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お手玉歌・手まり歌

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  2023年4月1日(土)   お手玉歌・手まり歌

 

 

〇お手玉歌

♪一番はじめは一の宮、二は日光東照宮、三は佐倉の惣五郎------------、

で始まる歌は、よく聞いて覚えている歌だが、最近、気になっている。

ネットで調べたところ、明治時代から歌い継がれてきた、お手玉歌・手まり歌のようだ。

子供の遊び歌のため、作詞、作曲などの正確な記録が無く、地域によって、伝承された歌詞に違いがある。

 

この歌の歌詞として代表的なものは、以下の様だ。( )は、バリエーション例を示す。

一から十までの数え歌になっている。

 

 ♪一番はじめは一の宮

 ♪二は日光東照宮(日光中禅寺)

 ♪三は佐倉の惣五郎(讃岐の金毘羅さん)

 ♪四は信濃の善光寺

 ♪五に出雲の大社(おおやしろ)

 ♪六つ村々鎮守様

 ♪七つ成田の不動様

 ♪八つ八幡の八幡宮

 ♪九つ高野の弘法さん

 十♪は東京招魂社(東京二重橋)

以降は、一世を風靡した、徳富蘆花の不如帰に出て来る、武男と波子の悲しい別れの歌が続くようだ。

 

ワイフKに聞いたところ、一番から十番までの歌詞を、ほぼ正確に覚えていて、小豆の入ったお手玉を作って貰って、よく、遊んだと言う。

   

片手だけでやったり、両手でやったり、お手玉の数を、2つから3つに替えたりして、色々遊び方を工夫したようだ。

 

歌詞の内容について、以下に、幾つか調べてみた。

・一の宮のこと

 歌われているのは、特定の神社ではなく、全国各地域に身近にある一の宮のことだろう。

 律令時代、全国の国ごとに、一の宮が置かれたようで、各地域で、最も社格の高い神社とされている。

 律令時代の地域区分と、各地域の一之宮については、後述する。

・歌は、国内の、著名な社寺仏閣や地域の鎮守様が登場する中で、三だけ異質である。

 佐倉惣五郎は、江戸時代、下総国佐倉藩で起こった義民伝説の主人公で、処刑されている。

 子供たちは、農民のために立ち上がった英雄として、親から聞かされていたのだろう。

・八幡の八幡宮は、山城国 石清水八幡宮のことと思われるが、八幡信仰の総本山は、豊後国 宇佐神宮という。

・東京招魂社とは、現在の靖国神社のことのようだ。

 

〇律令時代の地域区分

律令制時代から、江戸時代の終わりまで、往時の全国の地域区分である、五畿七道の区分や六十八の国名は、殆ど変更なしで続いたようだ。

以下に、五畿七道の令制国の図を示す。

参照:令制国(旧国名)68ヵ国の五畿七道別一覧リストと旧国名地図 _ Start Point.html)

    

 

往時は、現在の東北地方はまだ十分開拓されておらず、また、北海道は、当時は未知の蝦夷地であり含まれていない。また、沖縄は、琉球国として、別の国家であった。

明治になって、出羽を、羽前・羽後へ分割し、陸奥も、岩城、岩代、陸前、陸中、陸奥へ分割し、北海道が編入(11区分)されたようだ。

 

〇全国一之宮所在地

律令制時代から現在も存在している一宮神社の一覧がネットに出ている。参照:全国一宮一覧.html)

この一覧サイトでは、一の宮を、前述した、往時の五畿七道に分けて表示している。

サイトにある神社総数は、99社である。

下図は、ネットで見つけた、全国一宮鎮座の図で、右から引用した:一宮 - Wikipedia.

     

 

 上図の最後に、以上九十九社とあり、神社数は、前出のデータと一致している。

当時、東北地方で、一の宮が置かれたのは、出羽国 鳥海山大物忌神社(山形県)と、陸奥国の塩竈神社(宮城県)、都都古別神社(福島県)だけになっている。

 

 


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