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北方領土問題  その2

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       2019年4月8日(月) 北方領土問題   その2 

 

 2月の北方領土の日(2/7)を切っ掛けに、日ロ双方の政府間で進められている、北方4島の日本への返還交渉と平和条約締結問題に関して、各方面で話題となり、本ブログでも、下記記事

   北方領土問題 その1  (2019/2/21)

で、これまでの歴史や、北方4島の状況等についてとりあげている。

 

 この記事の続編の、その2を作成すべく、ネットを見ていたら、たまたま、3月18日は、5年前に、ロシアが力ずくでクリミア半島を編入(併合)した日のようだ。この件については、当ブログでも、何度か取り上げているが(詳細は略)、クリミア半島を、力ずくで自国に編入し、世界から総スカンを食らい、G8から追い出された、ロシアのしたたかさ、恐ろしさを改めて思い出されたことだ。

(この3月末のウクライナの大統領選挙で、1位の新人候補と、2位の現職候補の決戦投票が4/21に行われるようだ。)

 

 その後は、瞬く間に日数が経過してしまったが、日ロ間の交渉は、現在どうなっているのだろうか。

 本稿では、日露間の北方領土問題の今後の方向について、素人である筆者の、率直な印象を述べてみたい。 

 

◇ 国際的な領土問題

 国際関係では、領土問題は、独立問題とともに、国家の基盤にかかわる最重要事項だけに、解決が極めて難しい問題のひとつであり、現在進行形の領土問題が、筆者の知る範囲でも、以下のようにいくつかある。これらには、植民地支配や過去の戦争や民族問題、宗教問題等が、複雑に関係しているのは言うまでもない。

 ・世界全体

  クリミア半島   ロシアーウクライナ

  カシミール地方  インドーパキスタン

  南沙・西沙諸島  中国ーベトナム 等

  コーカサス地方  ロシアー関係諸国  

  朝鮮半島     北朝鮮ー韓国ーアメリカー中国

  台湾問題     中国-台湾

  エルサレム・ゴラン高原 イスラエルーパレスチナーシリア

 ・日本関連

  北方領土     日本ーロシア

  竹島 鬱陵島   日本ー韓国

  尖閣諸島     日本ー中国 

  

◇日露首脳会談

  領土問題の話し合いの前に、信頼関係の構築のためとして、日露間の共同経済活動を進めることが、首脳会談で方向づけされている。

 活動分野として、以下の5項目が挙げられており、検討が進められているようだ。

  ・観光 

  ・海産物養殖

  ・イチゴのハウス栽培

  ・風力発電

  ・ゴミ少量化

そして、この4月に、日本で、日ロの担当者の会合が予定されているという。(北方領土での日露経済活動へ 4月末に日本で会合(産経新聞)) 

 この、6月28/29日に、大阪で開催されるG20に出席する機会に、プーチン大統領と日ロ首脳会談が行われる予定だが、安部首相の決意の程はあるようだが、事の成り行きがどう進むのかはよく見えないところだ。

 終戦末期の北方領土への侵攻や、ウクライナの併合などに見るように、油断のならないロシアのことだ、計画されている日露経済活動が、ロシア側のいいとこどりで終わるのではないかという懸念も大きい。

 

◇国際的な統治形態

 国際法では、共同主権という統治形態が、現在もあるようだ。国家間の境界近辺などの狭い地域が対象となっているケースが多いようだ。(共同主権 - Wikipedia

現在、日本が抱えている上述の領土問題では、日本の主張が通らず、単独の主権が得られない場合は、次善の策として共同主権が考えられるだろうか。

 

・竹島と尖閣諸島は、歴史的にも、居住民がいない小さな島だ。領有権がどちらになるかは、土地の問題よりも、島嶼周辺の占有海域の、漁業資源や、海底の天然資源などの経済的価値や、国防上の領海範囲がが主な問題となる。

 ・一方、北方4島は、終戦前後に強制退去させられ、帰還を待つ多くの元住民(日本人)が居る。そして、その後入植して、水産業や水産加工場で生活している多くの住民(ロシア人)がいる。寒冷な土地だけに、耕地には適さず、ハウス栽培などの可能性はあるが、農業は大変だろうか。

 海域に関しては、北方領土全体の土地の面積では、約7%しかない歯舞・色丹2島分で、領海域全体の40%にもなり、海域の水産資源や海底資源は、大きいだろうか。

    

◇北方4島の返還パターン

 北方4島のどこが返還されて日本の領土となるか、いくつかのパターンが考えられる。

  返還島数    状況

  0島      現状のまま(最悪)

  1島 歯舞のみ

  2島 +色丹  日ソ共同宣言レベル

  3島 +国後

  4島 +択捉  終戦前の状態(古来の領土) 

 領有形態については、日ソ共同宣言にある、歯舞+色丹の2島返還が、現実的に、実現可能なパターンだろうか。すなわち、歯舞・色丹までが日本の領土で、国後、択捉はロシアの領土とするものだ。これらの4島全体で、前述の共同主権を実現するのは、難しいと思われる。

 

◇両国民の友好

 日本では、、国籍は一義的で、スポーツ選手などは、日本に帰化して日本国籍を取得しているが、下図のように、アメリカなど、複数の国籍(二重国籍)を認めている国も多いようだ。(ロシアは、日本と同じ)(図は、多重国籍 - Wikipedia より)      

            

                              

領土問題では、前記のような線引きをした上で、両国間の交流の在り方では、いろんな工夫ができるだろうか。

筆者の思い付きだが、北方4島の元住民、現住民については

 ・二重国籍を付与する、

 ・自由な往来を認める

   ビザ無し渡航(EU内のような往来の自由) 

   観光や旧島民の墓参など

  ・住民登録、税金、選挙権 などでの工夫

  ロシアから出されている、北方4島への米軍基地の建設懸念だが、逆に、ロシア側が基地を建設する可能性もあり、ロシアの腹の内を読むに当たって、性善説に立つか、性悪説に立つかによって、上記のような私案は、単なる夢物語に終わる可能性も大きいのだ。

 

 

「付記」

 国土ではない、身近にある土地の所有形態では、所有者が名義人として法務局に登記され、所有権が認められていて、住宅ローンでお馴染みの、金融機関の抵当権もある。

一方、他人の土地を借りる、借地権も認められている。

遺産相続では、土地や財産の共同所有や、共同名義もあるようだ。また、夫の死後に住み続ける妻の潜在的相続分が、最近認められたようだ。

  


八か村落し親水緑道  その1

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   2019年4月11日(木)  八か村落し親水緑道   その1

  

 普段よく利用している足立区のコミュニティバスだが、JR綾瀬駅の近くに、

     「八か村落し親水緑道入り口」(はっかそんおとし しんすいりょくどう いりぐち)

という、バス停がある。 少し前までは、

     「東綾瀬区民事務所入り口」

と呼ばれていたものだ。この東綾瀬区民事務所には、これまで、何度か訪れたことがある。

 

 今年に入って、件のバスに乗っていて、たまたま停留所の名前が変わったことに気づいた。長ったらしい風変りな名前であることで、印象に残ったものだ。

バス内の電光表示や、停留所の案内板は、新称に変わっている。 バスの運行会社に問い合わせたところ、名称変更したのは、昨年秋頃のようだ。筆者としては、停留所名が変わる旨のバス内掲示等は見たことがなく、気づかない内に変わっていたのである。そして、掲示されている路線図の停留所名だけが、つい先日までは、旧称のままだったのが、一昨日、漸く改称されていることを知ったことだ。

 区内にある15の区民事務所の中でも、主要な一つである東綾瀬区民事務所だが、これまでの場所から、東綾瀬地区の中心部に、昨年6月ごろに移転したようだ(理由は未調査)。これを受けて、バス会社としては、バス停の名称を変えざるを得なかったようだ。どんな名称にするか、どのように決めたのかは明確ではなかった。 

 が、結果的には、後述するように、足立区らしい、素晴らしい良い名前だと思っている。

 今回は、最も身近な地域の話題である。

 

 ◇ 神明六木遊歩道

 住居の至近にあるのが、「神明(しんめい)六木(むつぎ)遊歩道」で、転居して30年近くになるが、最初に散策したのがこの遊歩道だ。埼玉県との境になる、垳(がけ)川沿いの遊歩道だが、足立区側の土手に、色んな樹木や花木等が植えられている。(神明・六木地区を行く

 当初は、薄汚い悪臭のする川だったのだが、現在は、きれいでスマートな流れに改修されている。この遊歩道は、次項の、葛西用水親水水路とつながっている。

  

◇ 葛西用水親水水路

 江戸時代に盛んに行われた新田開発の灌漑用として、「葛西用水路」が整備され、埼玉県東部から足立区東部、葛飾区を通って、亀有上水と曳舟川を経て、最後に中川に合流していたという。(葛西用水路 - Wikipedia

 葛西用水路は、今も、埼玉県内では、本来の用水としての役目も担っていると思われる。足立区に入った近隣地域では、部分的に暗渠になっているところもあるが、葛西用水親水水路として、六木や佐野や大谷田は、現在も健在で水が流れていて魚も棲んでいる。

 この親水水路は、草花好きの筆者のこと、親水路の両岸の草木の花や実を探して、何度、訪れ、立ち寄ったことだろうか。ごく最近だが、環七の手前では、「葛西用水さくら通り流し踊り」が開催されたことだ。

 

 葛西用水親水水路は、大谷田の環七交差点の地下をくぐって、再び地上に出て、水路の両側に道路が走る形で、東和へと続いている。水路は、少し先で地上から消えており、暗渠になったり埋め立てられているのだろうか。循環水にして水を流し、木々の緑を潤している所もあるようで、憩いの風景となっている。

 道路の先で立派な桜並木をくぐると、JR亀有駅近くのガードになるが、亀有駅周辺には、自転車で時々出かけている。

 

◇八か村落し親水緑道

 江戸時代には、耕作する田畑の灌漑用水は、極めて重要なインフラで、葛西用水から、現在の東和の近くで分岐して、「八か村落(おとし)堀(ぼり)」が、南西方向の綾瀬川まで作られていたという。堀の呼称は、用水が流れる地域の

 六木、佐野新田、大谷田、蒲原、北三谷、普賢寺、五兵衛新田、伊藤谷

の八か村から来ているという。明治22年までは、八か村があったようだが、現在は、赤字で示した地名が残っている。

 六木、佐野、大谷田の地名が、葛西用水と八か村落堀とで重複しているのはなぜか、不明である。

「落し」という言い方が面白いが、用水路から、田んぼに水を取り出す場所を、「落し」と呼んだかもしれない(辞書にはないがーー)。

 

 終戦後の東京の宅地化の流れで、耕地が減り、灌漑用の水路も次第に必要で無くなって、埋め立てられたり、水路が狭められたりしたようだ。

こうした中で、当初は、下水、雨水の排水路だった水路が、水と緑の大切さが再認識された時代の流れの中で、親水公園や遊歩道として整備されてきている。

 お役御免となった「八か村落堀」を改修して整備したのが、現在の「八か村落し親水緑道」となっている。 

 でも、緑地も大事だが、維持管理するコスト(水源の確保、手入れ清掃、水の循環の電力等)も大きいことから、行政の立場からは、悩ましいことではある。

 

 足立区東部の、水と緑の環境の全体を見るのに好都合な地図(2002年頃)がネットで見つかったので、下図に引用させてもらう。神明六木遊歩道、葛西用水親水水路(現在の地図では、亀有の手前から、葛西用水は姿を消しているが)、八か村落し親水水路、が示されている。図中の赤〇印が、筆者の住んでいるところだ。 (葛西用水親水水路・八か村落し親水緑道

図の下方にある、綾瀬駅に近い東綾瀬公園は、広大な緑地と水の流れが素晴らしく、何度か行っている場所だ。 

 

  ネットで調べただけで、まだ、行ったことはない、「八か村落し親水緑道」の実地探訪について、次稿で取り上げることとしたい。

 

 

八か村落し親水緑道  その2

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   2019年4月15日(月)  八か村落し親水緑道   その2

 

 

本稿は、先日投稿した、

   八か村落し親水緑道 その1 (2019/4/10)

の続編である。

 

  前稿で触れたように、普段利用しているバスで、バス停の名称が変わっていたことから、新たに知ることとなった「八か村落し親水緑道」だが、実際に、足立区内のどこにあるのかが、よく分からなかった。

いつもの伝でネットで調べていたら、色んな情報の中に、この緑道を自分の足で辿って自作の地図を纏め、それをネットに掲載している篤志家がいた。これを、下図で引用させていただく。(八か村落し親水緑道 - コツコツ歩き隊!)

          

  現在の地図に、「八か村落し親水緑道」を赤線で書き入れたもので、綾瀬駅近くから始まって、葛西用水親水水路との合流点まで示されている。途中、昔の八か村落しにある、蒲原、北三谷の地名も見える。

                               ↓  バスルート                    葛西用水親水水路 ↓

      

             八か村落し親水緑道(赤線)

 

この図に、普段乗るバスのルートを、黒線で、分岐している葛西用水親水水路を、水色の線で挿入している。

また、前稿にある名称が変わったバス停は、綾瀬駅からのメトロ千代田線の支線と交わる近辺にあり、図で、緑色の〇で示している。

 

 地図にある親水路は、綾瀬駅近くの、件のバス停近辺では、建物が多くて探しても見当たらないが、東綾瀬小学校のバス停の近辺では、バスの道路を横断している可能性が高く、見たような気もする。でも、走っているバスの中から、目を皿のようにして探したのだが、それらしいものは、なかなか見つからなかった。

 そしてある日、ワイフKが、遂に、綾瀬駅行きのバスの左手に、親水緑道入口を示す石碑を見つけたというのである。やはり、場所は、バス停東綾瀬小学校の、少し手前のようだ。

 この機会にと、当夫婦と、休日になっている息子を加えた3人で、天候もいい3月下旬のある日、やや距離はあるのだが、自転車に乗って、実地探訪に出かけることとなった。

自転車で、いつものバスルートを辿りながら進み、東綾瀬小学校の手前で、遂に、石碑を見つけたのである! 落とし物を探して見つかった時のような、何とも嬉しい気分。(下図)

                     

さらに、石碑と道路の反対側に水路があり、地図に従って少し入ってみると、やや広い八か村落しファミリー公園があった。

 

      

       八か村落しファミリー公園                                     桜花の下で               

 しばし、ファミリー公園で素晴らしい桜を眺めた後、元の石碑にもどり、地図に従って流水を遡って進んだ。

 

 暫くしっかりした流れがあり、寺の裏手にある墓地の、道路に面した壁面から、多量の水が音を立てて水路に流れ込んでいる場所がある。流れを保つ工夫だ。この寺は、地図では、円生寺というようで、八か村にあった普賢寺ではないようだ。

さらに上流に進むと、次第に細い流れになり、地下に潜ってしまった。

 

 しばらくして、再び地上の流れとなるが、途中、蒲原の地名もあった。そして、亀有へ行く時に通る、良く知っている東和病院の少し手前で、葛西用水との分岐点に達した。

東和病院の前には池があり、一帯の緑地とともに、東和親水公園となっている。

 気が付いてみると、何か所かで、八か村落しや、親水路の看板が目に付くようになったのは、不思議である。

 

