2015年9月10日(木) 今年の終戦記念日 2
先日、下記記事で、
今年の終戦記念日 1 (2015/8/28)
今年の終戦記念日に当たって、総理から公表された、「戦後70年談話」について取り上げ、その中で、特に、近隣の、朝鮮・韓国、中国・台湾について触れたところだ。
本稿は、その続編であり、中国の軍事パレードについて触れた後、核兵器を巡る話題と、靖国神社の参拝問題を取り上げたい。
○中国の軍事パレード
前稿で触れたが、この9月3日、中国は、「抗日戦争勝利・反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」という、長ったらしい名前のイベントを挙行したようだ。
これまでは、10月1日の国慶節で行って来た、国内向けの通常のイベントを、今年は、日本が降伏文書に調印した日時と関連づけ、世界に向けて、存在を誇示し、戦勝国を印象付けたかったようだ。
習主席は演説で、平和路線を歩み、覇権を求めず、兵力を削減すると述べたようだが、実体は、言葉とは裏腹に、最新装備の強大な軍事力をアピールする、過去、最大規模の軍事パレードだったという。
西側諸国の首脳は、出席を見送ったが、ロシアや韓国は参加したようで、更に、ロシアや関係国は、軍事パレードにも、軍を参加させたようだ。
今後、中国がどの様な動きをするのか、周辺諸国との関係はどうなるのか、見定めることがより難しくなってきただろうか。 日、中、韓の関係も、どの様に進むのだろうか。
この所、PM2.5等、深刻な公害問題に苦しんでいる中国だが、このイベントを前にして、なりふり構わず、強制的に、周辺の、工場の操業停止、施設の閉鎖、車の乗り入れ規制等を徹底して実施し、久々に、北京に青空を取り戻したようで、「閲兵ブルー」などと揶揄された。
このイベントに先だって、8月下旬に、世界からアスリート達が集まった、「北京世界陸上」も意識して、青空を取り戻す努力が行われたようだ。
独裁権力の凄さを武器に、環境は人間の力で変えられることを証明した、悲しい実験とも言える。 しかし、通常の社会・経済活動を継続する中で、環境改善を図ることが、如何に困難で忍耐が必要かを示した出来事、とも言えよう。
○核兵器を巡って
*核廃絶運動
世界唯一の戦争核被爆国である日本が、核廃絶を訴え、核兵器禁止条約(NWC)、核拡散防止条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)等を推進していくのは、他の国には出来ない重要な役割だ。
例年のことだが、原爆が投下された、広島では8月6日に、長崎では8月9日に、それぞれ、記念行事が挙行され、双方の市長とも、被爆の惨状と、核廃絶を世界に訴えている。来年のG7サミットの外相会合を、広島で開催することにしたのは又とない機会となろう。
でも、核廃絶を唱える一方で、核兵器を持たない日本の安全保障は、米国の「核の傘」に守られているのも事実で、自己矛盾でもある。
*世界の核兵器の実体は?
下図は、世界の核兵器保有の現状を示したものだが、周知のように、NPTで「公認」されている、5か国(米、ロ、英、仏、中)の他、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が、実質的に保有していると言われ、イランについては、先だっての交渉で、核兵器開発を、何とか、思い留まされたようだ。
図のように、日本、韓国は、米国の「核の傘」に護られている。(下図はネット画像より)
核保有の世界の現状と「核の傘」
*原爆投下は正当?
