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女人禁制

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2018年6月18日(月) 女人禁制

 

 

 最近の大相撲に関して、当ブログではこれまで

     大相撲の椿事  1~5 (2017/12/7、12/25、2018/1/13、1/25、4/25)

     大相撲夏場所が終って  (2018/6/7)

と取り上げてきたところだ。

 

そして、大相撲の今後に向けて、筆者なりの提案を投稿する予定であったが、諸般の取り込みのため、さしむき諦めざるを得ない状況である。

でも、その中の一つである、女人禁制に絞って、今回、取り上げることとしたい。

 

◇ 地方巡業でのハプニング

  大阪場所終了後の、大相撲春巡業は、京都府の舞鶴市、兵庫県の宝塚市等で行われたが、その5で少し触れているが、思いもかけない事態が出現した。

*舞鶴市で

  4月4日、土俵に上がって挨拶した、地元舞鶴市の、多々見良三市長(男性)が、挨拶中に倒れるハプニングが生じた。 観客席にいた複数の女性(女医、看護師)が自発的に土俵に駆けがって応急措置を行ったが、その様子を見ていた若手行司が、

     「女性は、土俵から降りてください!」

と叫ぶように、場内アナウンスを行った。人命救助に当たった女性たちは、当惑しながらも、やむを得ず、土俵から降りたのである。件の市長本人は、その後、命に別状はなかったという。

この時のドタバタの様子と、場内アナウンスが、何度も、何度も、TVで流された。

     

                     応急措置を施す女医さん達(ネット画像)

  「人命よりも、しきたりを優先していいのか」と、相撲協会の姿勢に批判が殺到したようだ。 筆者も、自発的に土俵に上がって応急措置を行った彼女達の勇気に拍手したが、場違いの場内アナウンスに唖然としたことだ。

でも、「神聖な土俵上は、女人禁制で当然だ。」という意見もあったという。

 

*宝塚市で

  その後まもなく行われた宝塚市での巡業で、この舞鶴市の騒動を知った、宝塚市の中川智子市長(女性)は、土俵に上がって挨拶したいと、相撲協会に要望書を出したようだが受け入れられず、4月6日、やむなく、土俵下で、抗議を込めて挨拶している。(下図 ネット画像より)

             土俵下で挨拶する中川市長

  これら二つの事案は、巡業を受け入れる地元の市長の挨拶で、男女の差別が行われた訳で、いみじくも、大相撲の現況と問題とを、クローズアップすることとなった。 

今回のハプニングに関して、相撲協会として、社会の批判に対して、土俵上の女人禁制は当然のこと、ともいえず、八角理事長名で、「女性を土俵に上げない伝統のあり方を再検討する」、との談話を出している。

詳細は未調査だが、でも、そう簡単に、再検討で今後の方向が纏まるとは思えず、時間を稼いで批判を交すだけにも見えるのだがーーー。 

 

◇ 大相撲での女人禁制

 神事と一体化されている大相撲では、土俵上は神聖な場所で、女人禁制とされており、伝統文化的側面がもっとも強く現れている事柄の一つといえよう。

今回、期せずしてクローズアップされた、土俵上の女人禁制だが、歴史的には色々な経緯があるようだ(相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由(岡本 亮輔) 他)。

 最近では、平成12年(西暦2000年)、大相撲大阪場所の千秋楽で、当時の、初の女性知事である大田房江府知事が、優勝記念品を直接手渡したいと協会に申し入れたが実現せず、男性の副知事が代行したというハプニングがあった。 当該場所の会場を提供している大阪府の責任者が申し入れても断られる、ということで、話題になったことだ。

 

横審委員や、大学相撲部の監督も務めたことがある、脚本家の内館牧子氏は、当時、大阪府知事の行動について、近代的な男女平等・機会均等の考えを持ち込んで、大相撲での伝統的な慣習を、批判するのはおかしい、と相撲協会を擁護する発言をしていたようだ。

 大阪府知事在任中は、土俵に上がれず、現在、参議院議員である大田氏は、今回の舞鶴市でのハプニングについて、土俵に上がった彼女達の勇気ある行動を称えたい、大相撲界の今後の改革に期待している、と述べている。(土俵に上がれなかった太田房江氏、救命介護の女性たちに「拍手を送る」

 

◇ 女人禁制あれこれ 

* 宗教伝統(沖ノ島と富士山にみる日本の女人禁制。理由は神道に?守るか変えるか。 等)

・山岳信仰の対象である富士山は、江戸時代までは女人禁制だったが、近代化の流れから、1872年(明治5年)に、解禁されている。

・高野山は、長年、女人禁制で、昨年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」にもその場面が出てくるか、明治以降、徐々に解禁が行なわれ、1906年(明39年)、女人規制に関わる掟が、全廃されている。日光の男体山でも、この年、女人規制が解除されたようだ。

・奈良県大峰山での女人禁制は、世界遺産登録後の現在も、続いているようだ。

*伝統芸能である歌舞伎の世界は女人禁制で、男が女形として、女役を演じており、逆に、宝塚歌劇団では、男子禁制であるのは周知のことだ。

*山古志の牛の角突き

新潟中越地震で大きな被害をうけた、新潟県長岡市の山古志地区だが、復活した伝統の角突きで、これまでは、牛を引きまわす役は女人禁制だったが、この5月から解禁され、初めて女性のオーナー(牛主)が引きまわしたと言う、小さなニュースがあった。

 

◇スポーツの世界での男女

*スポーツと言えば、最高の場はオリンピックだが、ここでは、殆どの競技や種目で、男女平等、男女機会均等の原則があり、男女が自由に競技に参加できるようになっていて、女人禁制は極めて例外的である。 男女間の違いが無くなるまでには、歴史的な経過があるようだが、このことについては、ここでは省略したい。

*ブログ記事(その3)で述べたが、埼玉県霞が関C.C.は、男子のみしか会員になれなかったのだが、東京オリンピックでゴルフ競技会場となることで、男女差があるのは問題だとIOCから指摘され、しぶしぶ要求を吞んで、女性の会員も認める規約に変えたことだ。

*伝統競技ではなく近代的スポーツと言える野球は、米国や日本で盛んだが、プロリーグは男子のみで、女子リーグがない。 これは、女人禁制とは言えないが、何ゆえだろうか。野球の国際大会であるWBCは、男子のみである。 又、オリンピックでも、野球は通常の種目には無く、2020年の東京オリンピックでの特別な種目として、男子の野球と、女子のソフトが採用されている。

 *球技の中でも、格闘技に近いラグビーは、男子のスポーツのように言われるが、2016年のリオオリンピックから、7人制ラグビーで、女子の種目が登場している。15人制のラグビーに比べ、人数は7人で、試合時間は15分ハーフと短いものの、競技場の大きさやルールは同じだ。 2020年の東京オリンピックでも行われることで、日本の女子選手たちは張り切っているようだ。

*日本生まれの格闘技である柔道が、いまやオリンピック競技として、世界に広まっている状況は喜ばしく、空手も東京オリピックで採用されている。たが、大相撲は、これまでも、各方面で努力が試みられているものの、殆ど進んではいないようだ。

相撲のアマチュア相撲分野では、国内だけでなく、国際的にも、女子の大会も行われているようで、国際的な広がりはあるようだがーー。 

 

*大相撲(相撲)は、格闘技としての立派なスポーツであるとともに、神事が関係する伝統文化彩でもあるという、二面性を持つことが特徴だ。日本発の武道競技でも、特に、大相撲ではその色が強い。

大相撲に関しては、力士の国際化は進んでいて、モンゴルや欧州の出身者も多く、最近では、ジョージア(旧ソ連のグルジア)出身の栃の心が大関に昇進したニュースで沸いたことだ。

一方、大相撲が、競技として国際化するための、大きな課題の一つは、男女を含めて、やり易いスポーツか否かだが、裸の競技であることに対する躊躇い(特に女性、欧米人)と、土俵上の女人禁制のしきたりが障害となっているだろうか。

 

江戸から明治期への移行期に、大相撲の改革が行われた時に、裸であることや、髷が問題になったことがあるようだ。(大相撲「土俵は女人禁制」…歴史が教える意外なワケ 

以前、大相撲で海外巡業が行われた時は、裸の親善大使などと言われたが、裸姿や髷髪は、外国人の目にはどのように映るだろうか。最近、急速に増えている外国人観光客等は、大相撲にどんな印象を持っているだろうか。

この4月に開催された国際会議(太平洋・島サミット)に参加した首脳達を、蔵前国技館に招待し、折から開催中の大相撲を観戦して貰ったようだ。

日本の伝統文化として、廻しを付けた裸の恰好の競技や、横綱土俵入り、行司の装束、化粧廻し等は、興味をそそったかもしれない。東京オリンピックの際には、日本の伝統文化を紹介するイベントの一つとして、大相撲が役立つだろうと思われる。


いろはかるた

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2018年7月1日(日)  いろはかるた 

 

今年は、関東地方は、ほぼ平年並みの6月6日に、梅雨入りが宣言されたが、その頃、NHK-TVの天気予報を視ていたら、梅雨の話に関し

         「栗花落」

という言葉が紹介された。

強い臭いを出す房状の栗の雄花が、梅雨入りの頃になると地面に落ちてくることが由来で、この字は、

     ツユイリ→ツユリ

と読むようだ。

TVを視た時は、俳句の季語の一つと思ったのだが、改めてネットで調べてみると、極めて珍しい、苗字(名字)の一つという事だ。(「薬袋」「小鳥遊」「栗花落」「月見里」? 読めたらスゴイ難読名字10選

      

                  栗の雄花

  一方、今年は、梅雨に入っても雨が少なく、6月29日(金)に、早々と、関東地方の梅雨明けが宣言された。 昨年よりは、22日も早く、6月の梅雨明けは、初めてのことと言う。これから、真夏の猛暑と、深刻な水不足になりそうな予感がある。

 所で、上述のネットのサイトには、珍しい苗字として、幾つか紹介されているが、その中に、

     「京」

があった。 この漢字は、時々、耳にする苗字で、通常は、キョウと読み、著名人もいる。でもこの字は、苗字として、

     「カナドメ」

と読むようだ。一瞬、驚いたことだが、いろはかな文字の最後の止めとして、京(きょう)とあることから、カナの最後の止め、と言う意味のようだ。

関西等では、苗字として、こう呼ぶ地域があるようだが、詳細は未調査である。 

 

 このことが切っ掛けとなって、「いろはかるた」や、「いろは歌」について調べてみた。更には、万葉仮名と仮名文字、五十音表、旧仮名文字等、日本語の歴史について、改めて関心が深まり、シリーズものとして、少しく、取り上げることとした。

今回は、馴染みの深い、「いろはかるた」の話題である。

 

○ いろはかるた

 古来、平易なかな文字を覚える手習いの教材や、遊びの道具として、いろはかな47文字が使われてきた。

そして、各文字を頭にした、諺や格言、処世訓等を集めたものが「いろはかるた」で、京都、大阪、江戸、名古屋等と各種ある。この中で、東北出身の筆者にとっては、「江戸いろはかるた」が馴染み深いので、本稿では、主に、これを取り上げる。幼少時は、絵札を見ながら、かるたで良く遊んだものだ。 

 有名な「いろは歌」の作者については、はっきりしないようだが、弘法大師作などという、説もるようだ。仏教思想を反映した七五調の短歌だが、筆者がこの歌の存在を知ったのは、高校に進んでからである。 小さい頃には良く口にした、いろはかるたは、ゐ、ゑは、旧仮名の文字で入っていた。

区切り方については、七五調ではなく、以下の左欄のように、我流で区切って覚えていたように思う。 

  いろはにほへと   7  (いろはにほへと   7)

  ちりぬるをわか    7  (ちりぬるをわか    7)

  よたれそつね     6  (よたれそつねな   7)

  ならむうゐの      6  (らむういのおく     7)

  おくやまけふこえて 9  (やまけふこえて   7)

  あさきゆめみし   7  (あさきゆめみし    7)

  ゑひもせす      5  (ゑひもせす       5)

 

   京          1

 

一方、47文字を上の右欄のように、7文字ごとに区切って並べて、末尾だけをみると、

   とかなくてしす (咎なくて死す)

となる、という穿った見解もあるようだ。(いろは歌 - Wikipedia から)

 

○ 幾つ覚えているだろうか。

 後期高齢者であるこの年になって、「いろはかるた」を幾つ覚えているか、前項の区切りに従って、答えを見ずに、記憶を辿って、思いつくままに、関連する諺なども挙げて見たのが、以下である。“犬も歩けば棒に当たる”から始まる、別称 犬棒かるたで、最後は、48文字目の、京の夢大阪の夢で終わる。

△▲は、諺等がなかなか思い浮かばなかった項で、下線は、調べたら、「江戸かるた」では無かったものである。

      

        いぬもあるけば ぼうにあたる                  京のゆめ 大さかのゆめ

 

い:犬も歩けば棒にあたる  一寸先は闇  石の上にも三年

ろ:論より証拠

は:花より団子  早起きは三文の得

に:憎まれっ子世にはばかる(憚る)

ほ:△仏作って魂入れず 骨折り損のくたびれ儲け

へ:屁をひって尻つぼめ

と:年寄りの冷や水

 

ち:ちりも積もれば山となる

り:律儀者の子沢山

ぬ:盗人の昼寝

る:瑠璃も針も磨けば光る

を:老いては子に従え  負うた子に教えられ

わ:割れ鍋に閉じ蓋

か:かったいのかさ羨み  勝って兜の緒を締めよ

 

よ:よしのずいから天井のぞく  夜目遠目笠の内

た:旅は道づれ世は情け 蓼食う虫も好き好き

れ:れう(良)薬は口に苦し

そ:総領の甚六

つ:月夜に竈をぬく

ね:念には念を入れ

 

な:泣きっ面に蜂 長いものには巻かれろ

ら:楽あれば苦あり

む:無理が通れば道理引っこむ

う:△馬の耳に念仏  嘘から出たまこと  

ゐ:ゐ(井)の中の蛙大海を知らず  ゐも(芋)の煮えたもご存知ない

の:のど元過ぎれば熱さ忘れる

 