 帰路は、良く知っている道を通って、行きつけの食堂に入り、3人で食事をした。

住んでいる足立区の、水と緑に恵まれている素晴らしさを、改めて知った自転車での探訪であった。 

 ここ暫く行っていない、綾瀬駅に近い日本武道館周辺の木々とせせらぎ、地図にある東綾瀬公園の風景、あやめと藤の菖蒲沼公園など、機会を作って回ってみたいものだ。

 

「余談」

 月に一度開催される地域の高齢者の集まりで、この日の午後は、夫婦で認知症に関する、六木診療所の院長の話を聞いた。その講演の冒頭で、院長から、当日の朝方出かけて行ったファミリー公園で撮ってきたという、見事な桜の写真が紹介されたのである。 

 この場所は、集まりが終わった後に、当方が家族で出かけようとしている場所なのである。このことを、質問のついでに紹介したのだが、なんという偶然の一致だろうか! と、自分達も、出席の皆さんも驚いたことだ。

 

 

 

   

 

 

姓と名の順序

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2019年4月18日(木)  姓と名の順序

 

 

 一昨夜のNHKニュースで、河野外務大臣が、参議院外務委員会の席で、国際会議などの場で、英語で自分の名前を言う時に

        Taro KONO

と、ひっくり返すのを不思議に思っていた、と述べたという報道があった。

 (C河野外相「なんで英語のときだけ”Taro KONO”になるのか…

 

 筆者も、長年、欧米流の表現法には、違和感を感じていたのだが、現職の日本の外務大臣が、公式の場で、率直に発言したことには大変な重みがあり、わが意を得たり、という思いである。

 この発言を受けて、政府(外務省や文科省)内で検討が進められるだろうが、具体的にどう進められるのかは不明である。

 

 世界の中で、姓と名の表し方には、東アジア流と欧米流とがあるのは周知のことだ

・東アジア流

 言うまでもないが、日本では、普段は、姓ー名の順序になっていて、例えば、以下のようになる。

   日本  安部晋三首相(アベ シンゾウ) 河野太郎外相(コウノ タロウ)

 中国や韓国でも、人名を表す時は、姓ー名と、性が先で名が後になる。普段、このように呼ばれていて、国際的な場でも同様だ。

 例えば、

   中国  習近平主席(シュウ キンペイ) 李克強首相(リ コッキョウ)

   韓国  文在寅大統領(ムン ジエン)  康京和外相(カン ギョンファ)

 と、マスコミでも報道されている。

  

 世界の中では、日本のほか、中国、韓国、ベトナムなどアジアの数か国と、欧米ではハンガリーで、「姓-名」の形式が用いられて

 いるようだ。

 

・欧米流

 一方、欧米では、通常は、「名ー姓」となり、ファーストネームが先、ファミリーネームが後となる。公の場では、姓を呼ぶことと

 なる。例えば、

    米国  トランプ大統領 Donald John TRUMP

    英国  メイ首相    Tehresa Mary MAY       

    独国  メルケル首相  Angela Dorothea MERKEL   

 となる。欧米人は、日常的に、このように呼んでいて、国際的な場でも、同様である。 

 

  要は、日本や中国等の東アジア(漢字文化圏)では、普段、姓が先で名が後になっていて、欧米では、この逆で、姓と名をひっくり 

  返す言い方が、日常的に、使われているということだ。

 

  然らば、国際的な場では、如何にあるべきなのだろうか? 

 ローマ字表記に関する国の方針として、第22期国語審議会の答申(2000年12月)(現在は文化審議会国語分科会)では、以下の
 ように述べられているようだ。

 “したがって,日本人の姓名については,ローマ字表記においても「姓-名」の順(例えばYamada Haruo)とすることが望ましい。なお

 ,従来の慣習に基づく誤解を防くために,姓をすべて大文字とする(YAMADA Haruo),姓と名の間にコンマを打つ(Yamada,Haruo)

 などの方法で,「姓-名」の構造を示すことも考えられよう。”

           (文化庁  第22期国語審議会  国際社会に対応する日本語の在り方より引用)

   国際化の進展で日本の外国との交流も増え、今年のラグビーWC、来年の五輪・パラ輪開催と、山場が目の前である。今や、国際的な

 標準語ともいえる、英語の表現に合わせて、名ー姓とすることは、立派な考え方であり、標準化の方向とも言えようか。

 NHKの大河ドラマ「いだてん」でも、彼我の習慣の違いに戸惑う場面が多く出てくるが、名ー姓とするのは、言ってみれば、欧米文化に

 追随対することで、コンプレックスの表れでもあるように思える。

 

  これに対し、「普段使われている通りに表す」を原則とし、姓ー名とするスタンスは、自己のアイデンティティを明確にしながら、文化

 的な多様性を容認する姿勢だ。欧米で普段やっていることに合わせて、無理に、名ー姓とひっくり返すのは不自然で、その必要性は無いのだ。

 

 河野外務大臣の話では、国際の場で使う自分の名刺は、

     KONO Taro

 としているという。率先して実行する大臣の姿勢は、見上げた心構えと言える。

 

  国際化の時代では、ローマ字表記一つをとっても、人名の名刺だけでなく、地名や建物名や道路の標識等で、固有名とどう調和させるか、

 が重要となる。以下のように、二通りがあろうか。      

      富士山  Mount Fuji(ーsan)

      琵琶湖  Lake Biwa(ーko)

      東大寺  Todaiーji Temple  

      日比谷通り HibiyaーDori Avenue      

  

 「余談」:自分の体験だが、以前、スイス ジュネーブでの国際会議に出席した時、配られた会議議事録の出席者名の欄に、自分の姓と名

      が逆になって、

          Abe MASAYUKI

      と記されていたことに驚かされたことがある。 持参した名刺は

          Masayuki ABE

      だったのだがーー。

虐待とハラスメント  続き

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 2019年4月22日(月)  虐待とハラスメント  続き

 

  先だっては、当ブログに、

         虐待とハラスメント  (2019/3/4)

を投稿し、主に、千葉県野田市での児童虐待死事件について取り上げたが、本稿は、これの続編である。

 

 野田市での事件だけでなく、この種の事件が起こると、決まって児童相談所が鎗玉に上がり、悪者扱いされてきた感じである。

また、昨年暮れ頃だろうか、南青山で起った、児相建設計画に対する住民の反対運動は強く印象に残っている。 

筆者は、児童相談所の名前は、かなり以前から知ってはいるものの、児童の面倒をみる行政機関の一つ、という程度の理解しかなく、具体的に、どんな業務を行っているか、はほとんど分かっていない。今回、改めて調べてみることとした。

 

◇ 足元の児童相談所

  最も身近な、住んでいる足立区の児童相談所はどうなっているか、調べてみた。

 東京都では、23区・三多摩・島嶼全体を複数地域に区分して、13の児童相談所(相談センター)が分担して所管していて、足立区と葛飾区は、足立児童相談所が所管しているようだ。都庁の組織の、福祉保健局の配下になっている。

  足立児童相談所

  施設概要  足立区西部の江北地域にある。

                1984年(昭和59年)に完成  床面積 約1500m2

             現庁舎の近隣に行ったことはないが、地図上で確認した。

               

  現庁舎ができてから30年以上経過し、建て替えが進められているようだ。建て替えが必要な理由は、

      ・保護が必要な児童が増加      ➡ 一時保護所が狭隘化

      ・虐待等の相談に対応する職員が増加 ➡ 相談対応のスペースの確保

等で、手狭になっていることだ。

 建て替えは、子供を取り巻く環境が、年々悪化している表れであろう。

 

新庁舎の計画は以下の様だ。  

 新庁舎:3640m2(現庁舎の2倍強!)

      ・相談所機能用  約1400m2

      ・保護所機能用  約2200m2

 目下基本設計中で、21年に着工という。完成は何時頃だろうか?  

新庁舎ができるまでの間、仮設施設を、現庁舎敷地の隣接地や、近隣の土地に建設して 

対応しているようだ。(以上 東京足立児相建て替え

 

     

 ◇ 児童相談所とは

   児童相談所(じどうそうだんじょ)とは - コトバンク 知恵蔵より、以下に引用する。 

 ”児童相談所は、子どもに関する相談に応じ、子どもが心身ともに健やかに育つことができるよう子どもや家庭を援助する機関。略して「児相」と呼ばれる。児童福祉法で都道府県に設置が義務づけられており、全国に205カ所ある(2010年5月10日現在)。 児童福祉法でいう児童とは、満18歳未満の子ども。 

 近年、暴力や育児放棄などの児童虐待が深刻化しており、児相が対応した児童虐待相談件数も年々増加。08年度は4万2662件(速報値)で、10年前の約6倍になった。こうした事態を背景に、08年の児童虐待防止法改正では虐待が疑われる家庭への臨検(強制立ち入り調査)制度ができるなど、児相の権限と責任が強化されてきている。  身近な子育て相談などに応じる市町村と役割分担・連携を図りながら、専門的な知識や技術を必要とする事例への対応や市町村の後方支援を行うことが、児相には求められている。運営指針では、

(1) 市町村援助(市町村相互間の連絡調整など)、

(2) 相談(専門的な角度からの調査・判定、援助指針の策定、指針に基づく援助)、

(3) 一時保護(子どもの家庭からの隔離)、

(4) 措置(子どもや保護者を児童福祉司や児童委員に指導させたり、子どもを児童福祉

  施設に入所させたり里親に委託する)

の4つが児相の基本的機能とされている。

 

 各地の児相では、通報への即時対応や関係機関との連携強化に取り組むなどしているが、虐待に関する情報を受けても速やかな安否確認ができなかったり、親子の引き離しの判断が遅れたりして、子どもを救えないケースが後を絶たない。 ”

 

◇ 児相の業務

 児相に詳しい専門家である山脇由貴子氏の、以下のサイト、

「児童相談所」とは? その実態と保護された子どもに待ち受ける試練.url 

から、前項にある児相の業務を、図式的に示した下図を引用させていただく。 

   

 

上図で、➡できない場合 で示されているように、親・子の意向や、児相のマンパワー不足や、施設がいっぱいなどの理由で、事案がすんなり進まないケースも多いようだ。

  

◇ 相談件数の推移

 児相への相談件数だが、ここ30年間程の推移を見てみると、前前項の知恵蔵では、

     08年度  4万2662件  

となっているが、下図の最新のデータでは

     17年度 13万3778件

となっており、信じられない急増ぶりなのである! 

  (下図は、統計データ  子ども虐待について  オレンジリボン運動 より引用)            

 

 ◇ 児相の保護人員

先述の山脇氏のサイト(◎)にある下図、「一日当たり保護人員及び平均在所日数」をみると、保護人員は年々増加している一方で、在所日数が増加傾向なのは、相談事案が複雑化しているということだろうか。

  

 機械的に、H27年の保護人員を、児相数(208)で割ってみると、

      1885/208≒9

となり、児相当たり、平均一時保護人員が9人となる。

   

◇ 児相の職員事情

又、前述の山脇氏のサイト(◎)では、児相の職員についても触れている。

このサイトから引用した下図のように、児童福祉司の所要数は増える一方という。

 

  児相の職員は、相談件数や児童数に応じて、専門家として、児童福祉司士、児童心理士、医師が配置されるが、本来、専門家は、しかるべき学校を卒業した資格を持った人だ。

しかし、児童福祉司については、専門職は7割強で、残りは、一般業務職から研修を受けてなった人という。

   

 児相の業務だが、ケースバイケースに異なる処理・対応が必要な案件が多く、一方、子供の家庭だけでなく、学校や、警察や市町村等、関連組織間の連携を取りながら進めなければならず、職員は多忙を極めているという。

こんな状況下で、職員の数を増やし、質を充実させることも急がれているようだ。 いま注目されている、働き方改革の一環でもあり、意欲をもって働ける職場にしていくことが求められる。

  

 次稿では、港区 南青山での住民運動を取り上げたい。 なお、前稿で予告していた、カソリック協会での性的虐待については、当面見送り、機会を見て扱うこととしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風呂場に春のオブジェ

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2019年4月24日(水)  風呂場に春のオブジェ

 

 

  我が家の、ルーフバルコニーでは、チューリップが、これが最後と賑やかに咲いているが、伐リとってきた、赤、白、黄色の3色の花を引き立てるように、所狭しと、とぐろを巻いているのは、子持ちオーニソガラムの、超長~い花穂だ。

久しぶりの風呂場ギャラリーで、ワイフKが、面白いアレンジのオブジェを披露してくれたもの。

    

  オーニソガラムは、地上に出ている球根が、玉ねぎのような形をしており、室内、室外で育ててきた、我が家の長年の住人である。

オーニソガラムは、春になると花穂が出てきて長く伸び、根元から順に、花をつけていく。

その新旧の花穂4本を、大胆にカットし、風呂場の空間を占有するように配置しているのだ。園芸用の柔らかいビニル針金も、一役買っている。

     

            

オーニソガラムの個々の花をよく見ると、緑と白の、6弁の可愛い星のような形をしていることから、「ベツレヘムの星」、という、素敵な名前がついているようだ。(残念ながら、下図ではよく見えないが――) 

         

 

4月も下旬となり、この所、春から初夏へと、季節は動いているようだ。

 

 

 

 

 

平成から令和へ  1

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2019年4月30日(火)  平成から令和へ 1  

 

 現天皇の生前退位と新天皇の即位という、憲政史上初めてとなる、天皇の代替わりがあり、目下、それに伴う一連の行事が進められている。

 少し以前の1月には、9名の委員からなる有識者懇談会の推薦に基づいて、新たな元号「令和」が政府によって決定されて、大きな話題となったことだ。

 このところ、平成の時代を振り返り、惜しむように、「平成最後の〇〇〇」が多いのだが、一方、新たな元号にちなんだ商品の売り出しや、新元号スタートの日に合わせて、婚姻届けをする、などの話題も賑やかだ。

 

30年を遡る平成の始まりは、昭和天皇の崩御という、悲しい事象がきっかけで改元が行われたが、生前退位ということで、今回の令和の始まりは、お祭りムードが一杯なのは嬉しいことだ。

 退位して、上皇、上皇后となられる、天皇・皇后の今後の生きがいや、出番なども気になるところだが、過去の天皇の歴史でよく出てくる退位後の院政などは、韓ドラだけで話題となる、杞憂だろう。

 

 平成から令和へ、ということで、興味本位だが、いくつかの話題について取り上げたい。

今回は、さし向きの行事と、祝休日に関するワークライフバランスについて、触れている。

 

◎10連休

 世は、27日から始まった10日間の連休で湧いているが、この10連休の理由を、改めて整理してみた。

 今年は、もともとは、GWが、前半の4/27~4/29と、後半の5/3~5/6に分かれる筈だったもので、4/30~5/2の3日間は、平日だった。

 それが、平成天皇の生前退位が4/30日に行われ、5月1日に令和天皇が即位することが決まって、5/1を、今年限りの、国民の祝日とすることとなった。

 新たな祝日ができたことで、サンドウイッチのように祝日に挟まれる日は、国民の休日とする祝日法の規定で、4/30と5/2も祝日となり、10連休となった。

 今はみどりの日と呼ばれる5/4は、もともとは、5/3と5/5に挟まれた休日だったものだ。

 

以上を纏めると、以下の様になる。

    期日      呼称(意味)    記事

   4月27日(土)   休日     (厳密には、まだ、休日でも平日でもない?)