ここで、改めて、原爆投下の正当性の話題を取り上げたい。
1945年に日本に投下された2発の原爆に関し、その正当性、非人道性等については、多くの論議があるところだ。
ある被爆体験者の著書の中の記事に、原爆投下の正当性などについての、米国政府機関の見解や、高校教科書での扱い等を、主要な4種の意見として、冷静に整理して紹介したものがあり、概要だけを以下に示す。(「私の広島」-原爆体験記 -アメリカは何故原爆を投下したか)
意見-1. 原爆投下は正当であり、原爆投下によって戦争が早期に終わり多くの人命を救うことが出来た。
意見-2. 原爆投下に正当性はなく、原爆が多くのアメリカ人と日本人の命を救ったとする説は疑わしい。
意見-3. 原爆を投下する必要はなかった。原爆が投下されなかったとしても、早期に日本は降伏したであろう。
意見-4.よしんば広島への原爆投下が正当であったとしても、広島のたった3日後に長崎にも原爆を投下した理由を、広島への原爆投
下の正当づけでは説明できない。
一方、米国の調査会社PEWが、原爆投下の正当性について、米国と日本で調査し結果を、この春に公表しているのが、下図である。(【驚愕】アメリカ人の56%が原爆投下を正当と考えてる! )
凡例: 正当だ(Justified) 正当でない(Not justified)
これによれば、米国では、正当だとする、上述の意見―1が多く、日本では、正当でないとする、意見―2が多い、ということだ。
この記事では、同調査で、米国での「正当だ」という意見は、時間の経過とともに、
1945年 85%
1991年 63%
2015年 56%
と、若年層等で減って来ているようで、核廃絶に向けて前進していると言えるのだろうか。
一方、日本では、正当だとする意見も、かなりあることも事実のようだ。
筆者の意見は、敢えて言えば、正当だ(止むを得ない)という、意見―1に近いのだが、当時として、当事者は原爆の威力を何処まで把握していて、投下前に、被害状況を、どの様に想定していたのかがポイントで、知りたいところだ。
投下する場所を選定する上で、被害状況を正確に把握できることも条件だったようで、これから見ると、原爆は、未だ、開発途上で、原爆投下は、威力を測る実験調査的な要素もあったように思う。
核兵器を使う事で、戦争を終わらせて、人命や資産の更なる損失を防ぐというのが、大義名分だろうが、一方で、米ロ間の激しい勢力争いの中で、一日も早く、核兵器を使うことで、戦後に優位に立とうとする米国の強い意図もあったように見える。
○靖国神社の参拝
例年、8月15日の正午を期して、日本武道館で行われる、政府主催の戦没者慰霊式は、終戦記念日の恒例行事だが、これについては、諸外国からの批判は無いようだ。
一方、例年の事だが、時の政治家が靖国神社を参拝すると、中国や韓国は、鬼の首でも取ったように、責めたてる。国内の不満を、対外的な事項に目を向けさせガス抜きしたい意図もあるのでは、と思いたくなる。
これらの非難に対し日本の総理や閣僚は、国の指導者が、国のために命を捧げた英霊を慰霊するのは、どの国でも当然のことだ、と胸を張って開き直るのが繰り返されている。
そもそも、靖国神社は、幕末以降現在に至るまでの間、国のために命を捧げた、軍人、軍属の英霊を祀るために建てられたものという。ただ、勝てば官軍で、幕末の内乱で負け組となった側は祀られる対象には含まれていないという。
靖国神社には、今次大戦での、一般の戦没者が祀られているのは、勿論のことだが、ABC級戦犯も合祀されているようだ。(靖国神社 - Wikipedia)
戦没者の遺族や関係者など、靖国参拝をして欲しい国内の勢力があるため、日本の政治家たちにしてみれば、参拝を控える訳には行かない一方で、戦争で蹂躙された周辺諸国の政府や遺族・関係者の監視の目があり、その間に立たされて、苦慮しているだろうか。
今次戦争の責任は誰が負うべきだろうか。 これには、何故、戦争がはじまり、戦線が拡大し、最後に2度まで原爆が投下されたか、と言ったことの理由を明らかにしなければならず、簡単に答えが出るようなものではない。
中国には、支配者と、一般国民とを分けて捉える、中国式の伝統的思考法がある。戦争についても、戦争を企て、国民を強制して戦場に駆り立てた支配層にこそ責任があり、国民(人民)は被害者だ、という考え方だ。でも、支配層といっても、王族等で無く、選挙で選ばれた、国民の代表者だとなると、そう、単純では無い。
一方、世の常だが、今次大戦後、戦勝国によって一方的に軍事裁判が行われ、ABC級戦犯などの特定人物の責任として、公表されている以上、それに従うほかは無い。 中国や韓国等の戦争被害国側から見れば、戦犯が合祀されている靖国神社に、加害当事国の時の政治家が参拝することは、戦争や侵略を正当化し美化している、と映るのは当然だろう。
然らば、靖国神社はどうすべきなのだろうか?
今次大戦の一般戦没者は、現状のまま靖国神社に残して祀り、ABC級戦犯となった指導者たちのために、専用の墓地を整備して靖国神社から移して分祀する案が考えられる。
これは、中国式には、彼らは、人民を悪い道に導いた責任者なので、当然となるのだろうか。
果たして、この場合、誰がここをお参りし、どんな言葉を述べるのだろうか。
また、彼らを祀ることを止めてしまう案も考えられる。
でも、自ら選んだ代表者の行為ではあり、戦争の結果として、現在の平和があるとも考えると、一切止めてしまのも、忍び難いだろうか。
このあたりは、ホロコースト迄進んでしまったナチスドイツの幹部達が、現在のドイツでは、どのように扱われているのか、機会をつくって、調べてみたいところだ。