お:鬼に金棒 終わり良ければ全て良し

く:▲薬九層倍  腐っても鯛 口八丁手八丁 苦しい時の神頼み  君子危うきに近寄らず  臭いものに蓋

や:安物買いの銭失い

ま:負けるが勝ち

け:▲下すの勘ぐり  芸は身を助ける  

ふ:△ふぐは食いたし命は惜しい 文はやりたし書く手は持たぬ

こ:△紺屋の白袴 後悔先に立たず 子は三界の首かせ 

え:得手に帆を揚げる

て:▲鉄は熱いうちに打て  亭主の好きな赤烏帽子 

 

あ:悪事千里を走る  秋茄子は嫁に食わすな 頭隠して尻隠さず

さ:三べん廻って煙草にせう  猿も木から落ちる

き:△聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥 極楽見て地獄

ゆ:油断大敵

め:目の上のたんこぶ

み:身から出た錆

し:知らぬが仏

 

ゑ:ゑん(縁)は異なもの味なもの

ひ:日暮れて道遠し  火の無い所に煙は立たぬ 人の噂も七十五日 火の用心  貧乏暇なし

も:餅は餅屋  門前の小僧習わぬ経を読む

せ:急いては事をし損じる 背に腹は代えられぬ

す:△住めば都 雀百まで踊り忘れず 粋は身を食う 

 

京:京の夢大阪の夢

 

 

 

 

女人禁制   続

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2018年7月4日(水)  女人禁制  続

 

 4月初めの大相撲の地方巡業で、京都府舞鶴市の多々見良三市長が、土俵上で挨拶中に倒れた騒動があり、結構なニュースとなった。この関連で、当ブログに

        女人禁制   (2018/6/18)

を投稿している。 

  今回は、この大相撲の事件の後日談を述べる。さらに、最近のニュースで、サウジアラビアで女性の自動車運転が解禁された話題と、お茶の水女子大でトランスジェンダーの学生をの受け入れることにした事案について取り上げた。

 

 ○ 舞鶴市長 退院し公務に復帰

(以下は、舞鶴市:土俵で倒れた市長、公務に復帰「救命に男女ない」 - 毎日新聞 などを参照)

●4月初めのハプニングでは、土俵に上がった女性達の的確な応急措置があって、救急車で搬送された舞鶴市長は、2カ月以上の入院の後、この6月14日、無事退院できたようだ。倒れた原因は、くも膜下出血だったようだが、手術が成功して、幸い後遺症はないと言う。 

自宅療養中の市長は、救命措置にあたった命の恩人である女性達に対し「集中治療室勤務の経験もある方で、とっさに反応してくださったんでしょう。本当に感謝です」と述べている。

相撲協会の八角理事長から面談したいとの申し入れがあったようだが、「巡業は市制施行75周年の記念でもあり、お願いして来ていただいたのに倒れたことで私の方が迷惑をかけた」と、固辞の考えを示したという。が、これは、暗黙に、協会批判の姿勢を示したのだろうか。

 

●そして、この6月28日、市長は公務に復帰した。

          公務に復帰した市長

 記者会見に臨んだ市長は、大相撲春巡業の挨拶中に倒れた際、救命処置をした女性が日本相撲協会関係者から制止されたことに言及。「命に関わる時に大切なのは男か女かではなく、救命処置ができる人が、助けに行くのが原則だ。」と強調している。「“女人禁制”を貫きたいなら、地方巡業の時は必ず救命処置ができる男性を用意する必要がある」と協会の姿勢を批判した。

 ●自身が医師でもある多々見市長は女性の行動について、しきたりとしての“女人禁制”については「時代とともに変えるべき伝統、習慣もあると思う。相撲という非常に歴史のある伝統文化でも、女人禁制は今の時代は通用しない」と述べている。「協会は今回のことをうやむやにせず、今後どうするか決める必要がある」としたようだ。

 女人禁制に関する相撲協会の改革は果たして進むのだろうか? 舞鶴市長の様な見解には、筆者も含めて賛同者は少なくないだろうが、神事とも繋がる伝統文化である大相撲だけに、今回のハプニング程度では、残念ながら、何も変わらないだろう、と思われることだ。

  

○ サウジで、女性の自動車運転解禁

(以下 サウジアラビア、女性の自動車運転を許可する国王令 サウジアラビアにおける女性の人権 - Wikipedia などを参照)

●世界で唯一、サウジアラビアだけが、これまで、女性の自動車運転は禁止されてきた。正確には、ほぼ同じことだが、運転がエキシプリシットに禁止されているのではなく、女性には運転免許証が交付されない規定のようだ。

 昨年9月に、女性も運転免許証が取得できるようにするという、国王の勅令が出され、これに沿って、この6月初め、国際免許を持つ女性ドライバー10人に国内運転免許証が初めて交付されている。そして、この6月24日から、晴れて、女性も自由に運転が出来るようになったという次第だ。免許証の取得希望者は、増え続けているようだ。

 初めて運転免許証を手にする女性が、下図左では、先進的なスカーフ無しで、下図右では、伝統的なスカーフあり、で写っている。(ネット画像情報より)

    

  サウジでは、女性の運転に関しては、これまでは、首都等では厳しいものの、地方では、取り締まりはあまり厳しくなく、黙認されるケースもあったようだ。

 一方、女性一般に車の運転が解禁されることと裏腹に、ここ数週間の動きでは、運転解禁だけでなく女性の権利を広く認めるよう求めてきた男女17人が身柄を拘束されたという。 この動きは、女性の車の運転は、シャリーア(イスラム法)に反する-といった聖職者らの批判を和らげる狙いがあるようだが、社会における諸改革が今後、停滞するとの見方も出ている。

●サウジアラビアは、中東の巨大な産油国だが、専制的な絶対王制の国である。(ヨーロッパの英、オランダ等は形式上の王制の国家)

マホメット教の聖典コーランと、イスラム法典(シャリーア)に基づき、宗教的な強い規制の下に、国家や社会が成り立っている。

国政レベルでは、国会に当たる評議員会があるが、150名の評議員は、選挙ではなく、国王が全て任命するようで、女性は30名居るようだ。内閣に相当する閣僚評議会もあるが、首相は国王が兼任するという。地方レベルでは、2011年から、初めて地方議員の選挙が行われ、婦人議員も誕生したようだ。

 女性の地位に関しては、一夫多妻制が許容されていることもあり、日常生活では、女性の外出時は、夫などの男性の許可が要り、目しか出さない黒いビジャブ(スカーフ)の着用が義務付けられているなど、厳しい戒律があるようだ。

教員等の女性の職業選択に関する状況は不明であるが、少なくとも、これからは、女性が運転するタクシーは出現する、と言えるだろうか!

 

○ 女子大でトランスジェンダーの学生受け入れへ

●国立の名門、お茶の水女子大は、2020年度から、性的少数派のトランスジェンダー(LGBTのT)の学生を受け入れる方針を、7月2日に明らかにしたようだ。これまでは、戸籍上の女性しか入学を認めていなかったが、戸籍上の性別は男性でも、性自認(心の性)が女性なら受け入れると言う。国内の他の女子大(日本女子大、津田塾大等)でも、こうした学生の受け入れを検討しているという。アメリカの女子大では、トランスジェンダーの入学を認めているようだ。 (お茶の水女子大「性自認が女性なら」男性受け入れ :日本経済新聞

 女子大の中に、性自認は女性でも、生理的には男性が混じると、学内の風紀が乱れる心配は無いのだろうか。

又、今回認められるTは、性自認が揺れ動くと言われ、入学後、心の性が男性になったら、退学になるのかな?

一方、戸籍上は女性だが、性自認が男性の人は、これまでも、これからも、入学できないと思われる。

 

●LGBTの関連で、この春、岩波書店が満を持して出版した広辞苑第7版で、項目の説明文の誤りが指摘され、訂正を余儀なくされる事態が起こっている。

  この辺の状況については、当ブログの

      LGBTと広辞苑  (2018/1/20)

で詳しく触れているので、ここでは省略する。

 当該書店のHPに掲載されている訂正文は、以下のようになっている。

エル‐ジー‐ビー‐ティー【LGBT】
①レズビアン・ゲイ・バイセクシャルおよびトランスジェンダーを指す語。GLBT
②広く、性的指向が異性愛でない人々や、性自認が誕生時に付与された性別と異なる人々。

  

●以前は、高校は、女子高、男子校に分かれていることも多かったが、戦後の改革で、現在は、男女共学が普通になっていて、女子大も共学になった所が多い。

今回の御茶大の方向は、国内的には、自治体等で、LGBTの権利保護が進みつつある状況に対応した動きと言える。

学生は女子のみ、ということは、換言すれば、男子禁制と言えるが、これは、教育の機会均等に反する人権問題だ、と言う主張は言い過ぎだろうか。

いっそのこと、原則、男女共学とする方が、すっきりするようにも思える。が、女子大の開学の精神や伝統に鑑み、男子禁制を維持する、と言う事だろうか。

伝統芸能の歌舞伎での女人禁制や、宝塚劇場の男子禁制などは、人権の問題ではなく、芸術文化活動として受け入れられている、と言えるだろうか。

いろはかるた  アラカルト

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2018年7月6日(金) いろはかるた アラカルト 

 

 先日は、当ブログに、

      いろはかるた  (2018/7/1)

を投稿したが、今回は、江戸いろはかるたの中で、内容が意味することに関して、幾つかの話題をとりあげている。

本文中の図は、以下のサイトから引用 (みんな知ってる? 「いろはかるた(江戸かるた)」の意味分かるかな? - NAVER まとめ

 

◇意味のよく分からぬ かるた 

 幼いころ、かるたで遊びながらも、子供心に、意味の良く解らぬ札があった。 江戸かるたが生まれた、生活環境などの時代背景が異なることが、大きな理由だろうか。

 ●月夜に釜を抜かれる 

 街灯などが無かった昔は、月明かりが重要だった。 辺りが良く見通せる月夜なのに、泥棒に家の中に入られ、釜を抜かれたと言う。泥棒は、鍵の掛かっていない裏口の木戸から入り、竈(かまど)から釜を盗んだのだろう。竈に据えてご飯を炊く大きな釜は、これが無ければ、家族の飯が作れないという、極めて重要な道具なのだ。

この諺は、加害者の泥棒側からは、明るくて最も侵入しくい状況だけに、このような事態を招いたことは、不注意極まりなく、大変な油断があったということで、これを戒めているようだ。

 筆者の育った田舎では、土間に置かれた竈でご飯を炊く光景は、そんなに珍しくはなく、いまでも思い浮かぶのだが、釜を抜かれる、というかるたの句の意味が、いまいち、よく解らなかったことだ。

     

 「盗人の昼寝」とセットで見ると面白く、この泥棒は、昼間は寝ているだろうか。 また、「油断大敵」という諺もある。 

 

●割れ鍋にとじ蓋  

 壊れた鍋でもなんとか閉まる蓋がある、と言う事で、子供心にも、状況は明白なのだが、一体、何ういう意味なのか、解せなかった。

 どんな人にも、相応しい配偶者が居るものだ、という喩という。あまりにも酷い喩で、当事者たちは満足している似合いの夫婦を、見下し、嘲っているようだ。筆者としては、あまり言いたくないセリフである。

また、夫婦だけでなく、何に置いても、似通った程度の者同志がよい、という喩ともあり、分相応ということだろう。

    

また、「臭いものに蓋」という諺は、一時しのぎに不都合ごとを隠す意だが、蓋の役目はやや異なるようだ。

この所の世の中の話題は、あふれ出している臭いものに蓋をするものが多く、うんざりである。

 

  ●総領の甚六

 総領という言い方は余り使われなくなり、又、甚六という言葉の意味だが、長男なのに、なぜ六か、実在した人の名か、など余り解らず、すっきりしなかった。

落語では、うす馬鹿のことを,“与太郎”と言うが、甚六は、あれと同じような意味だろうか。現在では、与太郎は、差別用語とされている。

     

●粋が身を食う

江戸の粋(いき)の精神は、大人になっても理解が容易ではないが、子供にとっては尚更だ。花柳界での遊び等で、カッコよく見せる、(金持ちではないのに)金持ちとして振る舞う、のが「粋」と言うようだがーー。

身を“食う”という言い方も、粋を擬人化していて、極めて難解だ。 依存症のように、粋に嵌ってしまって、ついには身を滅ぼすことになる、という戒めという。

     

●かったいのかさうらみ

子供心に、最も解らなかったのがこれだ。

「かったい」とは、以前は、癩病(らいびょう)と呼ばれた病気と患者で、現在は、ハンセン病と言い換えている。 

ハンセン病は、らい菌による、伝染性の弱い感染症で、ノルウエーの医師、ハンセンによる研究で、明治期に、病原が突きとめられ、現在は、治療法が確立し、日本では、発病率はきわめて低くなっているようだ。

「かさ」とは、梅毒患者の皮膚の病痕の「瘡」のことで、うらみは、怨みではなく、羨みが変化したものと言う。

 顔面の表情がすっかり変わってしまった癩病患者が、己よりはやや軽い、梅毒患者の瘡を羨むということで、少しの違いをとりたてて喜ぶということだ。目くそ鼻くそを嗤う、も同類だろう。

終戦間近だが、筆者が生まれ育った田舎では、近くに癩病患者が住んでいて、周囲から近づかないよう敬遠されていた記憶がある。

この句では、二つの病の罹患者を嘲笑しているのだが、それだけ、周囲から恐れられた、大変な病気だった、という証でもある。当事者の苦しみは、計り知れないものだったろう。かったいは、現在は差別用語になっているようだが、江戸かるたからは無くしたい札だ。

    

10年程前に、筆者が、隔離されたハンセン病患者の施設を、何度か慰問に訪れている。

このハンセン病だが、一昔前のことと思っていたら、戦後間もなく(1948年)に制定された優性保護法の下で、平成8年(1996年)に法律が廃止されるまでの何と、約50年間、多くの男女に対し、建前は同意を得ているというものの、半ば強制的に断種手術が行われたようだ。最近になって、このことが明るみに出て、人権を無視した行為として社会問題となっている。 

 