   4月28日(日) 休日

   4月29日(月) 祝 昭和の日  (旧 昭和天皇誕生日)

   4月30日(火) 国民の休日   (平成天皇退位の日)

   5月 1日(水) 祝 令和天皇即位(今年だけの祝日)

   5月 2日(木) 国民の休日    

      5月 3日(金) 祝 憲法記念日  

   5月 4日(土) 祝 みどりの日  (皇居一般参賀)

   5月 5日(日) 祝 子供の日

   5月 6日(月)  振替休日 

 

 退位の日は、特別な祝日ではなく、前述のように、祝日に挟まれた休日となっている。

 

又、新天皇となって半年ほど経た後、以下の行事がある。

 

10月22日(火) 即位に伴う、新天皇・皇后の即位礼正殿の儀

          都内のパレードが予定 、今年限りの祝日

 

◎天皇誕生日

 明治以降から戦前までは、天皇誕生日は天長節と呼ばれた祝日である。天皇誕生日は以下の様だ。

  明治天皇  11/3  崩御後、明治節に→現 文化の日 

  大正天皇   8/31 *

  昭和天皇   4/29 →みどりの日→現 昭和の日・みどりの日は5/4に

  平成天皇  12/23 **

    令和天皇   2/23 ***

 

 * 実誕生日の8/31と、暑気を避けるため、10/31も天長節にしたようだ。

   (細部は不詳)

 ** 昭和天皇の天皇誕生日の4/29が、崩御後、昭和の日となったが、この前例に

    倣えば、平成天皇の天皇誕生日だった12/23が、平成の日として祝日になる

    可能性があるが、祝日の増加を抑えるルールも必要となるだろうか。

     アメリカ合衆国では、著名な、ワシントン、リンカーン両大統領に加え、すべ   

    ての歴代大統領の誕生日を祝う連邦祝日を、2月第3月曜と決めているようだ。

*** 新天皇の誕生日は、自動的には祝日にならず、法令で新たな祝日にする必要が   

    ある。

 

◎ワークライフバランス

 終戦前までは、以下の祝日があったようだ。  

 ・四大節として (  )は現在

   四方拝  1/1  (→元日 慣習的に3が日は休み) 

   紀元節  2/11(→建国記念日) 

   天長節  4/29(→天皇誕生日)

   明治節 11/3  (→文化の日)

・宮中行事から 

   神嘗祭  10/17

   新嘗祭 11/23(→勤労感謝の日)

  神嘗祭と新嘗祭の違いや、前者か無くなった理由は、未調査である。

 

 我が国の伝統文化として、勤勉に働くことを善とし、休むことを悪としてきた価値観があるといえる。 

 これを反省し、終戦後は、土曜の半ドンをなくし、振替休日をとりいれ、祝日の間の日も休みとする一方、天皇にかかわる祝日が主だった四大節などの戦前の祝日に加え、以下のように、新憲法にかかわるものや、国民の厚生と労働かかわる祝日を増やしてきたことは、素晴らしいことだ。

  ・新憲法にかかわるもの

       憲法記念日 5/3 (公布の翌年、新憲法を施行) 

        文化の日 11/3 (明治節に合わせて新憲法を公布)

    ・厚生と労働にかかわるもの

      成人の日  1/第2月(今年は1/14)

      子供の日  5/5  (伝統的な、端午の節句)

      海の日    7/第3月(今年は7/15)

      山の日    8/11 (慣習的な、お盆休みに近い)

      敬老の日   9/15

      勤労感謝の日 11/23(新嘗祭を改称)

 

 今年の10連休で分かったことでもあるが、この辺で、増加路線で進めてきた休日の在り方について、働き方改革の一環として、ワークライフバランスを再評価する時期のように思える。 

 又、後期高齢者のカテゴリーに入るわが人生を振り返るに、仕事も子育ても忙しい現役時代を過ぎると、実感として、祝休日の意味が大きく変わり、年金をベースとした経済環境の中、リタイヤ後の自由時間を、健康で、生きがいを持って、どう生きるかが重要となることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成から令和へ  2

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2019年5月5日(日)  平成から令和へ 2

 

 5月1日の午前0時を期して、元号(年号)が、平成から令和になり、宮中では、新たな天皇が即位する儀式が執り行われ、テレビで流される市中のニュースからは、 新時代を喜ぶとともに、大きな期待が感じられ、昨日は、新天皇・皇后両陛下と皇族に対する一般参賀が行われて、皇居周辺は、大変な人出だったようだ。 この雰囲気は、筆者を含めて、現今の国内・国際の情勢を見る時、将来に対して漠とした不安があり、変化を求めている、ということだろうか?

先日、以下のブログ記事を投稿したところだが、

 平成から令和へ  1 (2019/4/30)  

天皇の代替わりに伴うさし向きの行事と10連休、祝休日に関するワークライフバランスの話題等を取り上げている。

 本稿はその続編で、天皇と元号の歴史等について取り上げている。

 

◇天皇制の始まりの頃

 日本の国は、何時頃、どのようにして始まったのか、史実としては、漠としているが、豪族・部族間の争いの中で次第に勢力を伸ばしたグループが天皇になったと考えられる。それを正当化するために、当時の超先進国だった中国から伝わった文字(漢字)をもとに、創世記としての国の始まりの神話(記紀:古事記 日本書紀)が、編纂されたと思われる。 この古代の神話、記紀に基づけば、天皇家は、天照大御神を始祖とし、神武天皇から天皇制は始まったとされる。明治時代になって、それが、西暦の紀元前660年になると推定され、この時を紀元として、我が国の歴史が始まるという「皇紀」を定めたようだ。

 更に、日本のスタートの期日まで特定し、2月11日を、紀元節と定めている。戦後に、紀元節は建国記念日となっているのは周知のことだ  昭和15年(1940年)が、皇紀2600年にあたるとして、大々的に祝ったようだ。(660+1940=2600)(皇紀2600年.url) この年は、筆者が生まれた1年後だが、知り合いに、ドンずばり、□□紀元という名前の人間がいる!

 天皇制が始まって暫くの間、神話の世界独特の曖昧さがあるようで、どの天皇から実在したかについては、初代から、10代から、15代、20代からなど、諸説があるようだ。 例えば、初代の神武天皇は、127歳までも生きたこととなり、いかにも不自然なことから、記述がフェイクニュースか、当時の暦は、長さが半分だった、との解釈もあるようだ。(天皇の一覧 - Wikipedia.url  など参照)

 神武から始まる歴代の天皇名を、大正初期に生まれた父は、以下のように、すらすらと諳んていたことに驚かされたものだが、学校で覚えさせられたようだ。

 神武:じんむ 綏靖:すいぜい 安寧:あんねい 懿徳:いとく 孝昭:こうしょう

 孝安:こうあん 孝霊:こうれい 孝元:こうげん 開化:かいか 崇神:すじん  ----。

 記紀に書かれている、歴代の天皇名は、誰によって、何時、どのように付けられたのだろうか? 中国の古典から取ったものと思われるが、難解な漢字も多いことだ。

◇天皇の系譜  飛鳥時代の神武天皇から始まる天皇の系譜は、古来、万世一系と言われ、奈良時代、平安時代、鎌倉時代までは良かったのだが、鎌倉の後期、朝廷が南北朝に2分して、天皇が並立し、元号も別々となった期間が、約50年間続いており、両朝廷は、再度一本化することとなる。   

 南北朝に分かれた原因についてはここでは触れないが、天皇の系譜という表面に、乱れが生じた訳だが、社会・経済的に見れば、構造的な変革の時代の始まりと言えるようだ。   南北朝時代を、地理的に言えば、京都に残ったのが北朝で、奈良の吉野山に構えたのが南朝である。又、この時代、皇統の証と言われる宝物(現在の三種の神器(刀 勾玉 鏡)の所在はどうだったのだろうか?     その後の、室町時代も安定せず、大混乱した戦国時代になり、安土桃山時代を経て、全国統一が実現していくこととなる。  

長く続いた天下泰平の江戸時代だが、幕末の内外の混乱を経て、江戸幕府から大政奉還が行われ、近代の明治政府が作られて、天皇を中心とする政治が進められた。

 南北朝対立以降、南朝と北朝のどちらが正統なのか、という論議 が、延々と繰り広げられている(正閨論)。明治に入って、天皇を担ぎ出す手前、これを確定する作業が進められ、大正末期に決着したようだ。 この結果、南朝が正統とされて、現在の宮内庁もこの立場である。  

宮内庁のHPでは、神武から令和までの天皇の系譜が示されているが、北朝の5代の天皇は、北朝として区別して表示されている。(天皇系図 - 宮内庁.url)  皇居前広場には、南朝の忠臣とされる、,武将楠正成の銅像(楠公像)が建っている。

これに基づけば、上皇(平成)は125代、今上天皇(令和)は126代となる。

 歴代の天皇名が、歴史の表に出てくる例は少なく、以下くらいだろうか。

  大仏の建設 聖武天皇 

  建武の中興 後醍醐天皇

  天皇親政  明治天皇

  昭和天皇  象徴天皇

 

◇紀年法と元号   

 年を数える方法を、紀年法というようだが、大きく、二つの方法があるようだ。(紀年法 - Wikipedia.url)  

●ある年を起点として年を数えるが、元首などが交代す度に起点を変える方法で、期間が有限となるもの(有限型)で、元号はこれに当たる。   

 元号は、、年号ともいわれるが、中国が本家で、前漢の武帝の時(紀元前115頃)から、元号が使用され、清朝まで続いたようだ。その後、戦争を経て、新しい政権下では、元号は使われなくなったようだ。  同じく韓国やベトナムでも、中国や日本の影響で元号が使われたが、大戦後などに廃止されている。(元号 - Wikipedia.url)  

 現在、世界で元号を使用している国は、日本だけという。 日本では、各種届出や運転免許証などの公式文書で使えるのは、今でも元号のみである。(例外的に、マイナンバーカードの有効期限だけは、西暦になっていた!)

●もう一つの方法は、一旦、起点(紀元)を決めると、半永久的に変えない方法(無限型)で、各年が一直線上に並び、一義的に指定できる。 主なものに、三大宗教の開祖にちなむ、以下があるようだ。

呼称    起点(紀元)        使用地域

西暦    キリスト紀元        欧米キリスト教諸国から世界各国

      キリストの生誕が紀元で、生誕前をB.C.、生誕後をA.D.と区別する。

 仏暦    仏滅紀元          仏教諸国       釈迦の入滅を紀元とする

 ヒジュラ暦 遷都紀元          ムスリム教諸国    

      メディナへの遷都が紀元   ヒジュラは遷都の意

皇紀    神武紀元          日本 (殆ど使われていない)  

      神武天皇の即位を紀元とする 

 呼称については、皇紀以外、ここでは暦法(次項参照)としているが、正確には、無限型の紀年法である。   

 ◇暦法  紀年法や元号と混同されやすいのが、暦法である。筆者自身も、暦法と紀年法を、これまでは混同していたようだ。

 暦法とは、一年をどのように区分して、月や日を数えていくかということだ。

暦法には、以下のようなものがある(あった)が、現在は、世界で、ほぼ100%、太陽暦のグレゴリウス暦が使われている。 

    ・太陰暦(月の運行を基本)

    ・太陰太陽暦(混合系)

    ・太陽暦(太陽の運行を基本)

          ユリウス暦  (1582年まで)

          グレゴリウス暦(1582年以降)  

グレゴリウス歴(西暦)は、欧米諸国で使われ、欧米以外の各国では、太陰暦など、独自の暦法も行われたが、大戦後に、ほとんどの国が、グレゴリウス暦を採用している。

 日本でも、明治5年の12月に、旧暦(太陰太陽暦)からグレゴリウス暦に切り替えている。太陽暦になったこの年の元号は、明治のままとしている。    

現代の中国、韓国も、基本はグレゴリウス暦で、ともに、元日は祝日だが、加えて、旧来の太陰暦の正月も健在のようだ。

太陰暦に基づいて、中国では、旧正月の春節のお祝いは盛んで、また、韓国でも旧正月(ソルラル)の祝日もある。(2019年韓国旧正月はいつ?ソルラル韓国事情まとめ )  

日本では、明治以降、グレゴリウス暦だが、少し以前までは、年中行事やお祭りなどは、新旧混在で、旧暦に基づいても行われていたのだが、最近は、新暦の日付で行うケースも多くなっていて、過渡期もそろそろ終わるだろうか?

◇元号の数  日本では、飛鳥時代の大化(西暦645年)から、中国に倣って、元号を使用していて、それ以降現在まで、連綿と元号を使ってきている。

各時代別の元号数をネットで調べると以下のようだ。(時代区分と元号の対応には、多少の違いがあるようだ)

元号数  飛鳥時代  5  大化ーーーー慶雲      

     奈良時代 12  和銅ーーーー天応

     平安時代 90  延暦ーーーー文治  

     鎌倉時代 66  建久ーーーー嘉暦

     室町・南北朝時代     北 40  元徳 正慶 建武ーー明徳

                  南 22    元徳 元弘 建武ーー元中ー応永‐ー文正

     戦国・安土桃山時代 15 応仁ーーーー文禄      

              江戸時代 36  慶長ーーーーー慶応      

              近現代   5  明治 大正 昭和 平成 令和

 元号の総数は、南朝系で252となり、北朝系では、更に、19(南との重複を除けば17)増えることとなり、大変な数になる。

各時代の元号には、歴史の転換点となった元号や、大きな事件が起こった元号もある。これらについては、次稿以降で触れることとしたい。

 西暦に対して、元号を含めて和暦という言葉もあるが、ややなじみは薄く、筆者には、和暦というと「六曜」などが連想される印象がある。

◇天皇と元号の対応関係  

天皇の数については前前項で触れ、元号については、前項で触れたが、天皇と元号との関係はどうだろうか。  

明治時代以降、天皇と元号を対応させることが原則となり、これを、一世一元の制というようだ。 江戸末期までは、一世一元ではなく、同じ天皇の代に、世の空気を換えるために改元したこともあるようで、一代の天皇で、元号が数度変わった例もあるという。逆に、天皇が変わったのに、元号が暫く変わらなかったという事例もあるようだ。

以上を纏めると、天皇名と元号数は以下のようになる。 

天皇名   126

元号数   252

 合計    378

 これらを、時間的に順序づけて、区別して覚えるのは、筆者にとっては至難の業だ。

◇余談  

 紀年法での数え方は、序数(/序数詞)であることから、0はなく、1から始まるので、元号は、〇〇元年となり、今年は、令和元年が大はやりだ。 

子供の年齢も、昔は、0歳がなく、誕生で1歳としたので、数え年と満年齢とややこしかったが、最近は、0歳も使われ、誕生日や歳祝いも、満年齢で行うことも増えてきている。

キリストの誕生が紀元の西暦も、1年からはじまることから、西暦での「世紀」の呼称も、0世紀が無く、1世紀から始まるという、ややこしさがある。 西暦2000年までは20世紀で、現在の21世紀は、2001年から始まった!

