の姿勢に、かなりの影響を与えるものだろう。
◇日本独自の道を求めて
このような、「国家安全保障戦略」を論じる場合、安全保障と憲法との関係が不安定な現在の状況(ケース2)を改め、ケース3を実現し、基盤を安定させるのが基本だろう。
でも、ケース2のままで、現憲法9条を歯止めとしていくこともあるかもしれない。
今後は、国際情勢の動きの中で、日本独自の道を模索しながら進んでいくこととなろう。