 ◇ 当たり前のことなのに、意味深で理解が難しいもの

●犬も歩けば棒に当たる

 この句が最初にくることから、江戸かるたは、犬棒かるたとも呼ばれ、人口に膾炙している。

読んで字の通り、当たり前のことを言っているのだが、子供心には、意味することがよく分からなかった。改めて解説をみると、以下の二つの意味が込められているという。

 ・出しゃばると、思わぬ災難にあう、という戒め

 ・やってみれば、思わぬ幸運に会ったり、発見があることのたとえ

前者はいかにも日本的でつまらない。ウオーキングブームの昨今、好奇心をそそる、後者で願いたいものだ。

     

●頭隠して尻隠さず 

 これは、頭を隠せば、尻が出るのは当然のことで、國鳥である「雉」が、草むらに首を突っ込んで避難する習性からきているようだ。 

意味するところは、不都合ごとや欠点が表面化しそうになった事態で、本人は上手く隠しおおせたつもりでも、周囲から見れば、隠しているのは一部だけで、大部分は見え見えだ、と言う時に冷やかすことば。「犬が西向きゃ尾は東」という言葉もある。

     

●瑠璃も玻璃も照らせば光る  

 瑠璃は、宝石のラピスラズリのことで、玻璃は水晶のことという。

どちらも貴重な宝石で、光を当てれば輝くということだが、二通りの意味があるという。

意味するところは、

・どこに在っても優れたものは、光を当てれば光るという喩

・すぐれたものでも、磨いて初めて光るという喩(磨かないと光らない)

という。

    

子供の頃は、玻璃とは、縫物に欠かせない「針」のことで、使っていれば、錆びずに光ると理解していた。玻璃が水晶の事と知ったのは、比較的最近のことだ。

瑠璃色は、やや紫を帯びた青色のようだが、薄桃色の可憐な花を付ける「ルリフタ

ジ」は、我家の好きな草花の一つである。

 

●喉元過ぎれば熱さ忘れる

 字義通り、当たり前のことで、苦しかったことも過ぎてしまえば忘れてしまうものだ、ということ。苦難にあった時は、一時の我慢だと耐える生き方もあるだろうか。

これを拡大解釈して、熱さだけでなく、苦しい時に助けて貰った、恩も忘れてしまう事を戒めている、とも言う。 

    

●三べん廻って煙草にしよう 

夜廻りなどで、入念にチェックをした後に、休憩をしようということで、今はやりの、働き方改革でのワークライフバランスだろうか。

日本に煙草が入ってきた時期は未調査だが、昔は、休憩時に煙草を吸うことを、如何に楽しみにしていたかが解る句だ(今は、コーヒー?)。

歴史を経て、当今は、煙草の身体への害毒が喧伝され、吸う本人はおろか、周囲の人間も迷惑するという「受動喫煙」をどう防ぐかが、喫緊の課題となっている。

   

かるたには、酒・博打・女の話が殆ど無いのは、なぜだろうか?

 

 

 

いろはかるた アラカルト 続

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2018年7月16日(月) いろはかるた アラカルト 続 

 

  最近、当ブログに

     ①いろはかるた         (2018/7/1) 

     ②いろはかるた アラカルト (2018/7/6)

を投稿している。

 前々回の①では、最近、いろはかるたに興味を持ったきっかけや、いろはかるたの概略に触れた後、馴れ親しんだ、江戸いろはかるた48枚について、現時点で、自分でいくら思い出せるか、リストアップを試みた。どうしても思い出せず、虎の巻に頼った句もある。

前回の②では、主に、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げている。

3回目の今回は、筆者の好きなかるたを取り上げた。

 

 いろはかるたには、庶民感覚に合致したドンズバリの的確な言葉で、教訓的なものや皮肉っぽいものが多く、残念ながら、ウイットのある、頓智に富んだ句は少ない。 そんな中、江戸だけでなく、大阪、京都を含めた中から、筆者の好きなかるた、気に入っているものを、いくつかあげてみた。( 参照  いろはかるた

 

●花より団子  

  これは、江戸かるたの3番目に出てくる、みんなが知っている句だ。

日本人なら誰しも、花、なかんずく、桜が大好きで、嫌いな人はいないだろう。その季節が近づくと、開花が気になり落ち着かない。そして、待ち望んだ花見に行くと、ついつい、食べたり飲んだりし、盛り上がりたくなるものだ。

    

かるたにある位だから、「花見だんご」は、古くからあったと思われるが、だんごの色は三色の、桃、白、緑と決まっているようだ。(下図)

     

このかるたの説明では、「花より団子」とは、風流よりも実益、外観よりも実質を重んじることのたとえ、とある。さらに、風流を解さない人を批判する時の言葉とある。この句は、大阪にもあるようだ。

こう解すると、風流はどこかへ忘れてしまった朴念仁でつまらないが、桜を愛し、花見を楽しむ庶民感情からは、少しずれているように思えてならない。

筆者としては、後述するように、最近は、少し欲張って、「花も団子も」と言う事にしている。 

 

 通常は、“人は生きるために食う”、などと言って、エンゲル係数を云々したりして恰好をつけるが、現在は、自適の生活で料理作りも好きな筆者は、言い方を逆にして、“人は食うために生きる”と、敢えて言う事にしている。

決して、美食家では無いが、義務的に食べるのでなく、食う楽しみが、生きる喜びに繋がると思うからだ。

 

 我家には、結構広いルーフバルコニーがある。転居当初は、草花や人工池で、生き物を楽しんだり、バーべキューをやったりした。

しかし、次第に、草花よりも、キュウリ、ナス、トマト等の野菜の割合が大きくなっている。このことを、周囲には、解り易いように、自嘲風に、“花より団子だから”、と言っている。でも、花を愛で、四季の移り変わりを楽しむ気持ちは無くなった訳ではない。 最近は、欲張って、「花も団子も」と言い方を変えていることだ。

 

●得手に帆を揚げ

 この句は、帆船が追い風に乗ることに喩えて、自分が得意とすることを、待ち望んだ好機を逃さず利用して、はりきって行動を起こすことを言っている。 順風満帆ともいう。

   

好機到来時に、得意とする事を如何なく発揮するためには、日頃、腕を磨いて準備することが大事なのは言うまでもない。

本多技研工業の創業者として著名な本多宗一郎の、人生哲学はこの諺だったようで、 纏めた本があるようだ。(得手に帆あげて―本田宗一郎の人生哲学 | 本田 宗一郎 |本 | 通販 | Amazon

 

 この句では、時間軸(タイミング)が重要だが、焦ることを戒めた、

    待てば甘露(かんろ)の日和あり(大阪)

    果報は寝て待て(大阪)

という句もあり、とかく慌ただしい大阪には珍しいものだろうか。

 

 「得手に帆を揚げ」は、筆者としては、時間軸を気にせずに、人それぞれに、得手、不得手があるが、得意な面を強調して生きる、と言う意味に解する事も出来ると思っている。各々が得意を生かして多様性を大事にすることだ。

小池東京都知事は、就任時、老若男女や、健常者と障害者など、いろんな都民が、共存できる多様な社会(ダイバーシティ diver(se)+city )を目標とするとした。当ブログの以下の記事を参照。

       新東京都知事 続その後 (2016/10/16)

 以下のかるた、

    餅は餅屋(京都)

も同義だろう。

  やや、視点は違うが、江戸には無い以下の句も、それぞれ、アピールポイントや出番がある、という意味で、好きな句である。語数が、55や77なのも、リズミカルで言い易い。

    夜目遠目笠の内(京都)  

    鬼も十八番茶も出花(京都) 

また、以下の句がある。

       亭主の好きな赤烏帽子 

  亭主とは、広義では、使用人なども含めた一家の主を指すが、狭義では、夫のことである。赤烏帽子という、異様な好みや、常識と異なる流儀でも、周囲の者は、亭主に合わせざるを得ないという意味だ。これでは、ネガティブな側面が強調されているが、視点を変えて、ややポジティブに捉えて、それぞれの個性的なやり方で良い、とも理解したい。 ホモジニアスで均質な社会ではなく、筆者が好きな、多様な個性が共存する、ヘテロジニアスな社会である。 「蓼食う虫も好き好き」にも通じるだろうか。 

 

●旅は道連れ世は情け

 旅行だけでなく、人生の旅でも、道連れ(パートナー 仲間)がいると心強く、世渡りでも、人情を持って仲良くしていくことが大切だ、という意味だ。 

      

 現代は、人間同士の繋がりがビジネスライクで、他人や周囲への関心(人情)も希薄になっているだろうか。

でも、7年前の東日本大震災では、近隣との絆の大切さが言われ、ボランティア活動が定着し、今回の西日本豪雨災害でも、お節介などが復活しただろうか。  

 「情け」とは、思いやり、優しさ、相手の気持ちへの共感など、幅広い感情だろう。英語では、sympathyになるだろうか。

英和辞典によれば、この語には、2つの感情があるという。

    1:共感 共鳴 感情の一致  

    2:同情 他を憐れむ心 思いやり 人情 慈愛

 この時代、「義理・人情」は死語になったとも言われる。確かに、義理には、封建的な、やくざ的なニュアンスがあるが、人の情である人情は、果たしてどうだろうか。

当今は情報化時代で、膨大ないろんな情報が、絶えず飛び交っている。情報とは、そもそも、情けを報じるという意味だ。

形式が変わっても、今も、情けは生きている、と思われるのだがーー。 

  

次の句はどうだろうか。

     遠い一家より近い隣(大阪)

「遠くの親類より近くの他人」とも言う。この意は、いざという時には、遠く離れている親戚はあてにできず、近隣の人たちに頼らざるを得ないので、近隣との日頃のお付き合いを大事にすること、との処世訓だ。 

でも、終戦後、家族制度が大きく変わり、核家族化や、夫婦共働きが増える中、近隣との関係も大きく変化している。特に都会では、プライバシー保護のスローガンのもと、「隣は何をする人ぞ」であり、防犯カメラに頼りきりである。

  次稿では、この辺から触れてみたい。

いろはかるた アラカルト  続々

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2018年8月5日(日) いろはかるた アラカルト 続々

 

 

 最近、当ブログに

     ①いろはかるた          (2018/7/1) 

     ②いろはかるた アラカルト  (2018/7/6)

     ③いろはかるた アラカルト 続(2018/7/16)

を投稿している。

 ①では、いろはかるたの概略に触れた後、江戸いろはかるたについて、自分で思い出せるものをリストアップしてみた。

 ②では、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げている。

 ③では、筆者の好きなかるたを幾つか取り上げた。 

今回は、余り好きでないかるたを取り上げている。

 

◇好きでないかるた

  筆者として、余り好きでないかるた、賛同しかねるかるたは、以下である。

     ●知らぬが仏 

 このかるたは、7語の言い易い句で、誰でも知っているものの一つだ。今回参照している辞典(故事ことわざ辞典 鈴木、広田編 東京堂出版 1972年)の解説等によれば、この意味するところは、「知ってしまえば腹が立つことでも、知らなければ、仏のような平穏な境地でいられるということで、余計な事は、知らない方が幸せ、の意」とあり、処世術の一つであろう。

意味するところが上述のようなら、「知る」ということに対して、「真実に向きあわずに、関わりを持つことから逃げる、余りに日本的なスタンス」とも言え、筆者には、この点が気に入らないところである。

 そして一方で、「当人だけが知らずに平気でいる様を、周囲が、憐れみ、嘲ることばにもなる」、とあるが、こちらのシニカルな姿勢を言う句としては、了解できるところだ。

     

 

類似の諺として、見る、聞く、知る と 仏と神と極楽等を組み合わせた、以下の様な諺もあるようだが、同様の意味合いだろう。

  ・見ぬが仏 知らぬが神 

  ・見ぬが仏 聞かぬが花

  ・知らぬは仏 見ぬは神

  ・知らぬは仏 見ぬが極楽

 庶民の世渡りの知恵なのだが、このように、仏や、神などを引き合いに出すところは面白い。 庶民としては、“知らぬ、存ぜぬ”と、知らぬが仏で通すしかなかった、不幸な時代を反映しているようにも思える。

 

◇ 他との情報のやり取り手段

  無人島で1人生きていく訳にはいかない社会生活では、人との関わりやコミュニケーション、情報のやり取りは必須である。

人間の情報の入出力手段として、基本となるのは、目、耳、口であり、各種情報が処理されて、「知」となる訳だ。(他に、嗅覚、触覚、表情、ジェスチャー等もあるが)

 入力: 目 目を開けて見る  ⇔目を閉じる

      耳 耳で音を聞く    ⇔耳を塞ぐ

 出力: 口 口を開き声をだす ⇔口を噤む

目は、瞼を開いている限り、情報が飛び込んでくるため、積極的に情報を遮断するには、目を閉じる・目を覆うしかない。 視覚による情報が情報全体の83%も占めていると言われる。(視覚情報の優位性: よく見えること。よく生きること )

耳は、通常は、開かれていて音を聞き、生存にかかわる最も基本的な情報を、常時監視しているとも言われる。積極的に音の情報を遮断するには、耳を塞ぐしかない。

口は、声を出す手段で、かなり、意志が関係する。 会話を望まなければ、積極的に口を噤んで、声を出さないこととなる。

 

◇三猿の叡智

 このことで咄嗟に思い浮かぶのは、日光東照宮の陽明門にある、余りにも有名な下図の「三猿」の彫刻だ。昨年春、平成の大改修が完了したようだが、筆者も、以前、何度か訪れた時に、門を見上げたことだ。

三匹の猿の動作を、彫刻で表わしているが、三猿の動作自体は、幼稚園の子供にも解る可愛いものだが、一体、何を現しているのかは、筆者には、実は、良く解っていなかった。

解説書には、人の非や欠点は、誰しも興味深く、知りたがり、言いふらしたくなるのが世の常だが、それを抑制する以下の様な叡智が、三猿の教えとある。

    見ない猿(見ザル):両目を閉じて→人の非(短)を見ない

    聞かない猿(聞かザル):両耳を塞いで→人の非を聞かない

    言わない猿(言わザル):口を覆って→人の過ちを言わない

すなわち、人の非や短所や過ちについて、積極的に情報を遮断する叡智と言われており、日本語の文語体の否定の“ザル”と、“猿”を掛けている訳だ。

            

                                    陽明門の三猿(ネット画像)

  三猿の知恵の淵源は、古代エジプトとも言われ、中国経由で日本に伝わったと言われている。日本では、上述の陽明門の彫刻が超有名だが、庶民の庚申信仰の中でも、生きていたようだ。類似のものは世界各地にあるという。(三猿 - Wikipedia より)

  三猿について、ネットで調べていたら、面白い看板が見つかった。米国の情報機関CIAのある施設の門の付近に、職員向けに、以下の看板があると言う。(上記 サイト より) 

     

看板には、上図のように、三通りの仕草をした三猿が描かれていて、以下の意味の文言が書かれているようだ。曰く、

     ここで見たこと、

     ここでやったこと、

     ここで聞いたこと は、

     ここを去る時、

     ここに留めていくように。(外で  言わないように) 

HERE(ここ)とHEAR(聞く)、LEAVE(去る)とSTAY(留める)の、ユーモアあふれる語呂合わせが、素晴らしい!