 

 


平成から令和へ  3-1

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2019年5月9日(木)  平成から令和へ 3-1 

 

 平成から令和への移行も重なった超大型連休も、先日の振替休日で終わりで、世は、通常の活動に戻りつつある。

これまで、当ブログに、以下の記事を投稿している。

 

   平成から令和へ  1 (2019/4/30)

   平成から令和へ  2 (2019/5/5)

 

1では、天皇の代替わりに伴うさし向きの行事と10連休、祝休日に関するワークライフバランスの話題を、2では、天皇と元号の歴史等についての話題を、取り上げて来たところだ。

 

 本稿はその続編で、令和の意味や典拠等について取り上げる予定だが、とりあえず扱いやすい、令和の漢字標記と、書体、ローマ字表記について、先行して触れることとしたい。

 

 

●漢字表記

  令和の漢字表記について少し調べてみた。漢和辞典の部首の、どこに入るのだろうか?

部首名一覧  参照)   

 

* 令の字は、漢字の構成で分類する場合の、「冠」(かんむり)の一種で、「人」の形をした、「ひとやね」と呼ばれる部首(にんべんの仲間)になるようだ。この部首の他の例としては、今、企、倉 等、多くがある。

  

  令の字の、4、5画にあたる部分は、部首名にもなっている、卩「わりふ」と似ているが、よく比べて見ると、上の部分が、少し違っているようだ。令は、上述のように、わりふの部首には入っていない。

 

  卩は「ふしづくり」とも言われるが、この部首には、印、卸などの漢字がある。卩の形は、昔、商取引で使われた、割符の形を現していると言われる。

 又、古い漢和辞典によれば、卩は部首だけでなく、節の古字とあり、セツと発音するようだ。     

 

* 和の字は、形を見て直感的に、漢字構成の「偏」(へん)の一種の、「のぎへん」の部首と思ったのだが、違っていた! 「のぎへん」の部首には、私 秋、など多いのだがーー。

 和は、口「くち」の部首になるようで、他には、右、台など多くの漢字がある。

  口が右側にあるので、口「くちつくり」(旁)という部首とも思ったのだが、この名の部首は無い。   

  一方、やや小さい口の字の、「くちへん」には、吾 君、哲 嘉 等、多い。

 

  前述のように、漢字をどのように分類し、どの部首に入れるかは、単純ではないようだ。たまたま知ったのだが、漢字 命は 、「ひとやね」でも、「わりふ」でもなく、口「くち」の部首になるという。また、漢字 問は、「構」(かまえ)の一種の「もんがまえ」でなく、「くち」の部首というのも、やや驚きで、ややこしことだ。漢字の成り立ちに遡って考える必要があるのだろうか。

 

  漢和辞典には、通常、見開きに、部首索引がついている。

 普段よく使っている新修漢和大辞典(S27 博友社)では、画数別に、計231個の部首が載っている(さらに、小さい見出しが41あり、これを含めると、272となる)。 

  

  中国には、漢の康熙帝時代に編纂されたという、「康煕字典」(こうきじてん)というのがあり、それには、214の部首が載っていて、日本を含めて、その後のスタンダードになっているという。PCでも、文字カテゴリの中に、「康煕部首」が入っている。

  この康煕部首と、上記の日本の漢和辞典とで、部首数がかなり異なっているが、具体的な関連は、今後の検討課題(F.S.)としたい。

  

  日本の漢和辞典では、多くの部首に、名前がついていて、上述の辞典の部首索引の裏面に、主な部首(150、小さい字の部首を含めて189)の名称が載っている。

  これによれば、「まだれ」、「ふるどり」や、「なめしがわ」、「きにょう」など、ユニークな呼称もある。

 さらに今回、ネットの漢和辞典(前掲の 部首名一覧. など参照)によれば、約400の部首名があることが分かった!

 「ひとやね」、「わりふ」の呼称は、今回、初めて知ったことだ。  

 

*漢和辞典

  中国から伝わった漢字文化は、これまでの日本文化の重要な基礎の一つであるが、現代中国では、画数の多い文字の、略字化が進められ、現代の日本では使われない、見慣れない漢字が多数ある。出発点は同根なのに、日中で、異なって変化してきているのだ。

 このことから、我が国の現代の漢字は、日本自身で責任をもって、メンテしていかなければならない。漢和辞典という呼称は、もはや馴染まなく、和文字辞典、日本文字辞典などとすべきかも知れない。 

  中国では、画数の多い漢字を簡略化する作業が進んでいて、従来の古い漢字は、繁体字(traditional)と呼び、簡略化した字体を簡体字(simplified)と呼んで、普及を図っているようだ。簡体字には、日本で作られた略字も含まれている場合もあるという。  

 一例を、以下に示す。

        

 

● 書体

  新元号「令和」の文字が、政府から公表された時の写真が図1である。

     

          図1                              図2

  

 令の字の形として、公文書や印刷物などでは、図2のようになっていて、「ひとやね」の下

に、横棒ーがあり、その下に、「わりふ」に似た形がある。 

 政府発表時に、官房長官の掲げたもの(図1)は、令の字が、いささか、違っいて、横棒

が点になっているようだ。

 又、通常の場合の令の字は、横棒は点で、わりふ部分は、カタカナのマのことが多い。

どれが正しいのだろうか?

 

 PCには、多くの書体・フォントが収容されているが、代表的な書体の例は、以下の様だ。 明朝体、ゴシック体は、畏まった形でやや硬く、通常、学校で習ったり、手書きで使うのは、馴染みやすい、楷書体や、教科書体が多いようだ。  

   

  

 政府発表時の書体の名称をネットで調べたところ、図3に示すように、草書体の一種で、

毛筆で書く場合の、「衡山毛筆」に近いようだ。(図は、「令」のページ - 文字拡大 から

引用) 残念ながら、手持ちのPCには、草書体のフォントは入っていない。

       

              図 3

   ネット情報では、令の字の書体は、どれでもいいというのが文化庁の見解とあるが、それならそうと、発表時点で、そのことを明確に示して欲しかったことである。 

 

●ローマ字表記

*RとLの発音とヘボン式の謎

 令和のローマ字表記は、REIWA とRから始まる。 

明治以降の元号は

   M T S H R

と重ならないこととなるが、明治36年(1903年)生まれ(116歳)が、日本人で世

界最高齢とあって、これだけ区別できれば十分だ。

 

  日本のローマ字表記は、ヘボン式で、ら行は、

  Ra、Ri、Ru、Re、Ro

となっている。

 Rの発音は、よく言われるように、巻舌を、上顎に着けないで発音するので、日本人には、

特に難しい。 

 英語を習い始めた時から現在まで、

    world、lightとright、leftとright、

などの発音では苦労したことだ。 

 自分の発音では、らりるれろ は、舌を上顎に着ける

  La、Li、Lu、Le、Lo

なのだがーーー。

 

 専門家の見解では、以下のようだが、筆者の発音の、具体的な改善にはつながらないことだ。(日本語の「らりるれろ」は英語の「ra」か「la」か より引用 )  

 

  アメリカ人である、考案者のヘボン氏が、なにゆえ、ら行を、Rでなく、日本人の発音により近い(と思える)Lとしなかったのか、以前からの大きな疑問で、今も変わっていない。

 

*ヘボン式の壁 

  ネットで見つけた、あるフランス人の話だ。フランスで生まれた子供の出生証明書の名前を「Lisa」とした人が、日本でのパスポート発行の申請時に、名前の表記を、ヘボン式の「Risa」にしないと受け付けられない、と言われたという。あわてて沢山の書類を取り揃えて、何とか、Lisaとすることが認められたという。

  パスポートの名前のLが、Rになっただけというが、当人にとっては重大問題だ。コラムの著者は、日本の例を出して、名前が「京子」なのに、同じ発音の「強固」にされるようなものだ、と憤慨している。

  我が国の後進性を示す、信じられないような笑い話がネットに載っている訳だが、上記の著者(日本・ドイツのハーフ)は、これを、「ヘボン式の壁」と、皮肉たっぷりに呼んでいる。(『ヘボン式』に悩むハーフ(日独ハーフの視点22)  

平成から令和へ  3-2

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2019年5月16(木)  平成から令和へ 3-2 

 

 平成から令和への移行も重なった超大型連休も、5月6日の振替休日で終わりで、世は、通常の活動にほぼ戻っただろうか。

これまで、当ブログに、以下の記事を投稿している。

   平成から令和へ  1   (2019/4/30)

   平成から令和へ  2   (2019/5/5)

   平成から令和へ  3-1 (2019/5/9)

 1では、天皇の代替わりに伴うさし向きの行事と10連休、祝休日に関するワークライフバランスの話題を、2では、天皇と元号の歴史等についての話題を、取り上げて来たところだ。 3-1では、令和の、漢字標記と、書体、ローマ字表記について、触れている。

  そして、4月1日に新元号が決まり、公布され、5月1日に施行された。施行とともに、新天皇が即位(践祚)し、新たな令和の時代がはじまって、まだ半月程である。

本稿では、本題である、令和の意味や典拠等について、取り上げることとしたい。

 

●令和の選択

  天皇の生前退位と日程が決まって以降、それに向けて着実な準備が進められてきた。

 天皇と元号とを対応させる原則から、新たな元号を決める必要があり、 下図に示すように、政府から、複数の学識者に作成を委嘱したようだ。 委嘱先は、明かさない原則だが、マスコミ情報では、国文学 中西弘氏、中国文学 石川忠久氏、東洋史 池田温氏の3名と言われている。

     

 委嘱者から提案された元号案が、関係筋で下記の6案に絞り込まれて、4月1日に開催された、上図の各界の有識者による「元号に関する懇談会」に提案されたようだ。 

   国書から3: 令和(れいわ) 英弘(えいこう) 久化(きゅうか)

   漢籍から3: 広至(こうし) 万和(ばんな)  万保(ばんぽう)

 会議での状況は、明確にはわからないが、令和の支持が多かったという。 

そして、同日開かれた閣議等を経て、官房長官から令和が発表され、5月1日から施行されることとなった。令和を提案したのは、万葉学者の中西弘氏と言われているが、明かさない原則になっている。元号は、これまで、漢籍から選択するのが慣わしであったが、漢籍でなく国書に基づく元号は、今回が初めてと言われる。 

 4月30日の夜は、年末のようにカウントダウンがあり、新しい時代である、令和に期待する盛り上がりがあり、このところ、各方面で「令和初」が多い一方、様々な出来事があった、平成を振り返る空気もある。

 皇室の行事等の動きも、国民にも良く見えていて、5月4日の一般参賀の人出は大変なもので、国民の皇室に対する深い思いが感じられる。 

又、13日には、秋の大嘗祭に使う米の生産地を選ぶ、「斎田点定の儀」(さいでんてんていのぎ)が皇居内で行われ、アオウミガメの甲羅を使った伝統的な亀卜(きぼく占い)によって、西の京都府と、東の栃木県が選ばれたようで、両県の知事と県民は大変な喜びという。

 

●令の漢字の印象 

 初めて「令和」と聞いた時は、特に、令は、変な字だナ、というのが率直な印象だ。

お決まりの手持ちの漢和辞典で調べると、令は

     オキテ ノリ オサ

とあり、

     命令 辞令 指令 令状 県令

など、厳格で、硬~い印象があるのだ。 

 でも、

     ヨシ

という意味もあり、他人の家族の尊称として、

     令息 令嬢 令夫人

などと使われ、救われる思いであり、

     令月 (よい月 和漢朗詠集)

もある、

 一方     

     巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょく すくなしじん)

という、印象の悪い熟語も思い出されるがーー  。

 

●令和の典拠

  「令和」の典拠は、『万葉集』の巻五の、梅花の歌三十二首の序文(「梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序」)である。

 以下の図左は、ネットで見つけた、序文の原文で、漢文で書かれているが、返り点などが、やや不鮮明である。諸本のどれからのものか、などは不明である。図右は後述。

     

        序文全体               令和関連(□ □)

 以下は、この序文の原文の説明で、万葉集入門:万葉集巻五(巻五の口語訳と解説を完全収録)から引用している。赤字、緑字は筆者。

 

(書き下し文)

梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序  

    天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。

  加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

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(現代文)

  天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。

  しかのみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

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(解説)

    この漢詩風の一文は、梅花の歌三十二首の前につけられた序で、書き手は不明ですがおそらくは山上憶良(やまのうへのおくら)の作かと思われます。
その内容によると、天平二年正月十三日に大宰府の大伴旅人(おほとものたびと)の邸宅で梅の花を愛でる宴が催されたとあります。(筆者註:天平は奈良時代初期)
このころ梅は大陸からもたらされたものとして非常に珍しい植物だったようですね。
当時、大宰府は外国との交流の窓口でもあったのでこのような国内に無い植物や新しい文化がいち早く持ち込まれる場所でもありました。

この序では、前半でそんな外来の梅を愛でる宴での梅の華やかな様子を記し、ついで梅を取り巻く周囲の景色を描写し、一座の人々の和やかな様を伝えています。
そして、中国にも多くの落梅の詩があるように、「この庭の梅を歌に詠もうではないか」と、序を結んでいます。
我々からすると昔の人である旅人たちが、中国の古詩を念頭にして「いにしへと現在と何の違いがあろう」と記しているのも面白いところですよね。

この後つづく三十二首の歌は、座の人々が四群に分かれて八首ずつ順に詠んだものであり、各々円座で回し詠みしたものとなっています。
後の世の連歌の原型とも取れる(連歌と違いここでは一人が一首を詠んでいますが)ような共同作業的雰囲気も感じられ、当時の筑紫歌壇の華やかさが最もよく感じられる一群の歌と言えるでしょう。

 

● 政府の思い入れ

 安倍晋三首相は、談話の中で、新元号「令和」に込めた意味について、

「悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めた」

等と語っている。

 国土、国柄を、やや、美化しすぎたきらいはあるが、新元号に込められた願いは明らかだ。ただ、梅だけを強調し、蘭には触れなかった理由は何だろうか。

● 漢詩風                                     

  前出の縦書きの原文(図左)から、令和に関連深い部分を、赤色枠(季節感)、緑色枠(梅と蘭)で抜き出し(図右)、横書きに直し、それを、四言絶句の漢詩風にして、覚えやすくしてみたものを、以下に示す。

 四言絶句  初春令月     気淑風和   梅披鏡前之粉    蘭薫珮後之香    

 音読み   しょしゅんれいげつ7 きしゅくふうわ6 ばいひきょうぜんのこ9 らんくんはいごのこう10

                                                (数字は語数)

 訓読み   しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ、

                         うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす。

 

 ネットを見ていたら、今人気の御朱印帳の、あまたの画像の中に、令和の典拠を示す、この漢詩風文言が印刷されているもの(下左浅草神社、右 菊田神社)がみつかり、嬉しくなったことだ。

     

 

あんパン

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2019年6月4日(火)  あんパン

 

 あんパンが大好きである。

以前、整形外科病院へ通う路の途中に、巨大なあんパンを売る店があり、よく買ったものだ。最近では、近くのスーパー等に行った時に、通常の食パン類の他に、さくらあんパンや、小さなあんパン5個入りの袋を買ってきて、おやつとして食べることが多い。

  この春、家族で、銀座4丁目に出かける機会があり、久しぶりに、中央通りに面したパンの木村家に入り、色んなパンを手に入れたことだ。もちろん、かの有名な「あんパン」もである。

        

     木村家入り口(木村屋の看板は右から)(木村屋總本店 - Wikipedia より) 