 

◇「知らぬが仏」の姿勢

  三猿の教えは、積極的に情報を遮断する叡智と言えようが、「知らぬが仏」には、どんな知恵があるのだろうか。

都合悪いことは聞かない(聞かなかった)ことにする、余計な事には関心を持たず首を突っ込まない、見て見ぬふりをして見過ごす、お節介はしない、といった極めて消極的な処世の姿勢だ。

この時代、うっかり、事に関わると想定外の事態が起こるので、誰しも、被害を恐れて、周辺の事象に、首を突っ込む勇気が出ないことは多い。 

また、よく知らない他人や外国人は、心理的バイアスがかかって、怖い人、悪い人に思えるので、防衛本能から(?)、身内や仲間内だけにしか心を許さず、知らない人には近づかず、出来るだけ挨拶もせず、知らんぷりをする、といった風潮もある。親や先生は、子供達にはこのように教えるだろうか。

これは私見だが、「知らぬが仏」は、周囲に対して、知らんぷりな態度を取ることを、非難する言葉として、使えるようにも思える。

 一方、以下の句

       ●触らぬ神に祟りなし(大阪)

は、関係さえしなければ災いを受けることは無い、という処世訓で、関わりを持たないことを良しとする姿勢だ。

        ・触らぬ蜂は刺さぬ

        ・近づく神に罰当たる

なども、同意である。 

神仏には、元々、御利益があることから近づく訳だが、神様の祟りとは、教えや約束を守らなかった場合に、罰を受けるという意味だろう。

 

  「論語」には、為政者に都合のいいように、「民は寄らしむべし、知らしむべからず」とあるようだが、江戸幕府にも、この様な魂胆があり、件の彫刻はこれを暗示している、と取るのは勘ぐり過ぎだろう。 

でも、現今の情報化時代にあって、世界の国々の中には、国家レベルで情報を遮断したり、操作していると言われる国も見受けられることだ。

 言うは易く、行うは難いことだが、個人レベルでも、国家レベルでも、先入観を持たずに、事の真実を知ること(知る勇気を持つこと)から始める必要があるだろうか。

 

 

 

 

 

いろはかるた  アラカルト  続々々

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2018年8月13日(月) いろはかるた アラカルト 続々々

 

 

 この所、当ブログに

    ①いろはかるた          (2018/7/1) 

    ②いろはかるた アラカルト    (2018/7/6)

    ③いろはかるた アラカルト 続  (2018/7/16)

    ④いろはかるた アラカルト 続々 (2018/8/5)

を投稿している。 

 ①では、いろはかるたの概略に触れた後、江戸いろはかるたについて、自分で思い出せるものをリストアップしてみた。

 ②では、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げている。

 ③では、筆者の好きなかるたを幾つか取り上げた。

 ④では、余り好きでないかるたを取り上げた。

 

今回は、アラカルトシリーズの最後として、残された話題の幾つかを取り上げた。

 

◇ 余り好きでないかるた

 前稿の続きで、余り好きでないかるた(同意しかねる諺)を取り上げる。 

    ●子は三界の首枷 

  この諺の解説では、親というものは、子供のことにとらわれて、一生自由を束縛されることの喩、とある。

我が子は可愛いもので、動物の世界でも、生んだ子のことで、親は気の休まる時が無いのもその通りだ。 でも、子供の面倒を見る親には、一方で、子育ての喜びもある訳だが、喩とはいえ、子供は親の首枷というのは、やや一面的で、余りに強烈な表現なのが気に入らないのだ。

 

◇三界と三世と

*ここで、三界について改めて調べてみた。「三界」とは、以前には良く使われた言葉のようで、この諺では、「この世」、位の軽い意味だろうが、原意は筆者には良く解っていない。

  手持ちの「広辞苑」第7版によれば、三界とは、仏教の概念で、輪廻が繰り返される中で、以下の三種の世界を表していて、一切衆生は、このいずれかに属しているという。

    欲界 :(最も基本的な世界) 性欲、食欲を持つ衆生が棲む世界    

    色界 :(欲界の上の世界)   欲望からは離れているが物質的存在(色)に束縛されている衆生の世界        

   無色界:(色界の上の世界)  肉体・物質の束縛を離脱し、四蘊(しうん)(受じゅ 想そう 行ぎょう 識しき)だけがある世界 

大半の衆生が棲むと思われる欲界、色界は理解できるのだが、無色界には、どのような衆生が棲むのかが良く解らない。

 

 一方、衆生が生まれる(棲む)状態は、以下の「六道」といわれる。

    天道  人間道  阿修羅道  畜生道  餓鬼道  地獄道

  天道は、文字通りの天国、神の棲む領域で、極楽の世界だ。そして「人間道」の世界が、普通の人間の棲む世界で、ここが、上述の三界に分かれているということのようだ。

下位にある畜生道(人間なのに畜生同然)、餓鬼道、地獄道は、おおよそ解るところだ。以前、庶民には、現世で悪いことをすると、輪廻のサイクルの中で時間軸が進み、次に生れ替わる来世に、餓鬼や地獄に落とされる、と強く信じられていたようだ。 芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」は、一本のくもの糸に捉まって、他を押しのけて必死に地獄から脱出しようとする罪人の様子を描いたものだ。

  人間道と下位世界との中間にあるのが阿修羅道で、争いが絶えない世界と言われ、怖い形相をした男性の阿修羅像が、各地にある。

  封建時代、男尊女卑の思想と家父長制を押しつけられた女性たちは、“女は三界に家なし”とされ、生家では父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従うことと言う、三従の道に生きることを求められたようだ。

 

*又、前世 現生 来世という時間軸の中で、人間関係の繋がりは、

   親子は一世、夫婦は二世、主従は三世 

という、三世の契りがあると考えられたようだ。(他人は五世ともある)

 常識的には、血のつながりのある親子関係が最も大事で、次に夫婦関係が大事で、その次が主従関係(他人との関係も含め)というのが、昔も今も変わらない人間関係の価値観だろう。

でも、これを逆にして人為的なルールを重視するこの思想は、為政者にとっては、社会体制を維持するには、好都合の理屈とも言えようか。 

 

◇ 子宝

  万葉集にある、往時の歌人大伴家持の名歌、

     ●白がねも黄金も玉もなにせむに、優れる宝子にしかめやも

を引き合いに出すまでもなく、夫婦にとっては、子宝に恵まれる嬉しさは掛け替えのないものだ。

 でも、幼い間は素直で可愛いかった子が、成長するにつれ、だんだん、生意気になって言う事を聞かなくなり、様々な問題を持ち込むのは世の常で、三界の首枷という実感も出てくるだろうか。 

  一方、現今、前述の三従の道を乗り越え、仕事にも生きがいを見つけている女性たちは多いが、働き方改革の中で、仕事と子育てを両立させるための子供を預かる施設の確保は、(夫婦にとっての)待ったなしの課題である。 

そんな中、ニュージーランドの現役のアーダーン首相(女性)(J.K.L.Ardern)が、娘子の出産のために、この6/21から公務を休み、6週間の産休を取って、先だっての8/2に復帰したというニュースは、極めて新鮮である。(ニュージーランド首相、産休明け復帰 - BBCニュース )

       

                      退院したア首相(娘子、夫君とともに)(ネット画像)  

  現在の世界各国で、女性の首長というだけでも、かなり稀なケースなのだが、堂々と産休を取り、無事公務に復帰したというのは、信じられない大変な驚きで、彼我の社会の違いの大きさを、実感させられることだ。

 

人間社会の根底を為している、家族と親子関係という繋がりを、生物的、社会的にどうとらえるべきなのか、永遠の課題にも思える。

 

◇自戒の句

 筆者として、後期高齢者の仲間入りしている現在、

      ●年寄りの冷や水 

は、気になる句だ。

 解説には、冷やした水を飲むのは、体に毒ということで、“老人に似合わない危険なまねや出過ぎた振る舞いをすることを、冷やかしたり、失敗を警告する言葉”とある。

自戒の諺でもあるのだが、今年の様な猛暑下では、特に年寄には、大いに水分を補給し、涼しくする工夫も重要だろう。老いの木登り、という、同意の諺もある。   

    

◇仮名尻

 いろはかるた47文字の最後の48番目には、「京」があり、これを、仮名尻と呼んでいる。仮名尻の反対は仮名頭で、犬棒かるたの「い」である。

 江戸いろはかるたでは、この京に、

     ● 京の夢大阪の夢 

という句がついている。この意味は、京、大阪という地域や人それぞれに、異なる夢があるということで、夢の話や夢の様な話をする前に唱える言葉という。夢は不思議なものであること、夢では様々な願望が叶うものだということ、を言っているようだ。

 京という字は、名字にもなっていて、通常の「キョウ」等の他、「カナジリ」と読む姓が、西日本などで実際にあるようで、当ブログの最初の稿(いろはかるた 18/7/1)で触れたことだ。

 いろはかるた発祥の地とされる京都系かるたでは、トレードマークのように、「京」の仮名尻がついていて、

    ● 京に田舎あり(京都)

という句がついている。

 

◇ かるたの簡潔さとリズム

 いろはかるたには、俳句や和歌が土台となっていて、語数が6~12と簡潔で覚えやすいものや、5・7調、7・5調の日本語のリズムをもつ文言が多い。

  江戸いろはかるた48枚を、かるた文言の語数で分類すると以下のようになる。太字は、語数が簡潔な句や、リズムが心地よいと感じられる場合を示している。他の地域の京都系、大阪系のかるたにも、同様のものは多いが、省略する。

 総語数 かるた文言     リズム 

6語 :まけるが かち    (4 2)

7語 :ろんより しょうこ (4 3)

     はなより だんご (4 3)

     おにに かなぼう (3 4)

     なきつらに はち  (5 2) 

     ゆだん たいてき (3 4)

     みからでた さび  (5 2)

     しらぬが ほとけ (4 3)

     えてに ほをあげ (3 4)

     すいは みをくう  (3 4)

 8語 ぬすびとの ひるね  (5 3)

      らくあれば くあり    (5 3)

     くさいものに ふた   (6 2)

     びんぼう ひまなし  (4 4)

9語 としよりの ひやみず (5 4)

    われなべに とじぶた (5 4)

    そうりょうの じんろく   (5 4)

      つきよに かまをぬく  (4 5)

      ねんには ねんをいれ (4 5)

   めのうえの たんこぶ  (5 4)

    うそからでた まこと   (6 3)

    げいは みをたすける (3 6)

10語 へをひって しりすぼめ (5 5)

     かったいの かさうらみ (5 5)    

       おいては こにしたがえ (4 6)

      せにはらは かえられぬ (5 5)

11語 りちぎものの こだくさん  (6 5)

        ちりもつもれば やまとなる (6 5)

        れうやくは くちににがし   (5 6)

       こはさんがいの くびかせ   (7 4)

12語 にくまれっこ よにはばかる  (6 6)

     たびはみちずれ よはなさけ  (7 5)

     ていしゅのすきな あかえぼし (7 5)

     きいてごくらく みてじごく    (7 5)

     えんはいなもの あじなもの  (7 5)

     きょうのゆめ おおさかのゆめ (5 7)

13語 いぬもあるけば ぼうにあたる(7 6)

     るりもはりも てらせばひかる (6 7)

     いものにえたも ごぞんじなし (7 6)

     やすものがいの ぜにうしない (7 6)

     あたまかくして しりかくさず (7 6)

14語 むりがとおれば どうりひっこむ  (7 7)

        ほねおりぞんの くたびれもうけ  (7 7)

     よしのずいから てんじょうのぞく (7 7)

     ふみはやりたし かくてはもたぬ  (7 7)

15語 のどもとすぎれば あつさをわすれ (8 7)

     さんべんまわって たばこにしよう  (8 7)

17語 もんぜんのこぞう ならわぬきょうをよむ (8 9)    

    

 今回で、個々のかるたについて取り上げるのは一区切りとし、次稿では、歴史の中での仮名文字の創出や、五十音と、いろはの関係などについて取り上げる予定である。

 

 

       

仮名文字の創出ー万葉仮名

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2018年9月1日(土) 仮名文字の創出―万葉仮名

 

  この所、当ブログに、

      ① いろはかるた                    (2018/7/1) 

      ②、③、④、⑤ いろはかるた アラカルト 正、続、続々、続々々

                     (2018/7/6、7/16、8/5、8/13)

を投稿してきた。

  ①では、いろはかるたに興味を持ったきっかけと、いろはかるたの概略に触れた後、江戸いろはかるたについて、自分で思い出せるものをリストアップし、②では、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げた。③、④、⑤では、筆者の好きなかるた、余り好きでないかるた、残された話題等を取り上げた。前回で、個々のかるたについて触れるのは一区切りとしたい。

  本稿以降では、日本の歴史の中での、仮名文字の創出や、五十音といろはの関係などについて取り上げることとし、今回は、日本の文化史上の画期的な出来事である仮名文字の創出に至る過程で、大きな意味があった万葉仮名について話題としている。

 

●日本への漢字の伝来

 日本民族(日本列島に住んでいた固有の大和民族)は、言うまでもなく、言葉は持っていたが、世界の多くの民族のように、文字は持っていなかった。日本語の原型となる固有の言葉は、研究者の間では、「大和言葉」と呼ばれるようだ。

大和言葉は、漢語や外来語と動詞「する」からなる複合語を除く、ほとんどの動詞形容詞、および、全ての助詞が大和言葉である。みる(見る)、はなす(話す)、よい(良い)、が(主格の助詞)、名詞では、うみ(海)、やま(山)、さくら(桜)などがあげられる。 (大和言葉 - Wikipedia より) 言うまでもないが、大和言葉には、固有の文法がある。

後述する日本への漢字伝来後には、漢字の音読み、訓読みが行われたが、音読みは、現地中国の発音に近いと言われ、訓読みは大和言葉に近いと言われる。

こんな状況の中に、他の文物とセットで、主に文書の形で、我が国に漢字が齎されたが、漢字を解する人間も渡来している。 

 次々と渡来した先進文化の膨大な量の文字群に触れ、その発音や意味を理解するのは、当時の人たちにとっては、並大抵のことではなく、大変な文化的衝撃だったことは想像に難くない。

日本への漢字の伝来時期には幅があり、明確ではないが、飛鳥時代から奈良時代頃と言われる。ルートも、朝鮮半島経由が大半だが、一部は中国から直接もあったろうか。

漢字文化とともに到来した各種情報は、律令制等の国のあり方や、仏教等に関する、わが国の手本となったことだ。

 奈良時代は、唐招提寺を開いたと言われる、鑑真和上が、苦難の末に大陸から渡来したり、何度か派遣された遣隋使、隋遣唐使を通じて、大陸の先進文化の吸収に努めている。

 

●万葉仮名の発明

 万葉集は、上代の国民的歌集として、現在も親しまれている古典だが、この歌集の表記に、「万葉仮名」が使われて、文献として残されてきた意義は計り知れない。

主に万葉集の表記に使われたことから、万葉仮名と呼ばれるが、表音文字の一種である。(万葉仮名 - Wikipedia )

後述するように、基となる漢字の発音の「音」を真似たり、日本語の意味の「訓」を真似た漢字の文字群が、時間を掛けて考案された。

 

万葉集は、第1巻が7世紀前半(629年)頃に編集され、最後の第20巻(783年頃)まで長期に亘って編集されている。(万葉集 - Wikipedia 他)

  稗田阿礼が誦習したものを、太安万侶が書き取って編纂(712年)したとされる、「古事記」の記述の表記にも、万葉仮名が部分的に使われているようだ。

 この万葉仮名が基となって、後の平安時代に、完全な表音文字である「ひらがな」、「カタカナ」が生み出されているのは、周知のことだ。 

 

 万葉集には、約4500首(長歌を除くと約4200首)もの歌が収録され、中央の皇族や貴人だけでなく、地方の下級役人など、多くの階層の人の歌が入っている。

この時代に、文字を持たない大和言葉の中に、5、7、5、7、7等の、リズムか既に出来ていたのは誇らしい驚きであり、万葉仮名によって記録され、伝えられることとなった。

 

● 万葉仮名の実際

 ここで、ネットで手に入る情報の範囲内だが、万葉仮名を眺めてみたい。

筆者のよく知っている歌について、万葉仮名の表記と、現代語の表記とを対比しながら、以下に数首、取り上げたい。

  万葉仮名には、漢字を中国語の発音のままで、表意文字として使う、「正音」が多いが、漢字を日本語の意味(訓)で発音して使われることもあり、これを「正訓」と呼んでいる。また、「借訓」というのもあるようだ。(万葉仮名―Wikibediaの記事内の1字1音万葉仮名一覧、あははっ 漢字の成り立ち 6 等を参照) 以下の歌には、正音が多いが、正訓だろうと思われる箇所(①、②、③、④など)や、借訓(⑤)も見受けられる。

以下の歌の万葉仮名の表記は、ネット内の複数のサイトから引用しているが、出典の詳細は省略する。 

 

① 額田王謌(歌)   

        

 万葉集の原本では、この歌は、上図右のように、縦書きの万葉仮名で表記されているようだ。(万葉仮名 - Wikipedia より)。 以下の歌も同様である。

                              

② 天皇の蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまへる時、額田王の作る歌

(万葉仮名)

 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

 

茜、君、袖は正訓であろう。

前(さき)、逝(ゆき)、不見(みず)は面白い表示だ。

 

(現代語)

茜(あかね)さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(万1-20)

 

③ 有間皇子自傷結松枝謌

(万葉仮名)

家有者  笥尓盛飯乎  草枕  旅尓之有者  椎之葉尓盛

 

家、笥、盛、飯、旅、椎、は正訓であろう。

乎は、を、を表している。

 

(現代語)

 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

巻二(142)

 

④ 山上臣憶良、子等を思ふ歌

長歌

(万葉仮名)

宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽  麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 -- 『万葉集』巻五・802

ほぼ、1字1音の正音であり、まるで暗号文のようで、歌になっているとは思えない。

農(ヌ ノウ)、枳(キ からたち)、斯(シ)、爾(ニ ジ) は解るが、弓(キュウ テ?)は不明。

(現代語)

食めば  子供思ほゆ    食めば   まして偲はゆ   何処より   来たりし

ものそ  目交に    もとな懸かりて   安眠し寝さぬ

反歌

(万葉仮名)

銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 --『万葉集』巻五・803

銀、金、玉は正訓で、他は、標準的な正音であろう。 

(現代語)

(しろがね)も (くがね)も玉も 何ぜむに 勝れる 子に及かめやも  

 

⑤ 志貴皇子

 

(万葉仮名)

       巻八 1418

石、激、上、出、春、成は正訓だろうか。鴨(かも)は借訓というようだ。

 

(現代語)

岩はしる  垂水の上の  さ蕨の  萌え出る春に なりにけるかも

 

 

 

 

 


万葉仮名から平仮名へ

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2018年9月8日(土) 万葉仮名から平仮名へ 

 

 前稿では、文化史上の画期的な出来事である仮名文字の創出に至る過程で、大きな意味があった万葉仮名について話題とし、万葉集の歌を通して、その実際に触れた。

本稿では、平安時代以降に、この万葉仮名から、日本で創出された平仮名に至る過程を見てみたい。

 

●万葉仮名の発明  

 主に万葉集の表記に使われたことから、万葉仮名と呼ばれるが、表音文字の一種といえる音節文字である。万葉仮名には、漢字を中国語の発音のままで、表音文字として使う、「正音」が多いが、一部で、漢字を日本語の意味(訓)で発音して、表意文字として使われることもあり、これを「正訓」と呼んでいる。(万葉仮名 - Wikipedia )

上記万葉仮名のサイトには、現在の50音表の形に整理した、1字1音万葉仮名一覧があり、各行、各段に載っている万葉仮名の数は、下表のようになっている。

 

マ  

4

7

9

8

10

20

11

9

6

3

3

7

4

4

イ甲

8

9

29

7

14

12

8

 

7

6

6

12

6

3

イ乙

9

 

12

7

 

 

4

 

6

7

7

11

6

7

8

7

4

3

 

6

4

3

7

エ甲

4

7

9

7

6

12

4

9

5

4

4

2

10

4

エ乙

5

6

7

5

2

オ甲

4

8

5

7

3

11

6

4

2

13

9

1

5

4

オ乙

9

9

10

4

14

6

2

7

6

7

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 通常の50音表の文字(清音)だけで、537文字、さらに濁音が141文字加わっている。

清音の50音表は、48文字なので、万葉仮名から50音表に整理されるまでに、

         (537-48)/537 ≒ 91.1%

の圧縮率である。

また、濁点文字は、50音表の清音文字に、濁点(゛)を付すだけなので、べら棒な簡略化となる。表には無いが、半濁点(゜)についても同様だ。

 表中の、イ段、エ段、オ段は、甲、乙に分かれている。これは、調べて解ったことだが、往時は、

     イ段  キ、ヒ、ミ

     エ段  ケ、へ、メ

     オ段  コ、ソ、ト、ノ、モ、ヨ、ロ

の13文字については、発音が明確に区別されていたことから、別文字になっていたという。

これは、上代特殊仮名遣と呼ばれるようで、このことを見出したのは、遥かに後の江戸時代の碩学で、古事記伝の著者として有名な、本居宣長という。(上代特殊仮名遣 - Wikipedia

日本語や文字の成り立ち等について、長年にわたって苦闘した先人達の努力に、門外漢ながら、頭が下がる思いである。

 

●平仮名(ひらがな)

  平安時代に、万葉仮名の元となる漢字を崩した草書体から、平仮名は生まれたと言われる。

平仮名の一覧を、下図に示す。( 平仮名 - Wikipedia より) 

     

 この表で、ひらがなの元となった漢字は、全て、先述の、537字の万葉仮名に含まれていて、使用頻度の多い万葉仮名が、上表のような平仮名になったという。

川の文字は、音・訓では、セン、かわ だが、平仮名のつ、になったのはなぜだろうか。後稿で触れるカタカナのツの元字 津の氵(さんずい:川)から来たのかも知れない。

    川    → つ

 往時は、筆書きで草書体の文字も多用され、馴染みがあったと思われるが、ワープロ時代の現代には、以下の様な文字が元となっているとは、かなり理解しがたい所がある。

    幾(機) → き

    美    → み

    武    → む

    遠    → を 

 数多くの万葉仮名から、どのような時間的経過を辿って、ひらがな48文字に絞られていったのだろうか。 この標準化は、自然に収斂していったのか、どんな人物や組織が関与したのか、興味のあるところだが、これ以上の究明は省略したい。

 ● 代表的古典 枕草子の原本

平仮名の発明のお陰で、紫式部、清少納言等の、皇族・貴族に仕えた女性達を中心として、平安女流文学が隆盛したのは周知のことだ。

ここで、筆者が高校時代に古文として習った、清少納言が著したとされる代表的古典である「枕草子」を見てみたい。

下図は、枕草子の有名な冒頭部分の原文である。(書写本の写真)

   枕草子原文

 現代に使われている、平仮名で書かれていると思いきや、流暢なかなもじで、しかも、かなりの部分が「変体仮名」の形になっているのには、驚かされた。更に、句読点も濁点もないようだ。途方に暮れていたところ、ネットの中に、原文を解析して、万葉仮名、ひらがな、現代文の形に対比している、まさに好都合な資料が見つかったのである。(【みんなの知識 ちょっと便利帳】『枕草子』の『変体仮名・くずし字』を読み解く - 第一段(序段・初段)【四の一】 )

 このサイトでは、 上記の原本の、最初の4行について、

     ① 原本(写真)

     ② 万葉仮名

     ③ ひらがな

     ④ 現代文

のように、対比して示されていて、それを、そのまま、引用させて貰う。(下図)

                                                ④  ③ ②  ①   

  さらに、同サイトには、冒頭の原本全体について、③のひらがな にしたものが載っていて、原本の行の区切りに合わせて、横書きを縦書きに直して示したのが、下図である。少し長くなるが、全文を引用している。

そして、このサイトには、解り易い、④の現代文にしたものも載っているので、これも、行の区切りを合わせ、横・縦を変換して、全文、以下に続けて示している。

 

 ①の原本と、③のひらがなを比較してみると、句読点や濁点がないので、かなり読みにくく、漢字は、訓読みで

     雲、月、夕日、山、火、飛ぶ 行く 雁 日、入る

があるだけである。

 ④の現代文になって、漸く、以前に親しんだ文章になっている。

  この原本は、江戸時代初期の、寛永年間に作成された書写本のようだが、平安時代からこの時代頃まで、万葉仮名、ひらがな、訓読みの漢字が混用され、形は変体仮名のスタイルだったとは驚きである。

 

●変体仮名

 ここで、已む無く、変体仮名について調べることとなった。筆者が趣味としている尺八の楽譜に、箏曲の地歌の唄が変体仮名で書いてあり、少しく馴染みはあるのだが、大変厄介な文字、という印象で、わざわざ、自分で、変体仮名を平仮名に換えて楽譜に貼りつけている。

文字の種類と言うより、表示の流儀・スタイルというのが適切かもしれない。

ネットで調べると、変体仮名には、長い時代の経過の中で数多くの形があり、代表的なものの一つを、下図に示す。 これに依れば、殆どが、現代のひらがなの元字の万葉仮名と同じで、す、が異なるだけである。

  す;下図 春 須  ひらがな  寸  

  代表的な変体仮名の例

 

  下図の様な変体仮名もあり、上図と比べると、元字の万葉仮名が同じものも多いが、異なるものもある。

更に調べて行くと、元字が同じでも崩し方が異なると違った かなになる、など、切りがなく、勘弁してくれ! と言いたいところだ。 

   変体仮名の他の例

  明治時代になっても、平仮名と各種変体仮名が使われていて、学校教育でも、同じ発音に、複数の文字が存在していて混乱があったようで、これを終らせるために、明治33年(1900年)の小学校令施行規則で、変体仮名の使用を禁止し、平仮名一種だけを使うようにしたことで、これにより、次第に平仮名に収斂していったようだ。  

 でも庶民生活では、変体仮名には根強い人気もあり、昭和の終戦前位までは、使われていただろうか。 本ブログの いろはかるたシリーズの当初の記事で多数引用した いろはかるたは、変体仮名で書かれており、歴史ある街並みのそば屋等の看板には、今でも見受けられることだ。下図に、数例を示す。

 

       

           奈可井:ながゐ 者 楚 生:ばそ生                       満佐古:まさご 

                 (はの元字は者!)  