 ●創業150年

 木村家は、創業者が、明治2年(西暦1869年)にパン業を初めて、今年は、ちょうど、150周年という節目に当たるようで、大々的なキャンペーンを行っていた。    

 言うまでもなく、江戸時代までは、我が国では米食が基本であり、うどん、など小麦の食品も普段に食べてはいたが、パン食は無かったと言える。

 それが、明治が始まってすぐの明治2年に、文明開化の波に乗って、創業者の木村安兵衛がパン屋を始めたというのは、“これからは、ハイカラなパンが流行る”と読んだ、大変な見識とも言えようか。が、一方で、新しい食文化の先が見えない、大きなリスクも、覚悟していたと思われる。

 

 木村家についてネットで検索していたら、木村屋総本店のWikipediaなどの他に、以下の、面白い記事が見つかった。

 木村 美貴子×高嶋 ちさ子  GINZA OFFICIAL – 銀座公式ウェブサイト   木村屋.mht
これは、バイオリニストの高嶋ちさ子さんが、銀座周辺の面白い店を訪ねるインタビュー記事のようで、今回は、銀座木村家社長の木村美貴子さんとの対談記事である。 この対談記事から、今回、多くの情報を借用させて頂いている。

 

 創業者は、長崎の出島に来ていたオランダのパン職人から、製法を教わったという。

開業当初、どんなパンを、どのようにして焼いたのかは不明だが、「あんパン」は、開業数年後の明治7年には開発され、時の天皇に献上したところ好評だったことで、大変な人気を得たという。

 小豆をもとに作る餡の製法には、日本には、長い伝統があり、この餡を、パン生地に包み込んで焼く、あんパンが発明されたという。

    

        酒種あんパン(ネットより) 

●パンの製法

 いうまでもなく、パンは、長い歴史と伝統がある西欧の文化である。 現代は、パンの製造には酵母菌のイーストを使うのが普通だが、明治初期には、イーストが日本では手に入らなかったようだ。あれこれ試行錯誤を重ねて、昔からあった酒饅頭の製法からアイデアを得て、天然酵母の一種である、酒種(さかだね)酵母からパンを作る製法を編み出したという。木村家では、現在もこの製法が続けられているようだ。この酒種を管理・調整する、種師(たねし)という職人のもとで、毎朝米を研ぐ作業が行われているという。

  

 醸造は、人類にとっての超巨大な分野で、日本では、伝統的に、酒、味噌、醤油、酢、納豆など、お馴染みである。近代では、ビール、ワインなども行われ、裾野は広大だ。これらは、酵母菌という微生物の成せる技である。

 パンに関連する天然酵母には、世界には、以下のようなものがあるという(パン辞典 パンの原材料 酵母|コガネパン.url

  

 国     天然酵母    用途  食品 等

 ドイツ   ライサワー種  ライ麦パン

 イタリア  パネトーネ種  パンドーロ コロンバ

 日本    酒麹種     甘い菓子パン(あんパン)

 イギリス  ホップ種    ホップの苦み 抗菌作用

 中国    老麺種     蒸し饅頭 脂っぽい餡とマッチ

 

 最近は、天然酵母という言い方は禁止されて、パネトーネ種などと、種類名で呼ぶようだ。酒種酵母でつくるパンには、日本人にとっては、自然なおいしさや、懐かしい味があるだろうか。

 

●グループの体制

 木村屋総本店は、有明に本社があり、創業者から7代目にあたる木村光伯氏が社長のようだ。大型店(デパート スーパー コンビニなど)が主な納入先という。

 一方、銀座にある銀座木村家は、総本店とは別会社で、あの場所が本社で、守備範囲は、銀座店のみという。現社長の木村美貴子氏は、総本店の社長とは、姉と弟の関係になるという。 グループ内の2社の社名が、木村屋と木村家と別なのは、やや紛らわしい。       

 パンの製造は、グループでは、関東周辺の工場で行っているようだが、対談記事で、現在の銀座のピルの7~8階のフロアでも、長年製造を行っている、というのは驚きである。

 記事では、冗談に、あの場所の地価を考慮して値段をはじくと、あんパン一個が、5000円にもなるとある!

 でも、パンという小型の製品を、同じビル内で製造販売をやることは、コストが安くなるメリットも大きい訳で、パンならではのことだろうか。近隣には、パンの製造も行っているパン屋は多いことだ。

 

●銀座での商い 

 少し前の、あるテレビの番組で、銀座の3人の女社長の紹介があった。 本稿の木村美貴子氏に加え、美容室と、呉服屋のオーナー社長だったと記憶する。 今にして思えば、あの人達は、対談記事にある、銀実会のメンバーと思われる。

 これらの店は、伝統に加えた新たなセンスで、天下の銀座でチャレンジしている訳だが、若い人達や外国人観光客に人気という。令和の時代、大いに活躍してほしいものだ。

 

 

 現在、我が家では、朝は、パンとコーヒーが定番であるが、パン食が、我が国の食文化にどのように浸透してきたのか興味のあるところである。

 また最近は、世界各地のユニークなパンを、居ながらにして味わえるのも楽しみである。

これらについて、機会があれば、取り上げてみたいと思っている。

 

皇室とイギリス王室

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2019年6月11日(火)  皇室とイギリス王室 

 

 

 このところ、当ブログに

   平成から令和へ  1  (2019/4/30)

   平成から令和へ  2  (2019/5/5)

   平成から令和へ  3-1  (2019/5/9)

   平成から令和へ  3-2  (2019/5/16)

の記事を投稿し、新たな時代について取り上げてきたところだ。 

本稿は、これらの続編であり、皇室とイギリス王室や他の王室との比較などにより、我が国の皇室の今後について話題とし、締めくくりとしたい。

  

● 日本の皇室

  日本では、4月30日に前天皇が生前退位し、翌5月1日から新たな元号令和となり、新天皇・皇后に代替わりして、日々、状況が伝えられているところで、上皇・上皇后の出番も、すこしづつ増えてきているようだ。

 新たな皇室の構成は下図の通りである。(図は【図解・社会】今後の皇室の構成(2019年5月) より引用)

       

  図のように、皇族の範囲には、上皇さまの父である昭和天皇の、弟君になる三笠宮グループが含まれる。

 日本では、皇位継承順位は、皇位は男子のみとされていることから、図のように、新天皇・皇后の、直系の愛子さまには継承権がなく、継承順位1位は秋篠宮で、皇太子ではなく皇嗣となっている。

 更に、秋篠宮の二人の娘 真子さま、佳子さまにも継承権がなく、第3子である男子の悠仁さまが、順位2位となる。

  

● イギリスの王室

 イギリスは、Brexitで大きく揺れていて、メイ首相が、つい先日の6月7日に保守党党首を辞任し、後任選びの選挙戦に入ったところだが、イギリス王室の後継問題の方は、賑やかである。 

 周知のように、現在のエリザベス二世女王は、93歳と高齢なのだが健在で、代替わりがどうなるのか、専らの話題だ。 典型的な立憲君主制の手本でもある、イギリス王室の王位継承順位等について調べてみた。

 ネット情報では、王位継承順位は以下のようだ。継承権のない数人を含めて、王位継承順位は、①~⑳まで存在するようで、彼我を比べた場合、王室一族のすそ野の広さに驚かされる。(図は、英国王室の王位継承順位 1位 チャールズ皇太子  を参照)

 

 

 イギリス王室で、現在、女王の第一子のチャールズ王子は、順位①の皇太子であるが、70歳と結構な年齢である。(日本で、先だって皇位についた皇太子は、53歳である)。

チャールズ皇太子は、来日したこともあるダイアナ妃と結婚し、ウィリアム、ヘンリーの2人の王子を設けたが、ダイアナ妃を交通事故で亡くした後、再婚したが、今は離婚しているという。

 女王が亡くなった場合、皇太子が王位を継承する事となるが、年齢もありごく短期間になって、順位②の、人気の高い現在36歳のウイリアム王子が王位を継承する公算が大のようだ。

 

● 長子相続制

 イギリス王室について、ネットで調べていて、最近、大きな制度変更があったことを知った。即ち、2013年に裁定された、王位継承法の改正(施行は2015年)である。

 イギリスでは、周知のように、エリザベス女王のように、女子も女王につくことはできたが、兄弟姉妹間では、男子が優先されてきたようだ(男子優先の長子相続制)。それが、この法改正で、王位継承順位が、性別に関係がない、「絶対的長子相続制」になったようだ。英王室での、男女平等が進んだといえる。

 この法律は、2011年以前の過去に遡って適用されることは無いため、エリザベス女王の第2子のマーガレット王女は、上図では、弟である、第3子のアンドリュー王子、第4子のエドワード王子よりも、順位は低いままである。

 一方、ウイリアム王子の第2子のシャーロット王女に、初めてこの法律が適用され、その後生まれた第3子のルイス王子に順位は抜かれることはない。

 

 欧州には、女王を認めている国として、イギリス、オランダ、ベルギー、デンマーク、スペイン、ノルウエー、スエーデンがあり、イギリス、ベルギーは現在、女王である。

 これらの諸国では、近年、王位の継承にあたって、これまでの男子優先相続制から、性別に関係がない、長子相続制に変更されてきており、イギリスの法改正も、その流れの一環のようだ。スペインだけが、変わっていないようだがーーー。

 近い将来、これらの諸国で、新たな女王が誕生しそうという。( 以上 なぜヨーロッパでは女王が続々誕生するか を参照)

  

● 皇室の構成

 皇室典範で、皇族の範囲が決められていて、現在の皇室の構成は、前述の図になる。

この中で、秋篠宮の二人の未婚の内親王と、三笠宮グループの3人の未婚の王女方は、結婚すれば(降嫁)、皇籍から外れることとなる。

 これまでに皇籍を外れた人たちを含めた、やや古い平成時代の皇室の構成図を下に示す。

   

図中の絢子さまは、現在は皇籍を離脱し、守屋綾子さんとなっている。

 

● 皇統の維持

 現在の雅子皇后が、結婚して皇太子妃となり、愛子さまを出産した時は、先に生まれていた秋篠宮と紀子さまの二人の子供も、女子だったことで、国内では、かなりの、失望が走った。その後の雅子妃の体調が悪く、第2子の期待もできなかったことだ。

 また、三笠宮グループでも、先行した子女も、先述のように女子の子供(王女)だけであった。

 こんなことから、場合によっては、女帝も必要なのでは、との機運も生まれ、学識経験者による検討の場も設けられたりしたのだが、秋篠宮に第3子の悠仁親王が誕生した途端、淡雪のごとく、この論議が姿を消し、立ち消えとなった!

 我が国での男子優位の根幹をなす皇室で、男女平等が実現するきっかけになるかもと、筆者は期待していただけに、議論の底の浅さを痛感したことだ。

 令和の現在も、皇室の後継問題の深刻さは何も変わっていない。悠仁親王が成人して今後結婚し、男子が生まれなければ、皇室典範を変えない限り、皇統は断絶し、皇室はアウトとなる!

 

伝統的に、男子相続制をとっている日本の皇室だが、仮に、前述のイギリスの新しい制度、絶対的長子相続制を、愛子さま誕生時点で、日本の皇室に機械的にそのまま適用してみる。その結果、皇位継承順位は、 

    ① 愛子さま

    ② 秋篠宮

    ③ 悠仁さま

    ④ 真子さま

    ⑤ 佳子さま

    ⑥ 常陸宮

のようになる。③の悠仁親王は、2011年以降生まれであるため、④、⑤の順位は変わらない。 

このように、日本でも、女帝(女性の天皇)が実現することとなる。

 

 我が国では、過去に、女性の天皇も存在した言われるが、ここで、簡単に、調べてみた。

125代になる、令和の今上天皇までの天皇の歴史の中で、女性の天皇は、以下のように、10代存在したようだ。( 女系天皇 - Wikipedia.url 参照) 

飛鳥・奈良時代

  33代 推古天皇 (初の女性天皇)

  35代 皇極天皇

  37代 斉明天皇 (重祚 皇極天皇が再度)

  41代 持統天皇 (小倉百人一首で有名)

    43代 元明天皇、44代 元正天皇、46代 孝謙天皇、48代 称徳天皇(重祚

        孝謙天皇が再度)

江戸時代 

 109代 明生天皇、117代 後桜町天皇 

である。 

 でも、細部は調べていないが、これらの天皇は、時の皇族の配置や政治状況等により、女性が担ぎ出されて天皇になったケースが多いようだ。

 天皇に即位して一旦退位後、再度、天皇になる重祚(ちょうそ)が、これまで、2度あるが、どちらも、女性天皇で起こっている。上記のように、皇極・斉明天皇、孝謙・称徳天皇である。

 紛らわしいことだが、これらは「女性天皇」ということで、「女系天皇」とは明確に区別されている。

 イギリスのように、日本でも、女帝(女系天皇)が生まれるには、男系相続制から、女系相続制も含めた、長子相続制に変えるという、大転換が必要なのであろう。

 又、前図には、内親王、女王が御3方がおられるが、降嫁して皇籍から外れることで、皇族の数が先細りする可能性があり、これをカバーするためには、女性宮家の創設も必要と言われている。

 

 世界では、欧米を中心に、王が権力を握っていた時代から、次第に人民の方に権力が移った民主主義が中心になってきていて、王制を廃止して大統領を作った国もあり、元首である王や大統領は、アクセサリーのように形式的な存在になっている面があ 

 立憲君主制のもと、象徴天皇を抱く我が国の将来は、どのような方向をめざすのか、今後の動きが注目されるところだ。

 

 

 

「余談」 皇室用語

 皇室関連の用語には、聞きなれない難解な用語がある。

  践祚(せんそ) 天皇の位(祚)を、受け継ぐ(践)こと  

  重祚(ちょうそ)天皇になって退位した人が、再度天皇になること (本文にもあり)

  薨御(こうぎょ)天皇が亡くなること  崩御とも

  降嫁(こうか) 皇女から臣下(皇族以外の男性)に嫁ぐこと

  女王(じょおう)天皇に近い子女を内親王といい、遠い子女を女王と呼ぶ

 

 

 

シャンシャン  2歳

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2019年6月17日(月)  シャンシャン 2歳

 

 

 先日の6月12日は、上野動物園の人気物、ジャイアントパンダ シャンシャン(香香)の、満2歳の誕生日で、大変な人出があったようだ。

 上野は、自宅から比較的近いこともあり、息子達が幼い頃は、何度も行ったりしたので、上野とパンダには、特別な親近感がある。

 

 当ブログには、これまで、シャンシャンに関して、以下の2件の記事を投稿している。

①  なんとも可愛いシャンシャン  (2017/3/2)

②  シャンシャン、1歳の誕生日  (2018/6/12)

 

本稿では、パンダについて、①、②にも触れながら、久しぶりに、取り上げることとしたい。

 

● シャンシャンの成長

生まれた時は、体重が147gしかなかったシャンシャンだが、順調に成長して、この5月には、61.5kgと、約420倍にも増えている。でも、母親のシンシンの体重の約半分程で、まだまだ、成長し、大きくなるようだ。

昨年12月頃からは、独り立ちに向けて、母親とは、少しづつ、部屋を別にしながら暮らしているようだ。

パンダは、殆ど、笹や竹しか食べないという、極端な偏食であるため、飼育での食材の確保が大変なようだ。先月公開された下図では、タケノコを、おいしそうに食べている。

    

  (シャンシャン、順調に成長 人工ミルク卒業へ - 産経ニュース より 引用)

シャンシャン誕生までの涙ぐましい苦労については、何度も失敗を重ねた大変な歴史があり、これについては、②で詳しく触れているので、ここでは省略する。

 パンダ舎には、生まれた時からのウンチが展示されているようだ。先日、民放のTV番組では、レポーターが特別に、出来立てのウンチの臭いを嗅がせてもらっていたが、レポーターの感想では、特段に臭くはなく、笹のかおりがした、という。

 

 我が家のトイレには、上記の記事、①、②にあるが、可愛いシャンシャンの写真が数枚、今も貼ってあるのだが、一部を、上の2歳の写真に変えようかしらん?