 

                 

            宇奈畿:うなぎ               安希保乃:あけぼの              天婦羅:てんぷら

           (鰻の絵が可愛い!)                                    (婦に半濁点 ゜が面白い)

 

    

        

 

 

 

 

片仮名と日本語の文字表現

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2018年10月2日(火) 片仮名と日本語の文字表現

 

 

● これまでの概況

◇この夏以降、当ブログに、

     ① いろはかるた           (2018/7/1) 

     ②、③、④、⑤ いろはかるた アラカルト 正、続、続々、続々々

                           (2018/7/6、7/16、8/5、8/13)

を投稿して、いろはかるたを中心に取り上げてきた。

 

◇引き続いて、以下の記事で、日本語の文字表現に関し、歴史の中での漢字の到来と、万葉仮名から平仮名の創出の経過を見、万葉集の歌や、古典の枕草子を見てきた。

     ・仮名文字の創出―万葉仮名     (2018/9/1)

     ・万葉仮名から平仮名へ        (2018/9/8) 

 

今回は、日本語の文字表現について、片仮名の創出と、和漢混淆文(漢字仮名混じり文)、漢文の読み下し(訓読文)等について、主に取り上げている。

 

 ● 片仮名の創出 

 平安時代に、平仮名(ひらがな)や変体仮名が生まれたことから、以降、平安文学等が隆盛した事は前稿でも触れたが、一方で、わが国では、片仮名(カタカナ)も作られている。

平仮名は、元となる万葉仮名を、草書体に崩したものから作られているが、これに対し、片仮名は、元となる漢字の字体を、簡略化したものと言える。

この片仮名は、奈良から平安にかけ、仏教寺院で、学僧が、漢籍の経典を読み解き研究する場合に、原典に小さく符号のようにカタカナで訓点を付したのが始まりと言う。片仮名は、元字となる万葉仮名の、楷書の字体の一部を残すかたちで、下図のように成立したと言われている。

     

        カタカナの由来の漢字(片仮名 - Wikipedia より) 

 

上図で、大半は単純明快だが、やや理解が難しいカタカナは以下だろうか。

    機→キ

    須→ス

    部→ヘ

    末→マ

    惠→ヱ

    →ヲ 

 

◆ 漢字と仮名の混在の流れ

 平安時代以降、文学作品には和漢混淆文が多用され、平家物語、徒然草、方丈記や、宇治拾遺物語などがあげられる。

又、江戸時代の、好色一代男 東海道中膝栗毛 奥の細道などの作品も、このカテゴリーに入るだろうか。

また、公家や幕府・藩の公的な記録としは、漢文で作成することも行われてきただろうし、漢字で書かれた原典を読み下すことは、仏典以外の漢籍に関しても訓読が行われたようだ。江戸時代には、儒学、朱子学として、中国の四書、五経などの文献が盛んに研究さている。 

訓読文は、文法の違う中国語の文献を、日本語に近付けて理解するために編み出された、先人の大変な工夫であろう。 

 たまたま、この9/20のTV放送を観ていたら、 蘭学を極めた杉田玄白著の解体新書の話題となり、病気の名前や、処刑人の死体を解剖した身体の部位名等が出てきたが、本体は漢字仮名混じり文であった。

 

でも、字が読める人口は、僧侶や専門職や知識人に限られていて、識字率が低かった一般庶民は、どのようにして情報を得ていただろうか。 江戸時代の瓦版と、高札の例を下図に示す。(図はネット画像より引用)

     

             瓦版(漢字かな混じり文)と売り子

  

 

        復元された箱根関所の高札(漢字仮名まじり文)

 

◆ 明治以降

 このような経過で、我が国では、長い間、文字表現が混在し、明治が始まる時には、文字としては、漢字、平仮名、片仮名、変体仮名が混在し、文書としては、漢字仮名交じり文を主として、漢文の訓読文なども行われたようだ。

学校教育が重視され、変体仮名の使用が禁止されたが、終戦前までは、明治憲法(大日本帝国憲法)や、尋常小学校の教科書は、ひらがなではなく、カタカナだった。 この間、社会一般では、ひらがなは、どのように使われたのだろうか?

 

 終戦後になって、学校教育では、子供たちは、ひらがなから始まり、やさしい漢字を覚え、カタカナも覚えていくようになった。

最近では、日常的には、放送や新聞等は、漢字仮名交じり文がメインだが、国際的交流も盛んになり、生活の洋風化も進んでいることから、外来語や外国の人名、地名等が頻繁にカタカナ表示で現れ、日本の地名や人名が、ローマ字で表示されることも多くなっている。

 日本語を覚えようとすると、これだけ多様な文字表現を習得しなければならない訳で、日本の子供たちは大変だ。ましてや、外国人にとっては、更に大仕事である。

  

 次稿では、五十音表(図)の作成や、音韻関連を取り上げ、更には、漢字文化圏の今後と日本語の将来等について話題として、シリーズを締めくくる予定である。

 

 

「余談1」

自分の名前には、平仮名、片仮名の元字 が多いのが、“変な”自慢である。  

     阿 カタカナ  ア

      部 カタカナ  へ

      正 

      之 ひらがな  し

 残念ながら、正は、含まれておらず、万葉仮名にも無いが、古来、わが国では、数を数える時に、5づつ纏めるのに、5画の正の字が使われている(画線法というようだ)。

 

「余談2」

 以前、高校の授業で、「漢文」を習った。大学受験のセンター試験では、現在も、国公立大では、国語の一環として、必須になっているという。

最近では、漢文を目にする機会は大幅に減っているが、今でも諳んじている幾つかを以下に示す。(図はネット画像より引用)

 

・論語 学而編  訓読のための折り返し点(レ、一二) 

   

・漢詩 五言絶句  リズミカルで力強い訓読文 

 

今年の正月飾り

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2019年1月12日(土)  今年の正月飾り

 

 

2019年(平成31年)も、速いもので、もう、10日を過ぎていて、TVの正月番組もほぼ終わって、世の中は、通常の活動が始まっている。

昨年の10月初旬以来、所用や体調のため中断しているブログ記事だが、再開する手始めに、我が家の、今年の正月飾りについて取り上げることとしたい。

 

  今年は、正月飾りの材料である、花材や輪飾りや鏡餅は、ワイフKが常用している生協で、取り寄せた。玄関先には、恒例のことだが、傘立てを活用した正月飾りを作った。葉ボタンや、センリョウ、チューリップなどに加え、「啓翁桜」がお目当てである。この啓翁桜は、かなり早い時期にかわいい花を咲かせることで人気があり、筆者の出身地の山形県の村山地方で栽培されている桜である。 写真の玄関飾りの後方で、白く見えているが、今日見たところ、満開である。

    

 一方、これも恒例だが、暮れには、関西の知人から、庭先にある、松、竹、梅、南天等を剪って送っていただいたが、これらも一緒に飾った。ガーベラは、近くの花屋で手に入れたものだ。

  

 同じく、風呂場のギャラリーにも、正月の花を飾った。こちらの主役は、近くの花屋で買い求めた、ユリ(ソルボンヌ)で、2本の花枝それぞれに、蕾が3個ついている。1個は開花していて、飾っている間に、萎れることなく、2、3個と確実に開いていく。右は、二つ目が開いたところで、後方左には、関西の知人から送られた、紅梅も開いている。

壁際には、分かりにくいが、水廻りに掛ける、正月用の輪飾りも見える。、

        

        開始時                暫く後 

 

  リビングには、簡単にセットできる、鏡餅も飾ってある。黄色いダイダイは、食べられないのが、残念。 3年前、鏡餅を買った時のおまけが当たって、都内の有名な花屋から届けられた、スパシフィラムが今も健在である。

  

 正月飾りを外す時期は、地域によって違いはあるが、我が家では、お焚きあげのある、14日と決めており、鏡餅も、ハラノマチ行きとなっていただくこととなる。


  成人式も終わり、年賀はがきの抽選が終われば、ノーマルモードに戻る。

Brexit その後

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2019年1月16日(水) Brexit その後 

 

◇ 年末から新年にかけて、世界のビッグニュースが飛び交っているが、その中の一つが、イギリスのEU離脱をめぐる、ごたごたである。

イギリスのEU離脱について、一昨年、世界的な関心の高まりで、マスコミでも大きく取り上げられ、本ブログでも、以下のように、何度か、かなり詳しく取り上げている。 

     Brexit  1 (2016/7/2)

           2 (2016/7/9)

           3 (2016/7/17)

           4 (2016/10/10) 

その後は、交渉の進展を見守るということで、国際的にはあまり話題にならなかったが、回答期限が迫ってきた昨年後半以降、問題が表面化してきたようだ。

 この1月、イギリスを訪問した安部総理が、11日、メイ首相と会談し、合意なき離脱を避けるべく要請した。次に訪れたオランダとともに、君主国であることは、日本の君主である天皇の交代と関連があるかもしれない。

 

◇ 昨年後半に、イギリス政府(メイ首相)とEUとの間で、離脱の合意案が何とか纏められたのだが、この合意案(条約案)は、イギリス議会の承認が必要なため、議会に上程された。

 でも、合意案に対して、与党の保守党内からも反対意見が出るなど、採決を行えば否決されるのは必至の情勢のため、政府は、緊急措置として、議会での採決時期を1月に遅らせ、それまでの期間、メイ政権は、EU側と交渉して譲歩を引き出す努力を行う一方、議会内では、必至の説得工作をおこなってきた。

 

              イギリス議会で演説するメイ首相(ネット画像より)

  でも状況は変わらぬ中、いよいよ土壇場となり、昨日1月15日の採決で、

     賛成202票、反対432票

の大差で、合意案が否決された。

 交渉開始から2年以内ということで、3月29日が離脱通告の期限となっており、「合意なき離脱」という、最悪の事態が現実味を帯びてきている。

  ◇ EUには、現在、イギリスを含め、28の主権国家が加盟しており、EU域内では、ヒト、モノ、カネ、サービスの移動の自由が保証されていて、共通通貨である、ユーロ(€)が使われている。

    

   よく見えないのだが、イギリス議会内での重要な反対理由は、以下の2点という。

       ①「モノの自由貿易圏創設」

         ②「アイルランド国境管理問題」

(以下は、EU離脱まで残り半年…イギリスはこうして「袋小路」に迷い込んだ ,イギリス EU離脱.htm など参照)

 *離脱後のモノの貿易では、イギリス側は、EUと共通のルール(製品の規格、基準など)を採用し、自由貿易地域(モノの自由貿易圏)をつくるという案を示しているが、EU側は、これに反対しているようだ。 このままで、イギリスがEUから離脱すると、モノの移動に関しては、無関税から、外国並みに関税がかかることとなる。

 昨年夏、日本とEU間で、経済連携協定(EPA:Economic Partnership Agreement)が締結され、この2月1日から発効予定だが、イギリスも日本と同じようになるということだろうか。

 *最も厄介なのは人の移動に関する問題という。イギリス側としては、人の移動については基本的に規制し、モノの移動については加入時のまま自由、というのが理想なのだが、EU側は、このような、いいとこどりは許さない、というものだ。

この移動の関係で、陸続きになっている、イギリス領北アイルランドとアイルランド間の物理的な国境管理(税関、検問所)が、大きな問題のようだ。

  1922年、イギリスに併合されていたアイルランドが、イギリスから独立し自治領となるが(アイルランドが完全に独立国となったのは、1931年)、この時、アイルランド島北部が、北アイルランド自治領として、イギリスに残ったが、この地域で、宗教問題もからんで、第二次世界大戦後も、紛争が繰り返されてきた。

              (ネット画像より)

 

 その後、イギリスとアイルランドが揃ってECに加盟しているのだが、今回のイギリスのEU離脱騒動で、この国境管理が問題となっているのだ。

 デリケートな国境問題が、離脱問題を、イーハン難しくしていると言えよう。アイルランドとしては、絶対条件として、イギリス離脱後に、国境管理がおろそかになるのは避けたいところで、人の移動に対して厳しい条件をつけている。

   

◇ 以上のような状況の中にあって、イギリスとEUとの間の板挟みで、メイ首相や政権  は苦慮している訳だ。

 イギリス議会での方向がどうなるかは分からないが、何らかの合意ができて、軟着陸する可能性もあるだろうか。

 合意案が最終的に否決され、期限切れとなった場合は、合意なき離脱が現実となる。その後については、国民投票の再実施、メイ政権の退場と政権交代、総選挙の実施、などのシナリオが考えられるが、イギリスが安定するまでの期間、政治や経済の世界で、世界的な混乱を引き起こすだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の正月飾り ー続ー

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2019年1月18日(金)  新年の正月飾り―続―

 

 つい先日の12日、今年の正月飾りについて、当ブログの記事として載せたが、14日に、飾りを外した所だ。大半の花材は、塩を振るなどして処分したのだが、玄関先の「啓翁桜」(ケイオウザクラ)だけは、風呂場ギャラリーに、見事に復活である。

      

 玄関先にあった時は、薄暗い後ろの方で余り目立たなかった。一本のその大枝を、明るい風呂場に飾り直し、湯船に浸りながらゆっくり眺めると、うす桃色の花びらと、これを支える萼が薄緑で、ところどころに、若緑の葉芽も見える。茶褐色の枝との全体の対比が軽快だ。

            拡大図

 今年は、生協を通して手に入れた正月飾りと「啓翁桜」だが、来年も、故郷山形の思い出につながるこの花を取り寄せ、一足早い春を楽しみたいもの。

Brexit  その後 続

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2019年2月1日(金) Brexit その後 続

  

◇ イギリスのEU離脱については、一昨年、世界的な関心の高まりから、マスコミでも大きく取り上げられ、本ブログでも、以下のように、何度か、かなり詳しく触れている。 

  Brexit  1 (2016/7/2)

          2 (2016/7/9)

          3 (2016/7/17)

          4 (2016/10/10)

 

 そして先月、本件に関し、久しぶりに、以下の記事を載せている。この中では、昨年秋に纏められた、イギリス政府とEUとの間の合意案が、今年の議会で、1/15に、大差で否決されたところまで触れたところだ。

    Brexit その後(2019/1/16)

 

 離脱のタイムリミットの3/29が迫る中、イギリス議会内では、「合意なき離脱」という、最悪の事態を避けるための、更なる動きがあったようで、この辺について、前回の続編として取り上げることとしたい。

 

◇ 前稿で触れたが、1922年、アイルランドがイギリスから独立する時に、イギリスとの間で争いがあり、北アイルランドがアイルランドから分離されてイギリス領に残った。 大まかに言って、宗教対立で、北アイルランドのカソリック派は、分離前のアイルランド入りを望み、プロテスタント派はイギリス残留を望んでいるということで、特に、1960年ごろからは、IRAによる、激しい闘争が繰り返されている。 これが、1998年のベルファスト合意で、何とか収まったようだ。 

 1973年に、イギリスとアイルランドが揃ってECUに加盟しているが、同じEU内同士ということで全く問題はなかった国境問題が、今回のイギリスのEU離脱騒動で、この国境管理が大きな問題となっていて、寝た子を起こす結果となった。

 

◇ イギリス領北アイルランドとEUとの間の国境をめぐって、先に否決された合意案には、「バックストップ条項」なる一項があるようだ。Backstop という言葉は、もともとは野球などのスポーツ用語で、ボールが飛び出すのを防ぐ金網のことという。 

 北アイルランドとEUの境界を、このような概念でとらえる理由が、いまいちわからないが、いざという時の保険と言った意味合いのようだ。

 

 イギリスのEU離脱をめぐって、イギリスとEU間の境界線をどう決めるかは、重要なテーマの一つで、いくつかの案が考えられるようだ。ネットの関連記事には、以下の図が出ているので、引用させていただく。 A、B、Cは、筆者が便宜的に付けたものだ。

ブレグジットのアイルランド国境問題) 

   Aバックストップ案      Bアイルランド海境界案     Cアイルランド境界案

 Cのアイルランド境界案は、アイルランド島内に、関税の明確な境界ができる案だ。

現状からの大きな変更が必要となり、、紛争のネタになることが懸念され、アイルランド、イギリスともに望まぬものだろう。

 Bは北アイルランドをEUに残す案で、イギリスは当然反対だ。 

そこで出てきたのが、Aのバックストップ案のようで、EUから提案されたともいわれる。

明確な境界線を回避したいのは関係国の思いだが、これを実現する他の方法がっ見つかるまで、イギリスはEUの関税同盟にとどまる案という。なんとも不思議な、いわば、時限をもうけたあいまいな条項だ。イギリスにとっては都合のいい案だろうか。大陸側の諸国は反対だろうが、どうしてこんな条項が合意されたのだろうか。

 

  ごく最近のイギリス議会で、メイ首相から、否決された合意案の修正提案があり、受け入れられ、期限を切って、EUと再交渉するとなったようだ。

 内容はよくわからないのだが、EUのトウシェスク大統領は、この修正案に賛成していないという。

  

◇ EUの主要メンバーの一つであるイギリスが、離脱することは、世界の政治や経済にとっても、かなり大きな影響があることは事実であり、EU内部での、動揺につながる可能性も大きい。

でも、イギリスは、EUから抜けても、相応の経済力を持ち、NATOでの軍事力も強大で、国連の常任理事国であり、G7のメンバーであることに変わりはない。往時の栄光を夢見る離脱強硬派は、合意なき離脱でも支障はないということだろうか。

  懸念されている合意なき離脱が、合意あり離脱と、具体的にどのような違いがあるのだろうか、素人である筆者には、殆どわからないところだ。

 ともあれ、現実問題として、日本の企業などでは、イギリスにあった、ヨーロッパの出先機関を、ロンドンから大陸に移すなどの準備が進められているようだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Brexit  イギリス海峡

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2019年2月6日(水) Brexit  イギリス海峡 

 

 イギリスのEU離脱については、数日前、以下の記事を投稿したところだ。

    Brexit その後  続(2019/2/1)

 

そして2/2に、たまたまスイッチを入れたNHKテレビのBS放送番組「体感 グレートネーチャー」で

     圧巻! 白亜の大断崖を行く~英仏海峡の秘密~

を、因縁のようなものを感じながら、引き込まれるように視ることとなったのである。 

 太古の1度目以来、今や、2度目のBrexitが行われようとしているのだろうか!(英国:最初の離脱は氷河期に? 科学誌に報告 - 毎日新聞.url

 

  そして、またもや不思議な因縁のようだが、著名なサッカー選手の乗った軽飛行機が、先日イギリス海峡で行方不明になり、4日のニュースで、海底から、機体が発見されたということが伝えられたのだ。(仏海岸に座席クッション漂着、サラ選手搭乗の不明機か

  今回、TVで見たイギリス海峡の話題を軸に、Brexitについて取り上げたい。

  

◇ イギリス海峡は、これまで、歴史上、いろいろと話題になってきたが、 イギリス側のドーバー近郊の海岸線に、白亜の岸壁が連なる光景があるという。

イギリスでは、「ドーバーの白い壁」 (White Cliff of Dover)と、呼ばれているようだ。 ドーバー海峡対岸の、フランスのカレーからも、この白い壁は見えるようだ。

 白い壁の岩石の成分は石灰質で、チョーク材(白墨)等になるという。 

  

                     イギリス側のドーバーの白い壁(長さ約3km、 最高高度110m)

    イギリス側の位置:ドーバー近郊地図

 

 イギリス海峡を挟んだフランス側にも、同様の白い巨大な岸壁があるようだ。場所は、イギリス海峡の南西部のノルマンディー地方で、セーヌ川河口に近いルアーブル近郊の小村エトルタで、「エトルタの白い壁」と呼ばれる景勝地のようだ。

 

 フランス側:長さ 数km、高さ50m以上 (尖塔や象の鼻に見える造形なども) 

         フランス側の位置(ルアーブル近郊)

 

 ◇ 海峡形成過程の解明  

 上述の番組によれば、イギリス海峡を挟んで、このような対称的な光景があるのは、地質学での長年の謎だったようで、いろんな仮説が唱えられて来たようだ。

  太古には、イギリスは大陸とは切り離されていて、その間、海底に石灰質の大量のプランクトンの死骸が堆積したという。そして、その後の地殻変動で、海底が海面上に隆起して、大ブリテン島と欧州大陸とが、石灰質の陸続きになったという。

 その石灰質の陸地に、地殻変動で亀裂ができ、北海から海水が流れ込んで湖となり、断層で滝と滝壺ができ、長い時間を経て滝つぼが移動して、ついには、海で分断されて、海峡になったという説だ。

 両岸に分断された海岸線は、長年の波と風の浸食で、断崖絶壁になったという。

なんとも雄大なストーリだ。

 アメリカのナイヤガラの滝でも、現在の滝の下流に、太古の滝壺の跡があるといわれる。硬い岩石でも水流で削られて滝壺が移動するようで、石灰質の岩なら、比較的削れ易いだろうか。

 

 番組やネット情報によれば、最近、ドーバー海峡で行われた国際的な海底調査で、海峡の中間に、滝壺の跡とみられる場所が見つかったことが、2017年に科学誌に公表されて、上記のような、両岸の白亜の絶壁とイギリス海峡の形成過程の仮説が裏付けられたといわれている。 海底には、人間が生活していた跡と見られる、人工的な木杭も見つかったという。(下図)

地質学的ブレグジット 英国が欧州大陸から分離した謎ついに解明?) 

 やや分かりにくいが、下図はドーバー海峡で、陸地は緑色だ。海峡部分の海面からの深さを色で表していて、赤から黄、薄緑、青と深くなり、一段と濃い青の部分が、滝壺の跡という。

  

 

◇ マルハムコーブ( Malham Cove)

 また、番組では、イングランド中部のヨークシャー・デール国立公園にあるマルハムコーブについても紹介された。(場所や名前は、後日、ネットで確認)

下図のように、草原の中に石灰岩に覆われた広い平地があり、地面には縦横に深い亀裂が走っている。自然の造形といわれ、石灰岩が、氷河によってえぐり取られ、そこに雨水が入り込んで亀裂ができたという。(下図 ネットより)

      

                マルハムコーブ風景 1                                マルハムコーブ風景 2

  石灰岩の奇形といえば、日本国内のカルスト台地の秋吉台や各地の鍾乳洞などが思い浮かぶが、これらとは異なって、マルハムコーブは、広大な、古代の遺跡のようにも、城壁跡の石垣のようにも見える。

 また岩の表面は、かなり狭いので広さでは比較にならないが、以前訪れたことがある、東尋坊の岩場(柱状節理)に似ているようにも見える。 

 異様な光景はここの地底にもあり、テレビ番組では、調査隊が潜り込んだ先には、なんと、100mもの落差のある、地底の大滝が現れた。

  地表といい、地底といい、ここマルハムコーブの地形が、どのようにして形成されたのか、これらとイギリス海峡の生成過程とがどのように関連付けられるのか、よく理解できなかったのだが、地質学では、学術的に重要な地域なのだろう。

 

地球上には、テレビでも見たことがない、想像を超える、幾多の絶景があるようだ。

  

◇余談1 海峡トンネル

 ドーバー海峡は、津軽海峡よりも少し狭いが、現在は、鉄道専用のトンネル(ユーロトンネル)が掘削され、1994以降、供用されている。

     英語名:The Channel Tunnel 

 数年前、欧州への難民・移民問題が大きな問題になった時は、ユーロトンネルで、トラックを運ぶ貨車に潜り込んで、イギリスに渡ろうとした多くの人たちがいたようだ。

(英仏海峡トンネルに不法移民殺到)

 ◇余談2 海峡名

 イギリス海峡   イギリスとヨーロッパ大陸間の海峡(北海と大西洋を結ぶ) 

             英;English  Channel (英仏海峡とも)

                    仏:La Manche

 ドーバー海 峡  イギリス海峡の最峡部(32km)

            英:Strait of Dover

            仏:Pas de Calais(カレー海峡) 

◇余談3

 地球の地質時代の区分に、「白亜紀」と呼ぶ時代があるが、このネーミングは、イギリ

ス海峡の白い岸壁からなずけられたという。

 


啓翁桜  再再登場

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2019年2月10日(日)  啓翁桜 再再登場

 

  玄関先での正月飾りに使った「啓翁桜」を、風呂ギャラリーに復活させたことは、当ブログの

      今年の正月飾り -続ー (2019/1/18)

で触れたところだ。  復活したこの桜も、間もなく花が散って葉桜となったのだが、その若葉のみずみずしい薄緑は、何ともいえず爽やかで、暫く、葉桜を鑑賞したことだ。

  そして、先週のことだが、ワイフKが、近くのスーパーで、見事な啓翁桜を見つけて、買ってきたのである。産地は同じく、故郷の「やまがた」とある。

生協で取り寄せた玄関飾りの方は、暮れに到着したので、1か月以上も前になるが、現地では、いまだに、啓翁桜が咲いているのかと驚かされた。(それとも、冷蔵保存?)

ともあれ、葉桜になった以前の枝と一緒にして、風呂場ギャラリーに飾ってみた。(下図)

      

  

  部分的に拡大してみよう。薄ピンクの新しい桜の花は、やはりいいものだ。 

       

 

 

 上や下に見える薄緑の若葉も爽やかで、花とのコントラストもいい。

      

 

  近隣の橋の袂に、一足先に咲く「河津桜」が4株植えられていて、そろそろ、開花が近いと思われるが、昨日の都心に降った雪に、いささか、驚いているだろうか。

春の足音は、近くまで来ているようだ。

共感ということ  再び  

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       2019年2月18日(月)  共感ということ  再び  

  

  先日、たまたまTVを見ていたら、昨年秋の中国地方の洪水災害で、青年の息子を亡くした親御さんが、同じような経験をした人達との交流を通して、次第に生きる勇気を得ていくという、印象深い話が放映された。

その番組で、

  emphathy エンパシー

という言葉が出てきた。あまり聞き慣れなれない言葉(英語)だが、「共感」と訳されるようだ。 

 

 一方、

   symphathy シンパシー 

という言葉はよく聞くことばで、「同情」と訳される。左翼系運動の支持者を意味する、「シンパ」の語源でもある。

 共感と同情とは、どう違うのだろうか?

 

 以前、当ブログで、東日本大震災の頃に、

     共感ということ 1  (2013/1/23)

     共感ということ 2  (2013/1/27)

     共感ということ 3  (2013/2/02)

という記事を、シリースもので投稿したことがあり、この中では、上記の2つの言葉について、同感、哀れみ、慈悲、感情移入、惻隠、憐憫、無償の愛などの、類似の言葉とともに取り上げているのだが、emphathyのことは、すっかり忘れていた!

 今回は、ごく簡単に、これらの言葉について、再び取り上げている。

 

 何事でも、実際に経験すればよく理解できるようになる、というのは世の常で、TV番組の中でも、ネットで調査したところでも、empathy:共感は、実際に経験した人にしか理解できない感情、というトーンであった。(sympathyとempathyの違い 参照)

 でも、極めて感性豊かな人は、経験がなくても、人の話を聞いたり、読書を通じてでも、共感できるということだろう。

 両者の違いについて、心理学的にはどのように異なるのかは、よく分からなかった。

 

◇ sympathyは、日本語では同情となり、漢字の通り、同じ情(気持ち)を感じるということだろう。

 語源のラテン語では、手持ちの英和辞典では、以下のようだ。

     sympathy=syn(with:ともに)+pathos(feeling:情念)  

 この感情は、ある大変な状況に遭遇した時、

       ・気の毒だ 

       ・可哀そうだ

などと感じる、普通の人なら誰でも抱く感情だ。

 これを、少し踏み込んだ見方をすれば、自分は別にしっかりしていて安全地帯にいる状態の時、他者に対して抱く感情と言え、、やや、上からの目線ともいえようか。理性も働いており、自己犠牲の気持ちまでは無いようだ。

 

◇ 一方,empathyは、共感で、語源のラテン語では、以下のようだ。

      empathy=em(in:なかに)+pathos(feeling:情念)  

 語源では、withとinの違いとなる。

他者と同じ立場で感じることができるということで、目線は、他者と同じレベルだろうか。

 他者と接する時の態度としては、まず聞き役になり、ウンウン、そうだね、辛かったろうね、と相槌を打つことから始まるだろうか。自分の意見や感想を言うのは、後になってから、相手から求められてから、ということだろう。

 状況次第では、理性も失うほどに感じ入り、自己犠牲も辞さない行動となることもあろうか。

 このような態度をとれるのは、受容、寛容、抑制、忍耐、といった徳性が備わっている聖人、宗教家等のレベルで、並の人間には、極めて難しいことだ。

 

   “この世界には、自分には理解できない多くのことがある”

と率直に自覚し、謙虚になることが、凡人としての最低限の処世訓だろうか。

 

  

北方領土問題  その1

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2019年2月22日(金) 北方領土問題   その1

 

  先日の2月7日は、平成最後の「北方領土の日」ということもあり、現在、日ロ双方の政府間で進められている、北方4島の日本への返還交渉と平和条約締結問題に関して、各方面で話題となっている。このテーマについて、今回は、歴史を主に、大まかにとりあげることとしたい。