 

 ●パンダの体毛パターン

 ①でも触れたが、パンダのなんとも言えない可愛さには、以下のような色んな理由が

あるだろうか。

   ・独特の体毛のパターンが、ぬいぐるみのような印象がある。

   ・平和的でおっとりとした性格で、動作がゆったりしている。

   ・熊の仲間だが、獰猛さはない。昆虫なども食べるが、笹類が主食で肉食ではない。

珍獣パンダは、中国からの最高の親善大使と言え、世界的に人気がある。

  

 筆者には、どの個体も同じにみえることから、①では、人間から見た個体識別の難しさについて触れている。でも、体毛の色などが、種族共通に同じパターンなのは、自然界では、むしろ普通だろうか。(ペットの犬や猫で、パターンが多様なのは、人工によるもので例外的だろう)  

 例えば、ホッキョクグマは、どれも真っ白で、クマ同士でも個体の区別が難しそうだし、又、南極にいるペンギンも、どれも同じ模様に見える。ペンギンで、海に出かけていた親と、陸地で待ちわびた子が、巨大な集団の中で、どのようにして出会えるのかは気になるところだ。

 でも、ホッキョクグマも、ペンギンも、パンダも、視覚による識別に加えて、鳴き声の違いや、臭いの違いなどで区別しているのだろうか。

これらの識別問題は当事者に委ねることとして、ここでは、パンダ種族に共通の、あのような体毛のパターンが、どのようにして生まれたのか、について、下記サイトの情報 等を基に、考察してみた。(ののちゃんのDO科学「パンダの模様は、どうして白黒?」)

 

●種族共通のパターン

 どのパンダの体毛も、よく見ると、以下のようなパターンになっていて、殆ど区別がつかない。下線部分は、今回、よく分ったこと。

 頭部   全体が丸く白い

      目の周りが黒く、たれ目(疑似目?)

      耳だけ黒い

      鼻先は黒い

 胴体   全体は白

      両腕・両手は黒く、黒い模様が背中を回って左右つながっている

 腰腿      白い 脚は膝から下が黒い

 尻    白い 尻尾も白い

  

●パターンの意味するところ

 上記サイトによれば、パンダの体毛のパターンの意味するところについて、色んな調査・研究が行われて、仮説が提唱されているようだ。

下図の左は、サイトにある図で、パターンの意味についての各説を整理した図だ。 

    

  ・全体が白いのは、高山地帯の雪模様に対する適応(雪の白に合わせて目立たないように)

 ・両前足や両脚が黒いのは、森林地帯への適応(森の日陰や夜に目立たないように)

 ・耳が黒いのは他の個体に対する威嚇

 ・目の周りが黒いのは、雪からの反射光から目を守る/個体間による認識用?

 ・模様の違いで相手を見分ける

としている。 上右図は、立って歩く姿がわかるので、ネットの他のサイトから引用した。

 

 このようなパターンになっているのは、種族の長~い歴史の中で、大きな環境変化が起こり、高山の雪の環境と、森林の森の環境の、双方に適応せざるを得なくなり、現在のような模様になった、という仮説のようだ。

 上記サイトの著者は、バニラアイス(雪環境)とチョコレートアイス(森環境)を例にあげて、仮説を説明している。

         

●ワシントン条約

 ②で触れたように、中国からのパンダは、当初は、贈与だったのだが、その後、ワシントン条約で、絶滅危惧種に指定され、種の保護のため、国際的な取引が禁止されたことから、貸与に変わって来ている。 現在は、学術目的の貸与となっており、上野も、和歌山も、親も子も借り物で、返却しなければならない約束だ。

 ・期間延長 

 シャンシャンの2歳の誕生日を前にした、この5月31日、嬉しいニュースが流れた。 もっと日本に居て欲しいという、多くのファンからの切なる要望を踏まえて、東京都の小池知事が中国と交渉の結果、満2歳になったこの6月頃だった返還期限が、東京オリンピック終了後の2020/12末頃までに延長されたのである。このところの、良好な日中関係を反映した結果と思われる。(シャンシャンもうすぐ2歳「来年12月まで期間延長」レンタル料はどうなる?

年間95万弗(約1340万¥)の料金を、東京都が中国に支払っているのだが、今後、1年半の延長分の料金は、下記のイ~ハのいずれになるのだろうか。

               イ 無料

               ロ 平年並み料金

               ハ 延長割り増し料金 

マスコミ報道では、ほぼ、イと思われるが、ロもあるかもしれない。

  一方、両親である父リーリー、母シンシンの貸与期間は、2012年から10年間で、2022年が期限であるが、もともと、レンタル料は、両親の貸与分だけで、生まれた子供の分は、満2歳時に返還されれば、無料ということだったかもしれない。

 

・里帰りの夢 

②で、筆者の一つの目標として書いたのが、シャンシャンの里帰りである。

シャンシャンにとっては、(本人?に)聞くまでもなく、上野で単独で遊ぶよりも、本国へ戻って、多くの仲間たちと一緒に暮らしたい筈だ。

オリンピック後、中国へ戻り、立派な大人となって、再び、婿さん同伴で実家(日本の上野)に里帰りし、待望の子供を産むというのが、筆者の夢なのだ。その頃は、実家の両親は、日本で健在かどうかは定かではないがーー。 

 いずれにしても、夫婦で傘寿を迎えた身だが、それまでは、何とか長生きしたいものである!

 

 

 

 

フランスばやり  その1

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2019年6月22日(土)  フランスばやり   その1

  

 

 このところ、フランスで開催される、スポーツ大会や文化イベントなどの話題が多く、フランスばやり、の状況である。

 

さし向きのイベントは以下だ。

①アニメーションといえば、目下、NHKの朝ドラ、「なつぞら」で話題になっているが、

 先日、アヌシーで、国際アニメーションー映画祭が開催された。

 

②モータースポーツファンにはたまらない、伝統的な24時間耐久レースが、ルマンで開 

 催されている。

 

③サッカー男子では、Uー22クラスのトゥーロン国際大会が先日終わったところだ。

 

④サッカー女子では、W杯の予選リーグが進行中で、日本代表の「なでしこ」は、パリで 

 のアルゼンチン戦、レンヌでのスコットランド戦、一作日20日朝の、ニースでのイン

 グランド戦を終えて、決勝トーナメント進出となった。 次試合の開催地は、レンヌの

 ようだ。

 

イベントの開催地は、よく知っている所もあれば、名前がよくわからず、場所も言えないところもある。この状況は、地理好きの筆者には、フランスのことを知るいい機会でもある。

 本稿では、各イベントの内容について、大まかに触れるとともに、合わせて、フランス全般について、順次、取り上げていくこととしたい。

 

 

◎イベントの開催地

 これらの開催都市を調べるのに、思いついて、ネットにあるフランス自慢の高速鉄道網(TGV)を見たのだが、幸いに、全部が載っている! (下図 ネットより)

以前、スイス・ジュネーブでの国際会議への出席後に、パリ見物をしたいと、ジュネーブから、リヨンを経由してパリまで、TGVに乗ったことがある。当時の列車の速度はよく覚えていないが、通常の特急電車並みだっただろうか。 

 

 

   フランスでのイベント開催地とTGV網

 

 図では、開催都市を赤〇で示している。パリ、ニース以外のフランスの主要都市である、リヨン、マルセイユを、参考として、青〇で示している。

  アヌシーは、リヨンの東部

  トゥーロンは、マルセイユの東部(ニースの手前)

  ルマンは、パリのほぼ西部

  レンヌは、パリのほぼ西部(ルマンの更に西)

 

上図のTGV網をみていると、パリを中心とした鉄道網が、東西南北方向に、放射状に広がっている感じで、一極集中ともいえる。 パリの市内が、凱旋門を中心にして放射状になっているのと、似ている印象である。

 

 

 

◎イベントの概要

①アヌシー国際アニメーション映画祭 

 権威と伝統を誇るカンヌ映画祭は、大戦後の1946年から始まっているようだが、1960年に、アニメ部門が分離独立して、アヌシー映画祭は始まったようだ。 当初は隔年開催だったが、暫くして毎年になっていて、今年で43回目を数える。世界的に見て、アニメ部門では、突出した存在となっているようだ。

日本の作品では、これまで、長編部門で、

  1963年 紅の豚 

  1965年 平成狸合戦ぽんぽこ

  2017年 夜明けを告げるルーのうた

がグランプリを受賞している。

今回、日本からの作品は、長編部門で3本*(全8本中)、新設された、コントラシャン部門(実験的・革新的表現)で1本**(全8本中)ノミネートされた。

先日の6月15日、審査結果が発表されたが、残念ながら、日本作品は賞を逃している。どれも見てはいないが、映画作品のテーマや視点が多様化しているだろうか。

    *  きみと、波にのれたら

       バースデー・ワンダーランド

       あした世界が終わるとしても

    ** 海獣の子

 

世界には、三大映画祭なるものがある。 これまで、日本からの多数の作品が、最高賞を受賞していることだ。

 カンヌ映画祭    地獄門、影武者、楢山節考、うなぎ、万引き家族

          (カンヌは、南仏コートダジュールの町 前図でニースの直近)

 ベルリン映画祭  武士道残酷物語、千と千尋の神隠し***            

 ベネツイア映画  羅生門、無法松の一生、HANAーBI                                                  

  

       かおなし(千と千尋の神隠し)

  日本には、芸術活動などで、外国で認められて箔を付けたい、との舶来志向が未だにあり、換言すれば、文化面での後進性でもある、と言えるかもしれない。

アニメの世界でも、素晴らしい技術をつかって、いい作品をつくるのだが、世界から作品をあつめて、コンクールをやるという「舞台作り」役は、あまり得意ではないようだ。

これで思い浮かぶのは、テニスのウインブルドン大会だ。最近は、イギリスのプレーヤーが優勝することは殆どないが、テニス4大大会の最高の舞台として、頑として、伝統を守り主催し続けてきている姿勢は、敬服に値することだ。

 

〇アヌシー

  アヌシーは、オーベルニュ・ローヌアルプス州に属していて、人口12,4万(2014)程で、アルプスに囲まれた、アヌシー湖湖畔の町。ジュネーブとの関係が深いようだ。モンブラン山、シャモニーも近隣である。

 2018冬季オリンピックに立候補したが、韓国のピョンチャン(平昌)に敗れているようだ。 

 

 

 

フランスばやり  その2

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2019年6月26日(水)  フランスばやり   その2

 

 

 フランスでの最近のイベントの話題の中で、先日、以下の記事、

    フランスばやり  その1  (2019/6/22)

を投稿し、◎イベントの概要 として、① アヌシー国際アニメーション映画祭 を取り上げたところだ。

本稿は、前稿に続くもので、2件のイベントについて触れることとしたい。

 

(今朝早く、アヌシーで行われた、女子W杯の決勝トーナメントのオランダ戦を観たが、惜しくも、1-2で敗れ、ベスト8への進出はならなかった。いずれにしても、次稿で取り上げる予定だがーー。)

 

 

②男子サッカートゥーロン国際大会

 この大会のことは、あまり話題にならなかったことから、TV中継で実際に観たのは、決勝戦だけである。以下は、ネットで調査した情報をもとに纏めたものだ。(トゥーロン国際大会 - Wikipedia など参照)

 

 この大会は、2019/6/1~6/15の間、南仏のトゥーロン周辺で開催された。世界から集まった代表は、ヨーロッパ地域の4チーム(フランス、イングランド、ポルトガル、アイルランド)、アジア地域の4チーム(日本、中国、カタール、バーレーン)、北中米地域の2チーム(メキシコ、グアテマラ)、南米地域の2チーム(ブラジル、チリ)の12チームである。 

 選手の年齢制限については、変遷があり、現在はU23となっているようだが、チームによるばらつきもあるようだ。ナショナルチームのベストメンバーではないようで、若手選手を育成・発掘する見本市的な場にもなっているという。

 試合形式は、各ブロック4チームづつ、A、B、Cブロックに分かれて、予選リーグを戦う。 そして、各グループの1位の3チームに、最も成績が良かった2位の1チームを加えた4チームで、ノックアウトステージ(決勝トーナメント)を戦うものだ。

 

 予選リーグの結果は、Aブロック1位は日本(僅差で1位)、Bブロック1位はブラジル、Cブロック1位はアイルランドとなった。これに2位で最も成績が良かった、メキシコを加えた4チームで、以下のように、ノックアウトステージが戦われ、決勝戦は、トゥーロンで行われた。

 

   準決勝    日本ーメキシコ       日本が決勝へ

          ブラジルーアイルランド   ブラジルが決勝へ

   決勝     日本ーブラジル

   3位決定戦  メキシコーアイルランド

 

 ステージの組み合わせと対戦結果を示したのが、下図である。

     

 

 日本とブラジルとの決勝戦は、前半は、ブラジルが得点し0-1だったが、後半、日本が追いついて1-1で延長戦に。でも、延長戦でも決着がつかずPK戦に。

PK戦は、双方、4人目までが成功したが、キッカー5人目で、ブラジルは〇で、日本が×となり、5-4で、日本が惜敗した。 いつもながら、わくわくするPK戦であった。

 

  トゥーロン国際大会は、1967年から始まった、フランスがホスト国の大会で、これまで、47回を数える。1977年大会からは、FIFA公認となっている。

  日本が初めて参加したのは、2000年からという。これまでの日本の成績だが、2008年、準決勝に進んだが敗れ、3位決定戦にも敗れている。今回は、決勝まで進出し、PK戦で敗れたものの、準優勝というのは、大変な快挙と言えるようだ。                   

  

 ◎トゥーロン

 トゥーロンは、プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏(首府はマルセイユ)内にあるヴァール県の県庁所在地。人口は16.5万人

 現在、フランス海軍第一の軍港で、関連産業が集積・発展しているという。 有名な小説「レ・ミゼラブル」の主人公が収容されていたという、架空のトゥーロン刑務所がある。

 

 

 

③ルマン24時間レース

1923年から始まったという、歴史と伝統のあるモータースポーツの大会だ。

期日 6月16日(日)

時間 スタート15時~翌17日15時終了までの24時間

   註 ヨーロッパには、以下の、3つの標準時があり、しかも、今は夏時間中(+1)

      西ヨーロッパ標準時   WEST イギリス、ポルトガル(GMTとも)JST-9(+1)

      中央ヨーロッパ標準時 CEST フランス、ドイツ等の大半の欧州  JST-8(+1)

      東ヨーロッパ標準時  EEST フィンランド、ギリシャ等     JST-7(+1)

エントリ 4クラス 62チーム(日本から LMP1クラス 2チーム)

 

コース コースは、ルマン市の郊外に、1周13.626kmの下図のようなコースを設ける。驚いたことに、

    コース全体の2/3程は、普段は公道として使われている部分をレース用に閉鎖し、レース期間中だけ

    臨時のコースに転用しているようで、フランスのイベント好きの国民性のようなものを感じる。

     下図の黄色線を大まかな境界として、左側が常設➡であり、右側が臨時➡となるようだ。

    常設部分は、図の左下に点線で示されているように、ブガッティサーキットとして使っているコースの一部

    で、ピット施設や観客席がある。

      (以上 サルト・サーキット徹底解剖「名勝負の舞台、ル・マン24時間サルト・サーキット - Wikipedia 参照) 

   

       サーキットの概要:➡常設部分 ➡公道転用部分

2019年のレースは、日本勢にとって、極めて嬉しい結果となったようだ。

  トヨタが1位 2018年に続き、同じメンバーで連覇する、初の快挙。

  周回数は、385周で、総走行距離5246.10km 単純な平均時速 218km/h

   

      勝利を喜ぶトヨタチームの3人のドライバー(中央 中嶋)(ネットより)

 

 世界のモータースポーツの3大レースとして、ルマン24時間レースに加え、以下が毎年、開催されている。          

     インディ500  1911年~  アメリカ インディアナポリス

              1周2.5Mを200周⇒500M(約804km) 

              2017年 優勝 佐藤琢磨 所要時間3h13m

     モナコグランプリ 1929年~  モナコ モンテカルロ市街地コース  

              1周3.340kmを78周⇒約260km

              2019年 1位の所要時間1h43m 

  

 これら3レースを比較する時、ルマンは、総走行距離といい、時間も24時間で、夜も徹して走って競い合うという、耐久レースの桁違いの凄さを痛感させられる。

 

◎ル・マン市:ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏(首府 ナント)に属するサルト県の

       県庁所在地 

       人口 14.2万人


フランスばやり  その3

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 2019年7月2日(火)  フランスばやり   その3 

 

 

 フランスでの最近のイベントの話題の中で、先日投稿した、以下の記事、

    フランスばやり  その1  (2019/6/22)

 

では、アヌシー国際アニメーション映画祭を取り上げた。更に、  

    フランスばやり  その2  (2019/6/26)

 

で、男子サッカートゥーロン国際大会と、ルマン24時間レースについて触れたところだ。

 

本稿は、これらに続くもので、4件目のイベントである、女子サッカーW杯フランス大会について、概略、取り上げることとしたい。

 

 

④サッカー女子W杯フランス大会

 24チームが参加した、総当たりのグループステージ(予選リーグ)では、日本の「なでしこ」は、Dグループになった(下図)。

 対戦結果は、パリでのアルゼンチン戦は0-0の引き分け、レンヌでのスコットランド戦は2-1で勝利、ニースでのイングランド戦は0-2で敗北し、グループ2位となり、16チームによるノックアウトステージ(決勝トーナメント)への進出を決めた。

      

                  グループステージ組み合わせ

 

ノックアウトステージの組み合わせは、下図だが、アジアから日本、中国、アフリカからナイジェリア、カメルーン、南米からブラジル、オセアニアからオーストラリアが残った。

      

  ノックアウトステージの日本ーオランダ戦が、25日、レンヌで行われたが、現地時間CESTの21時、JSTの早朝4時のキックオフであった。トイレに起きたのが丁度5時頃だったので、実際に、TVの中継で、後半戦を観ることができた。

 

 前半戦は、出だしのオランダの勢いに圧倒される場面が多く、17分、コーナーキックを直接ヘディングされ失点し0-1となったが、終了間近の43分、流れの中でMF長谷川のシュートが決まり、1-1で折り返した。

  後半は、日本は、押し挙げムードの中で、何度か決定的なチャンスがあったが、シュートが、バーに阻まれたり、わずかにポストの外などと、得点できなかった。一方、攻められて危ない場面もあったものの何とか守り切っている。後半はかなり押していたが、延長戦になる公算は大だった。

 ところが、後半43分、日本のゴール前のPKエリア内の攻防で、DF熊谷がハンドを取られ、痛恨のPKとなってしまった。TVを見ていた時は、一瞬のことで何が起こったのか状況が分からなかったのだが、ビデオを見ると、確かに、相手のシュートが、偶然に左腕に当たっている!

 PKでは、GK小林の読みの動きも外れて、決められてしまい、1-2となったのは、45分頃である。

 5分のアディショナタイムでは、日本の最後の必至の攻めも実を結ばず、敗退した。

敗戦後のなでしこメンバーの、インタビューを観るのはつらかったが、顔と名前が一致する、DFとして長期間活躍した鮫島選手は、今大会で引退するようで、世代交代だろうか。

           
             熊谷選手          鮫島選手

 

大会前(2019.3)のFIFA女子ランキングでは、日本が7位、オランダが8位とほぼ、互角で、これまでの対戦成績は、今回を含めると、4-4のようだ。

勝ち上がったオランダだが、前図にあるように、準準決勝でイタリアと対戦し勝利し、ベスト4に残っていて、スウェーデン、アメリカ、イングランドとの間で、覇権を争うこととなっている。

 勿論、大会終了後に、新たなランキングが発表される予定である。

 

 過去のW杯での、日本の成績だが、周知のように、2011年のドイツ大会では優勝、2015年 カナダ大会では、準優勝と輝かしい結果に、大いに国内は湧いたのだが、今大会は、あえなく敗退し、16強で終わった。

今後の目標は、来年のオリンピックだが、開催国枠での出場が決まっている。男子のように年齢制限がない、フルメンバーでの出場のため、戦力を強化し、勝ち進む機会である。

又、2023年に予定されている次期女子W杯の、開催都市には、日本を含めた9カ国が立候補しているようで、2020年3月に開催国が決定される予定という。

 

 日本サッカー協会の田島幸三委員長は、会見で、なでしこの強化の方向として、女子リーグのプロ化も含めて検討する意向だ、と述べている。フランス大会での活躍の波に乗って、今後の方向が盛り上がると期待していただけに、今回の敗退は、大打撃と言えよう。

 

フランスのこと  その1

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 2019年7月8日(月)  フランスのこと その1

 

 

 フランスでの最近のイベントの話題に関し、これまで、当ブログの

    フランスばやり  その1  (2019/6/22)

    フランスばやり  その2  (2019/6/26)

    フランスばやり  その3  (2019/7/2)

の記事で、

    ・アヌシー国際アニメーション映画祭

    ・男子サッカートゥーロン国際大会、ルマン24時間レース

     ・女子サッカーW杯フランス大会

について取り上げてきたところだ。

 

女子サッカーW杯関連では、その後、JSTの3日と4日の早朝、リヨンで、準決勝が行われ、

   アメリカ2-1イングランド 

   オランダ1-0スェーデン  (延長戦)

で、アメリカとオランダが、決勝へ、イングランドとスェーデンが3位決定戦へ進んだ。

 そして、決勝戦は、JSTの昨深夜、0時のキックオフで行われ、TV観戦した。前半は0-0で折り返したが、後半で、アメリカが、PKと流れの中で2点得点し、連続優勝に輝いた。 3位決定戦で、銅メダルはスェーデンになったようだ。

 

 本稿からは、改めて、フランスという国の概況について見てみることとしたい。

 

●国土の大きさ

 フランスは、ドイツとともに、欧州大陸の中央部にあり、国土の大きさは、EU内で最大である。以下に、主要国の面積と、日本との面積比を示す。

 

     国    面積    日本との面積比   記事

   フランス  552千km2  146%                         

   スペイン  505     133    高地が多い

   スウェーデン450     119    寒冷地

   ノルウエー 386     102    寒冷地

   ドイツ   357      94    平野と山地

   ポーランド 312      83    旧東欧

   イタリア  301      80

   イギリス  242      64  

   ルーマニア 238      63    旧東欧 

   ポルトガル  92      24

   オランダ   37      10 

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   日本    378     100

 

 往時は、中南米やアフリカやアジアなどの多くの地域が、西欧列強等によって植民地にされたが、戦後、殆どが独立している。そんな中で、南米大陸の北部に位置するギアナ地方は、以前の列強の植民地だったが、スペイン領はベネズエラに、ポルトガル領はブラジルになり、イギリス領はガイアナ共和国、オランダ領はスリナムとして独立し、現在、フランス領だけが残っていて、仏領ギアナと呼ばれている。広さは、日本の約10%に相当し、北海道よりも一回り広いようだ。

小さな島嶼では、現在も、イギリス、スペイン、フランス,ポルトガル、オランダ領などとして、残っている地域は多いが、まとまった地域が、いまだに植民地的に残っているのは、世界の中で、仏領ギアナだけのようで、フランスの面目躍如!? というところだろうか。

仏領ギアナ等の海外領土を含めると、フランスの大きさは641km2 で、日本の、約170%となる。

 

 上表に入っている、国土面積が狭いポルトガルやオランダも、嘗ては、世界を股にかけて、巨大な植民地を領有していたことには、驚かされるばかりだ。

 

●国土の形

 フランスを下図左のように単純化し、国土の形が何に似ているか、あれこれ考えてみた。

            

 フランスの国土の形は、従来、ヘキサゴン(6角形)に似ている、と言われているが、実際に図形を当て嵌めてみると頷ける。(上図右)       

6角形を、台形を二つ重ね合わせた花瓶と見立てることもできるだろうか。

 

 また、漢字の申(さる)の字を、下図のように、45度左に傾けると、フランスの国土の形に似ていることを、最近、見つけた。 小生のPCでは、きれいな合成画像にはできないが、愛着を込めて、「ハンモックのおさるさん」と呼びたい。 

        

  中国の形は、旧満州地域を首に例えて、「鶏」に似ていると言われる、と最近、知人から聞いたが、ネットで調べると鶏に見えなくもなく(下図左)、学校でもそのように教えているという。

 

           

 又、筆者の出身地の山形県は、上図右のように、左を向いた人の横顔に似ていると言われるが、先だって、鼻の先端(新潟県との県境付近)で、大きな地震が起こっている。(画像はネットより)  

                      

 下図は、ネットで見つけたもので、ファンが自分の愛車に取り付けるカーアクセサリーの、カントリーエンブレムのようで(日本でも市販)、フランス国土をかたどった、三色旗にしているところが面白い。

     

      カントリーエンブレムと三色旗                

  下図左のように、上記の「申」の字の中心線に当たる部分(ブルターニュ半島先端~~リビエラのモナコ近郊)の長さは約1140km)で、中間付近のクレルモンフェラン(赤〇印)を中心にした、半径約570㎞の円内に、コルシカを除く本土全体が、収まることになるだろうか。

 

                                 

   円で国土をカバー                               TGV網

 

 一つの固まりとなって纏まっているフランスの国土は、極座標的に表示しやすく、前稿で触れたが、中央よりやや北部に位置するパリを中心として、GTV網が、放射状に広がっている(上図右)。 また、パリの市街地の道路は、周知のように、凱旋門を中心にして放射状に広がっている。

 フランス人は、このような形が好きなのかもしれない。

 

 対するに日本は、本州を中心に、5つの島に分かれて、南北と東西に弓なり状に広がっていて、フランスとは大きな違いがあり、直交座標的に表示するのがいいようだ。

 ちなみに、京都や大阪や札幌の市街地は、東西南北の道路できれいに仕切られている。

 

● 地理

フランス国土を地図で示すと下図のようになる。(ネットより)

  

     

 

先述のように、6角形になっているフランス国土と、周囲の諸国との国境線を、上図右のように、①~⑥と番号付けして、整理する。

国境の大半は、海岸線と山脈という、自然の要塞に守られていると言えよう。海岸線は青色、山脈は茶色、通常の陸続きを緑色で表すと、以下のようになろうか。

① 北海

  イギリス海峡・ドーバー海峡

  ブルターニュ半島・コタンタン半島(ノルマンディ半島とも)

② 大西洋・ビスケー湾

③ スペイン国境はピレネー山脈

④ 地中海・リヨン湾 

⑤ イタリア・スイス国境はアルプス山脈、ジュラ山脈 

  ドイツ国境にライン川、スイス国境にレマン湖

⑥ ドイツ・ルクセンブルグ・ベルギー国境は陸続き

 

 国内は、比較的平坦な地域が多く、平原・河川・盆地・湖沼等になっている。河川沿いの主要都市を( )で示す。

  フランス平原 

    パリ盆地 セーヌ川 (パリ)

    ロアール盆地 ロアール川 (ナント)

  アキテーヌ盆地 ジロンド・ガロンヌ川 (ボルドー)

  ローヌ川 (リヨン)

  島 コルシカ島

  

 次稿では、フランスの交通網や、行政区分と地域名について取り上げる予定である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇陵が世界遺産に  その1

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2019年7月15日(月)  天皇陵が世界遺産に   その1

 

 

 6月30日から7月10日まで、カスピ海に面するコーカサス地方の、アゼルバイジャンの首都バクーで、第43回世界遺産委員会が開催されたが、この7月6日、日本から申請していた案件、「百舌鳥古市古墳群」(仁徳天皇陵など)を、世界文化遺産として登録することが決定された。

日本としては、ここ7年、連続して登録されたこととなり、登録総数は23件となった。

 

◎日本の登録状況

 今回を含めた、日本の登録状況を地図に表すと、下図のようになる。(日本の世界遺産一覧  nippon.com.  より引用)

 

  

図にあるように、登録遺産を、北から示すと、

 自然遺産  4件 ⑬知床 ①白神山地 ①屋久島 ⑮小笠原

 文化遺産 19件 ⑮平泉 ⑩日光 ⑱富岡製糸場 ⑳西洋美術館

          ⑰富士山 ⑥白川郷 ⑨古都奈良 ①法隆寺 ⑤古都京都 

          ⑫紀伊山地 ㉓百舌鳥古市 ①姫路城            

          ⑦厳島神社 ⑦原爆ドーム ⑭石見銀山 

          ㉑神宿る島  ㉒潜伏キリシタン ⑲明治日本 ⑪琉球王国

   である。(〇内の数字①~㉓は、登録順  ①の4件は、1993年初登録)

 

世界遺産に関して、当ブログでは、これまで、以下の記事を投稿している。

 ・富士山   2013/5/20 他多数

 ・富岡製糸場 2014/5/22、2014/5/25

 ・明治日本  2015/7/8

 ・神宿る島  2017/10/5

 

 ・世界遺産の保護・保全 (2015/8/11)   

      (姫路城  小笠原  富岡製糸場  明治日本(端島) 関連)

 ・世界遺産:登録後に維持する問題 1 (2017/10/11)

       (富岡製糸場、ドレスデン(独) 関連)

  世界遺産:登録後に維持する問題 2 (2017/10/15)

       (ウイーン(墺) 関連)

 ・世界遺産:米国のユネスコ脱退 (2017/10/21) 

 

 

◎今回の世界遺産委員会の概況

 

◇ユネスコの世界遺産条約は、1972年、パリで開催されたユネスコ総会で、採択された国際条約(発効は75年)で、日本は、1992年に加盟している。現在の加盟国は193カ国となっている。

 毎年、世界遺産委員会が開催され、登録案件等の審議が行われている。(以上 世界遺産条約 - Wikipedia.url )

 

◇今回の審議・登録状況

今回の委員会向けに申請された案件の総数は45件のようで、これらの案件を審議した結果、以下のように、30件が登録されている。(第43回世界遺産委員会 - Wikipedia.url )

 