 ◇ 北方地域の帰属

 北方領土の日は、江戸末期の1855年(安政2年)に、江戸幕府とロシア帝国の間で、日露通好条約が下田で締結された日を記念して、終戦後の1981年(S56年)1月に制定された日とある。(北方領土の日

 この日露通好条約(日露和親条約、下田条約とも)では、当時、両国で探検・調査が進められていて、紛争もあった北方地域に関して、平和的な話し合いにより、条約が締結され、以下のように、帰属が少し明確になったようだ。(日露和親条約 - Wikipedia 参照 )

  ●カムチャッカまでの千島列島はロシア領(エトロフまでの4島は日本領)

  ●樺太は、実質、両国民が雑居する、境界を定めぬグレイゾーンで、形の上では日本領

 その20年後、1875年(M8年)に、サンクトペテルブルクで,樺太・千島交換条約が、日露間で締結され、以下のように、取り換えっこをしたようだ。(樺太・千島交換条約 - Wikipedia より)

  ●千島列島(4島以外の)が日本領に

  ●樺太がロシア領に

 これまでをまとめたのが、下図である。(図はネットより)

  

 交換をした時代背景や直接的な理由については未調査である。 

  その後、満州等の権益をめぐる争いから,日露戦争(1904年(M37)~1905年(M38))が生起し、これに日本が勝利し、アメリカの仲介で、1905年(M38年)に結ばれた日露講和条約(ポーツマス条約)で、樺太の北緯50度の以南地域を、割譲し日本領とすること、等となったことは、周知のことである。

  ここまでで明確なことは、千島列島の択捉以南の4島は、日露通好条約以降、日本領として変わっていない、ということで、この状況が、次項に述べる、第二次世界大戦後まで続いてきたということを、筆者として、改めて確認したことだ。

 

◇ ロシアの参戦とサンフランシスコ平和条約

*第二次世界大戦の終盤、クリミヤのヤルタで行われた、米、英、ソの首脳会談(ヤルタ会談)で、日本との間で不戦条約があったロシアが参戦することや、終戦後のロシアの権益をめぐって、米ロ間で密約があったように言われている。(ヤルタ会談 - Wikipedia

 ソ連は、終戦ギリギリで参戦し、樺太や、4島を含む千島に侵攻して占領、4島の現地の日本の住民は、強制的に追い出され、ソ連(ロシア)の実行支配が、そのまま現在まで続いている。力は正義なり、である。

この辺の経過については省略する。

 *日本が降伏して大戦が終わり、連合国と日本との間で、1951年(S26年)に、「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)が締結され(翌年発効)、戦前まで日本が領有していた、朝鮮半島、台湾、南樺太、満州、千島列島が返還されたことも、周知のことだ。

 この中で、返還した千島列島の中に、4島が含まれるか否かが曖昧で、日ソ間で、解釈上の争いがあり、現在まで続いている訳だ。サンフランシスコ平和条約では、ソ連は会議には参加したものの署名はしていない。(日本国との平和条約 千島列島 参照)

  

◇ 日ソ共同宣言

*1956年(S31年)に、日ソ共同宣言が発出され、両国間の条約となって国交が回復したが、ネットにある共同宣言の内容を、下記に引用する。

その中の最後の項に、両国間で平和条約の締結後に、北方4島のうち、歯舞群島と色丹島は、日本に引き渡し(譲渡)すると書かれているようだ。(日ソ共同宣言 - Wikipedia 参照)

日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する。 日ソ両国はそれぞれの自衛権を尊重し、相互不干渉を確認する。 ソ連は日本の国際連合加盟を支持する。 ソ連は戦争犯罪容疑で有罪を宣告された日本人を釈放し、日本に帰還させる。 ソ連は日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。 日ソ両国は一九四五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。 日ソ両国は通商関係の交渉を開始する。(同日に日ソ通商航海条約を締結) 日ソ両国は漁業分野での協力を行う。 日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島色丹島を引き渡し(譲渡)する

*北方4島の状況 

 北方4島の状況について、以下に整理してみた。

データはネットで得られた範囲内で、以下を参照:北方領土の現状北方領土の人口 北方領土問題対策協会

島名     面積       人口           気候       主産業  

                  終戦時* 現在**           終戦前  現状

歯舞諸島 ≑小笠原      852世帯          根釧地方     漁業   -

                   5281人    ー

色丹島  >徳之島      206世帯        根釧地方     漁業   漁業

                   1038人  6200人  

国後島  ≑沖縄本島   1327世帯       根釧地方なみ  漁業

                   7364人  7800人               林業 

択捉島  ≑鳥取県    739世帯        根釧地方なみ

                      3608人 11000人

      ≑ほぼ同じ *終戦時(1945年)日本人 **1990年時点 ロシア人

 面積では小さく、今は、ロシアの警備隊しかいない歯舞群島に、以前は、大変な居住人口があったというのは驚きである。

 

下図は、歯舞を主にした北方4島の、今年1月の空撮を引用(空撮・北方四島 毎日動画)

     

 

一方、下図は、色丹、国後がやや分かりやすい空撮で、他のサイトから引用(北方4島、日露で賠償請求放棄案  読売新聞 参照)

 

   

 

 次稿で、北方領土問題に関して、素人である筆者の、率直な印象を述べてみたい。

虐待とハラスメント  1

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        2019年3月2日(土)  虐待とハラスメント   1

 

  最近は、虐待、ハラスメント、いじめなどの話題がよく、テレビに登場している。大きな社会的問題であり、被害当事者にとっては、極めて深刻な事態とは理解できても、またか、もううんざりだ、という印象も否めない。

 社会現象化している状況について論評することは専門家に任せることとして、一社会人としての率直な印象を、言葉を主にして取り上げてみた。  ただ、小中高校などの「いじめ」に関しては、テーマが大きく整理が難しいので、今回は見送ることとした。

  

◇ 虐待

 虐待の虐の字は、虎の字と同じ「とらかんむり」 の下に、カタカナのヨを裏返した様な字体 が加わるが、手持ちの古い漢和辞典(新修漢和大辞典(S29)博友社)では、現在と異なり、真ん中の横棒が、左に突き出している難しい字だ。

この漢和辞典では、虐の字義としては、

   虐:ソコナフ(損なう) シヘタグ(虐たぐ) むごくする(惨くする)

とある。

 

●虐という漢字を使った熟語を見てみる。

*虐が先(上)にくる熟語:

虐待 

  むごく人をつかふ 無慈悲に人をつかふ てあらいつかひかた

   (上記漢和辞典より 虐使、逆遇も同義とある)

  むごく取り扱うこと 残酷な待遇 (広辞苑第7版) 

虐待という言葉には、力の上のものが、下のものを手荒く、酷く扱う状況がある。「いじめ」などよりも、格段に「強烈な語感」があり、漢語らしい言葉と言える。

虐待に当たる、英語は :abuse v 濫用する(地位、特権などを) n 濫用

 ab-は接頭語で、離脱(離れる)の意という。したがって、

       ab+use   誤った使い方

       ab+nomal 通常と異なる→異常な 

最近、以下の四字熟語はよく使われるが、力の弱い存在(児童、女性、動物)に対する、力の強い側の、力の濫用である。

  児童虐待   child abuse

  性的虐待   sexual abuse

  動物虐待     animal abuse

 

虐殺 むごたらしい手段で殺すこと 

   大量虐殺(ナチスによる、ユダヤ人のホロコースト)

虐政 人民を苦しめしいたげる政治(苛政) 

 

*虐が後(下)にくる熟語

  加虐・被虐・自虐 (主体と客体の関係)→次項 

 暴虐 

 残虐 

 陵虐

 

◇ サド・マゾ 

 心理学の分野や、社会生活一般では、サド、マゾといった用語が、時々出てくる。

  サド:サディズムの略称  saddizm   加虐性向  嗜虐性向 

      サディスト 〃      saddisst  加虐性向者 

  マゾ:マゾヒズム 〃    mazohizm  被虐性向

      マゾヒスト 〃     mazohist  被虐性向者

 能動的に、対象を困らせ、虐めることで喜びを感じる性向がサドで、ここでの虐は、前項と同義である。

 逆に、受身的に対象に虐められて喜びを感じる性向を、マゾというようだ。 

   総じていえば、普通の人間には、男性には加虐性向、女性には被虐性向があるといわれるが、個人差は大きいと言えよう。 

 この傾向が強く、特に、性の分野で度を超すと、

   異常性欲    abnormal sexuality

   性的倒錯    paraphilia

 となるようだ。 

  

◇ 暴力

  反社会的な団体として、現代にも、暴力団があることは周知のことだ。

一方、相撲界や学校の運動部での、暴力行為が最近も大きな問題となっていることで、当ブログでも、何度か取り上げてきている。

ここでは、最も身近な,DV:Domestic Violence のことを取り上げたい。

DVとは、家庭内暴力のことで、夫婦間、親子間などの、親密な関係にある人による暴力のことである。(広辞苑 第7版)

後述の野田市の少女殺害事件は、父親が子供や妻に対して行使した暴力が問題となった児童虐待で、DVの典型と言えよう。父親は子供への躾(しつけ)と言っているようだがーー。

躾とDVとの境界が問題で、叩かれた子供の痣が見えないようにしたり、世間体から学校を休ませていたようだ。母親は、娘を庇うと、夫(娘の父親)に自分がやられるのを恐れて、暴力を止められなかったというが、警察は、止めなかった母親も逮捕している。何とも言えない、悲しい事件だ。 

事件発生までの、関連機関の動きについては、次稿で述べる。

 

◇ハラスメント 

 職場では、ハラスメントという言葉がすっかり定着していて、セクハラ、パワハラが話題となる。ハラスメントの語源は英語で、

   harass: v 困らせる 悩ませる

   harassment: n 悩ませる(/される)こと 嫌がらせ(ること)

 これが、職場や組織内で表面化すると、

   セクシャルハラスメント:sexual harassment 略称:セクハラ

                  性的な嫌がらせ(行為や言葉) 

   パワーハラスメント:power harassment   略称:パワハラ

                  地位や立場を利用した嫌がらせ(処遇や暴力行為)

となる。ハラスメントの手段としては、脅迫 暴力行為 暴言(口の暴力)などがある。

 

  一昨年の2017年秋、アメリカの映画界で、映画監督によるハリウッド女優へのセクハラ行為が大きな社会問題となり、これまで泣き寝入りしていた女優たちが立ち上がり、ミートゥ運動(#MeToo わたくしも)として、アメリカ国内だけでなく、世界的に広がったのは、記憶に新しい。

この動きは、セクハラだけでなく、社会的に存在する差別に対する共感と、アピールの現れであろうか。 

 

次稿では、野田事件での関連機関の動きと、アメリカでの聖職者による性的虐待事件を取り上げることと、したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄県民投票

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2019年3月18日(月) 沖縄県民投票

 

 

 先月の2月24日(日)、沖縄県で、県民投票が行われた。宜野湾市にある普天間基地の危険性を除去するために、普天間基地機能を、名護市の辺野古海岸に移設するための埋め立て工事が既に進められているが、この埋め立て工事の賛否に関する県民の意思を確認するという、県主管の住民投票である。

本稿では、沖縄の基地問題そのものを取り上げることは控え、今回の県民投票に絞って触れることとしたい。

  

 通常の住民投票では、案件に対して、賛成、反対の二者択一の投票を行うが、今回の投票では、準備の途中段階から、どちらでもない という選択肢を追加し、三者択一という、ユニークなものとなった。三択にしたのは、二択では、県民投票に参加しないという、複数の自治体の意向を容れた結果のようだ。 

 投票用紙を下図に示す。(ネットより)

    

 最終的な投票結果は、以下のようになったようだ。(2019年沖縄県民投票 - Wikipedia)

 

有権者数     1153591人

投票者数      605385人

 有効票数     601883票 (99.42%)

 無効票数       3497票 ( 0.58%)

投票率        52.48%          

 

投票結果             投票者数に占める比率 有権者数に占める比率

 賛成       114933票 18.99%      9、9 %

 反対       434273票 71.74%     37.64%     

 どちらでもない   52682票  8.70%      4.56%

 

筆者の予想では、どちらでもない がもう少し多く、反対が、もう少し少ないと思っていた。

 

 県民投票の結果には、法的拘束力はないが、反対票が有権者の25%を超えたということで、玉城知事から、日米両政府に、反対が多いということが通知されることとなった。日本政府に対しては、菅官房長官に通知されたが、マスコミ報道では、通知した結果は、何も変わらず、政府から、埋めて工事の継続が表明されている。

ただ、今後の拡張工事を進める地域で、地盤が弱いため補強が必要で、工事費が大幅に膨らむことが予想されており、沖縄県側との調整がどうなるのかは不明である。

 

 住宅地が極めて近い、普天間飛行場の危険性をなくすために、他の地域に移設する話は、かなり前から論議されていて、辺野古に移設する話が具体化したのは、橋本内閣時代からだろうか。以降、一時、民主党の鳩山内閣に代わるなどの政権交代で混乱もあったが、自民党政権に戻った現在まで延々と続いている難題である。

20年前の1996年、駐留米国軍人による婦女暴行事件をきっかけに、基地の縮小と日米地位協定の見直しを求める、初の県民投票が行われている。(1996年沖縄県民投票 - Wikipedia

 

 

 住民投票、国民投票については、これまで、当ブログで、何度か取り上げてきたところだが、主なものは以下だ。

国内では、

  記事タイトル    投稿期日      概要と結果

 ・選挙と住民投票 2 2015/5/28 大阪都構想に関するもの→否決

国際では、

 ・選挙と住民投票 3 2015/6/2  同成婚に関するアイルランド国民投票

                      →賛成 

 ・Brexit 1  2016/7/2  イギリスのEUとの関係→離脱が決定

 ・カタルーニャ州の独立

  騒動と住民投票   2017/12/2 スペインのカタルーニャ州→賛成

                      →中央政府が圧伏

(他に、スコットランド独立、ギリシアの国民投票、ウクライナの情勢、等もある)

今後、国内で憲法改正を行う時は、国民投票で決することとなっている。

 

 次稿以降で、国民投票がきっかけで始まり、この所、ますます様子がおかしくなってきた、イギリスのEU離脱について、取り上げることとしたい。

 

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