今回の登録状況      自然遺産  4件

             文化遺産 24件 (日本からの案件 1)

             複合遺産  1件

             危機遺産  1件

       

 登録までの手続きだが、各国からの案件の申請後に、ICOMOSから勧告があり、それに基づいて各国が対応して、委員会で審議・決定されるが、今回も、以下のように、いろいろなケースがあったようだ。

・申請後に、案件を取り下げ  数件

・ICOMOSの勧告通り措置されたもの:大半はこのカテゴリーに入る

   勧告  決定

   登録 →登録

   不登録→不登録   

・勧告と決定が異なったもの (理由は、未調査)

   勧告  決定

   登録 →不登録、登録延期、情報照会  数件  

   不登録→登録             数件    

      

◇今回追加分を含めた、世界遺産の登録総数は、以下のようになったようだ。

  自然遺産  213件

  文化遺産  869件

  複合遺産   39件

  危機遺産   53件 (追加1 削除2) 

 

◎世界遺産を巡って 

 ◇ここで、登録遺産の国別分布をみると、以下のようだ。 (世界遺産 国別 登録数ランキング |世界遺産オンラインガイド を参照)

   国別ランキング

     1位  55件  イタリア・中国 

     3位  48   スペイン 

     4位  46   ドイツ

     5位  45   フランス

     6位  38   インド

     7位  35   メキシコ       

     ----------------------------------------------

    13位  23   日本

何やら、先だってのG20サミット参加国のリストを見ているようだ。

 

 登録案件が1件のみ(自然遺産/文化遺産)という国は38もあり、今回は変更はなかったようだ。

また、世界遺産条約に加盟している193カ国の中で、世界遺産のない国がまだ26もある、というのは驚きだが、今回、新たに保有した国はなかった。

この未保有国の、地域別内訳は以下のようだ。

     アジア   5

     アフリカ 11

     欧州    1(モナコ)

     中米    4

     南米    1

     オセアニア 4  

 全体として、登録案件の、欧州への偏りがあり、これを是正することが、長年のテーマになっている。

言うまでもないが、世界遺産として登録するには、遺産自体の価値に加えて、提案国の相応の国力が必要で、政情が安定していることも必須である。貴重な遺産が、紛争で破壊されている現実を見る時、世界遺産は、平和のシンボルとも言えようか。

 

◇本稿の前半にある記事で取り上げているが、2017年10月、パレスチナ問題に対する ユネスコの姿勢を不満として、イスラエルともども、アメリカはユネスコからの脱退を表明している。そして、予告どおり、昨年12月末に脱退が実行されたようだ。

 アメリカは、世界で1番の分担金を拠出してきただけに影響には深刻なものがあろう。(米国がユネスコ離脱 中国の影響力増すことに - 産経ニュース.url

 

◇今後の予定と日本の計画 

 次回(2020年)の第44回世界遺産委員会は、中国 福州市で開催の予定で、それに向けて、日本から、

    奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島  

の申請書を提出済である(2019/2/1)。

 この案件は、2018年の第42回委員会向けに申請したのだが、ICOMOSの勧告により登録延期となり、推薦地域の見直し等を行い、再提出したものだ。日本の5件目の自然遺産として注目されるところだ。

 

次稿では、今回の日本の案件の構成資産等について、取り上げる予定である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇陵が世界遺産に  その2

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   2019年7月22日(月)  天皇陵が世界遺産に   その2

 

  

 この7月6日に、世界文化遺産に登録された、百舌鳥古市古墳群については、国内のムードもやや落ち着いてきたところだが、先日の7月18日夜のNHKの番組、クローズアップ現代+でも、報道されたところだ。

今回の世界遺産については、先日、当ブログに投稿した記事、

  天皇陵が世界遺産に その1 (2019/7/15)

で取り上げたが、本稿はそれに続くもので、今回登録された遺産の、具体的な構成資産を中心に触れることとしたい。

 

◎構成資産の概況

・構成資産は,45件49基からなっており、百舌鳥古墳21件23基、古市古墳24件26基に分かれている。

・資産内容は、6基の天皇陵を中心に、関連する皇族や関係者(陪家)の墓などである。

・百舌鳥古市古墳群

 両地域には、登録された遺産の他に、ほぼ倍の89基の古墳が現存している(百舌鳥44基、古市45基)。(百舌鳥古墳群 - Wikipedia古市古墳群 - Wikipedia 参照)  

・所在地

 大阪府南部の古墳所在地図  堺市及び藤井寺・羽曳野市(図はネットより)

 

   

 ◎百舌鳥古墳群 

 古墳群の分布を下図に示す。数字は、登録資産番号である。

(分布図は、報道発表:「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産一覧表への記載決定 2019/7/6 より引用) 

  

大型資産は、以下の6件6基

資産番号   通称    形式     大きさ   被葬者等   記事   

2     大仙陵    前方後円墳  486m  仁徳天皇陵  日本NO.1

15   上石津ミサンザイ  〃         365   履中天皇陵     NO.3

21   土師ニサンザイ  〃      300   参考地 

20    御廟山     〃      203   参考地

1     田出井山    〃      148   反正天皇陵  

18    いたすけ    〃             146   国史跡  

 

  

小型資産は、以下の15件17基

資産番号         古墳数   形式        被葬者等  記事

3,12        2基   前方後円墳     陪家等

6,7,8,10,11,13,14   7基   帆立貝形古墳   陪家等

 4,5,17       3基   円墳       国史跡等  他に、大仙陵濠内に2基  

 9,16,19       3基   方墳       国史跡等       

 

 

◎古市古墳群 

 古墳群の分布を下図に示す。数字は、登録資産番号である。(引用は前項に同じ) 

 

大型資産は、以下の8件8基

資産番号  通称     形式     大きさ   被葬者等   記事   

33    誉田御廟山  前方後円墳  425m  応仁天皇陵  日本NO.2

26    仲ツ山     〃          290   仲姫命陵(ナカツヒメノミコト) 

23    岡ミサンザイ  〃            245   仲哀天皇陵

25    市の山     〃        230   允恭天皇陵

38    墓山     〃        225   国史跡

22    津堂城山   〃                 210   参考地

45    白鳥     〃      200   日本武尊陵(ヤマトタケル)

31    小室山    〃      150   国史跡

 

 

小型資産は、以下の16件18基 

資産番号            古墳数   形式     被葬者等   記事

32,37,44,24        4基   前方後円墳   陪家等       他に、応仁陵濠内に1基

43               1基   円墳     陪家等    他に、応仁陵濠内に1基  

27-30,34-36,39-42    11基   方墳       陪家等      

 

◎天皇の系図

  下図は、古墳時代の天皇の系図であるが、今回、世界遺産に登録されている陵墓の被葬者を、赤い下線で示している。天皇以外の2名の皇族が含まれている。

 

 古墳が盛んに築造されたとみられる、4~5世紀から現代まで、1600年もの間、多数の古墳が守られ現存している。これらの中から、天皇を中心に、以下のような視点から、登録する資産が選ばれているだろうか。

 ・陵墓の巨大さ・重厚さ(前方後円墳 多重濠)

 ・古墳時代前期の時代区分(ヤマト政権の確立頃)

 ・関係者(陪家)の多様な古墳形式

 古市古墳群の中には、以下の天皇陵もあるが、これらは、小規模であるとともに、古墳時代の前期に時代を区切ることで、登録遺産数を抑えたと推測される。

 

 通称        被葬者   形式     規模m   即位代 記事

 島泉丸山・島泉平塚 雄略天皇  円墳+方墳  75・50 21  日比高鷲陵  

 白髪山       清寧天皇  前方後円墳  115   22

 野中ボケ山     仁賢天皇  〃      122   24

 高屋築山      安閑天皇  〃      122   27

フランスのこと  その2

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       2019年7月29日(月)  フランスのこと その2

 

 

 先だって、本ブログに、以下の記事

   フランスのこと  その1 (2019/7/8)

 

を投稿し、フランスの国土の形や、地理について触れたが、本稿は、その続編であり、フランスでの地域行政組織や、海外領土等について取り上げることとしたい。

 

 

◎フランスの地域圏

 フランスでは、日本よりもかなり広い国土・領土をカバーする行政組織として、基本となる デパルトマン departmente(日本の府県にあたる)の上に、複数の県をまとめる レジオン région(地域圏 州とも)を置いているようだ。当然のことだが、それぞれに役所(県庁、圏都庁)がある。

 それぞれの首長だが、県庁の県知事は選挙で選ばれる。そして、やや驚いたのだが、圏都庁の圏長は、中央政府が任命するという。これをチェックする自治組織として圏議会があり、議会議員と議会議長が選ばれるという。地域の自治体にどのような権限を与えるかは、多くの経緯があるようだ。後述するが、フランスの行政組織には、中央集権的なニュアンスが強いと言えるだろうか。

  フランスの行政組織だが、2016年に、地域圏の地図が、旧から新に変わったようで、それまでの22の地域圏から、12の新地域圏と、地中海のコルス地方自治体に再編されている。新地域圏の地図と概要を以下に示す。

 

 新たな地域圏を設定するに当たっては、以下のように、幾つかのケース

  A 統合されて新たな名称に変わった地域圏、

  B 統合されたが、以前の名称を並べただけの地域圏、

  C 広さも名称もそのままの地域圏

があり、これらの区分を、概要の記事蘭に示す。 

 

 地域圏の呼称には、地理に関連する山や川に因むもの、  

     ロワール川

     アルプス山脈

     ピレネー山脈

     ブルターニュ半島    

もあり、良く耳にする呼称

     ノルマンディ-

     ブルゴーニュ

     シャンパーニュ

などもある。 

 

 

   新地域圏名    フランス語名  圏都      記事(旧地域圏名)

グラン・テスト地域圏 GranEst  ストラスブール  Aアルザス=ロレーヌ地域圏

                               シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏

 

ヌーベル=アキテーヌ地域圏       ボルドー      A アキテーヌ地域圏

         Nouvelle             リムザン地域圏 

         Aquitane                ポワトー=シャランテ地域圏

 

オーベルニュ=ローヌ=アルプ地域圏   リヨン      B オーベルニュ地域圏

           Auvergne-           ローヌ=アルプ地域圏

           Rhône-Alps

 

ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏 ディジョン    B ブルゴーニュ地域圏

           Burgogne               フランシュ=コンテ地域圏

          Franche-Comté 

 

ブルターニュ地域圏 Bretagne   レンヌ      C ブルターニュ地域圏 

サントルヴァルドロワール地域圏        オルレアン    C  サントルヴァルドロワール地域圏  

          Centre Val

             de Loire  

 

イルドフランス地域圏             パリ     C イルドフランス地域圏

        Ire de   France

 

オクシタニー地域圏             トゥールーズ A  ラングドック=ルジョン地域圏

           Occitanie          ミディピレネー地域圏

 

オードフランス地域圏            リール    A ノルドペイドカレー地域圏

          Hauts de              ピカンドゥル地域圏  

             France

 

ノルマンディー地域圏           ルーアン   A バッセノルマンディー地域圏

           Normandie          ハンデノルマンディー地域圏

 

ペイドラロワール地域圏              ナント    C ペイドラロワール地域圏 

       Pays de la

       Loir    

 

プロヴァンス=アルプ=              マルセイユ  C プロヴァンス=アルプ=

 コートダジュール地域圏                    コートダュール地域圏 

       Provence Alps

      côte dÁzur 

 

コルス地方公共団体                アジャクシオ   地中海のコルシカ島       

       Corse              

               

 

従来の22の地域圏を下図に示す。

                 

 

 ◎フランスの国土の変遷と海外領土

 長い歴史の中で、フランスの国土・領土には、幾多の変遷がある。

欧州の列強が争った植民地時代には、アフリカを主舞台にして、イギリスなどと争いながら、広大な地域を支配し、アジア地域にも進出し仏領インドシナを獲得している。

 第二次世界大戦後は、世界の植民地の独立が進み、フランスも、大半の植民地を手放している。

 

◇ フランスの海外領土  

 今般、調べてみて改めて知ったことだが、イギリスとともに、フランスにも、現時点で、以下のように、未だに数多くの海外領土(植民地)があるようで、驚かされるばかりで、 植民地時代の関係が、色濃く残っていると言えそうだが、前出の地図には、これらの一部が表されている(以下の◆印)

 

◆ 仏領ギアナ

南米大陸の北部にあって、各国の植民地だった「ギアナ地方」は、大戦後 

 ガイアナ共和国  Republic     イギリスから独立 

          of GUYANA    イギリス連邦に加入 

 

 スリナム共和国  Republic     オランダから独立

          of SURINAME 

 

 仏領ギアナ Guyane fraçaise  フランスの海外県 

                        ギアナ宇宙センターを建設

のようになっている。  

 イギリスは、植民地が独立すると、緩やかな国家連合であるイギリス連邦に加入させて、宗主国としての関係を維持する政策をとっている。 これに対し、フランスは、自治権は認めながらも、海外県、海外準県などとして、直接、統治するスタンスのようで、集権的色彩が濃いだろうか。

 

◇ ニューカレドニア*

 オーストラリア大陸の東側にあるニューカレドニアは、四国ほどの広さの島で、現在はフランスの植民地だが、前出の地図には載っていない。

 調べてみると、フランスから独立するか否かで揉めているようで、昨年の9月に、住民投票を行った結果、独立しないでフランス領のままで残ることに決まったようだ。が、2020、2022に再び住民投票が行われることになっているようだ。最終的に残留となれば、フランスの、海外県になるだろうか。

 この島は、ニッケル、コバルトなどの地下資源が豊富なことで注目されているようだが、大戦時、日本と戦う米軍の、前線への補給基地になった島と記憶している。

  *国連の、非自治地域リストに掲載されている。

 

◆ 島嶼群1

・カリブ海

  グアドループ島  Guadeloupe   海外県   サンマルタンが分離独立 

  マルチニーク島  Martinique   海外県

・マダガスカル島周辺

  マヨット島    Mayotte      海外県  コモロ連合との帰属問題

  レユニオン島   la Reunion   海外県

  トロメリン島   Ile Tromelin      地図にはない 

                             モーリシャスとの帰属問題

◇島嶼群2

・オセアニア

  ワリス・フツナ諸島   la Wallis  海外準県

  仏領ポリネシア*

    ソシエテ諸島  (タヒチ島)         

    オーストラル諸島    

    トゥアモトゥ諸島(ムルロア環礁 核実験)

    マルキーズ諸島

    ガンビア諸島   

    *国連の、非自治地域リストに掲載されている。

・ニューファンドランド

   サンピエール島・ミクロン島            海外準県 

         St.Pierre et Miquelon 

   カナダに対し、世界有数の漁場での権利を、したたかに維持している。 

             

 

「余談」 7月初め、ジブラルタルで、イランのタンカーが、イギリス海軍に拿捕された

    というニュースは、やや驚きであった。ジブラルタルは、イギリスが抑えている

    ことを、再確認したところだ。 

     核開発に対する制裁で、石油の輸出ができなかったイランが、なんと、アフリ

    カの喜望峰廻りで、ジブラルタル海峡をへて、地中海に入り、ヨルダンに石油を

    輸出しようとしていたという、大航海時代のようなスケールの話である!

     英国の拿捕に抗議し、先日、イラン政府が、ホルムズ海峡で、イギリスのタン

    カーを拘束するという報復合戦が続いている。

 

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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