2019年2月22日(金) 北方領土問題 その1
先日の2月7日は、平成最後の「北方領土の日」ということもあり、現在、日ロ双方の政府間で進められている、北方4島の日本への返還交渉と平和条約締結問題に関して、各方面で話題となっている。このテーマについて、今回は、歴史を主に、大まかにとりあげることとしたい。
◇ 北方地域の帰属
北方領土の日は、江戸末期の1855年(安政2年)に、江戸幕府とロシア帝国の間で、日露通好条約が下田で締結された日を記念して、終戦後の1981年(S56年)1月に制定された日とある。(北方領土の日 )
この日露通好条約(日露和親条約、下田条約とも)では、当時、両国で探検・調査が進められていて、紛争もあった北方地域に関して、平和的な話し合いにより、条約が締結され、以下のように、帰属が少し明確になったようだ。(日露和親条約 - Wikipedia 参照 )
●カムチャッカまでの千島列島はロシア領(エトロフまでの4島は日本領)
●樺太は、実質、両国民が雑居する、境界を定めぬグレイゾーンで、形の上では日本領
その20年後、1875年(M8年)に、サンクトペテルブルクで,樺太・千島交換条約が、日露間で締結され、以下のように、取り換えっこをしたようだ。(樺太・千島交換条約 - Wikipedia より)
●千島列島(4島以外の)が日本領に
●樺太がロシア領に
これまでをまとめたのが、下図である。(図はネットより)
交換をした時代背景や直接的な理由については未調査である。
その後、満州等の権益をめぐる争いから,日露戦争(1904年(M37)~1905年(M38))が生起し、これに日本が勝利し、アメリカの仲介で、1905年(M38年)に結ばれた日露講和条約(ポーツマス条約)で、樺太の北緯50度の以南地域を、割譲し日本領とすること、等となったことは、周知のことである。
ここまでで明確なことは、千島列島の択捉以南の4島は、日露通好条約以降、日本領として変わっていない、ということで、この状況が、次項に述べる、第二次世界大戦後まで続いてきたということを、筆者として、改めて確認したことだ。
◇ ロシアの参戦とサンフランシスコ平和条約
*第二次世界大戦の終盤、クリミヤのヤルタで行われた、米、英、ソの首脳会談(ヤルタ会談)で、日本との間で不戦条約があったロシアが参戦することや、終戦後のロシアの権益をめぐって、米ロ間で密約があったように言われている。(ヤルタ会談 - Wikipedia)
ソ連は、終戦ギリギリで参戦し、樺太や、4島を含む千島に侵攻して占領、4島の現地の日本の住民は、強制的に追い出され、ソ連(ロシア)の実行支配が、そのまま現在まで続いている。力は正義なり、である。
この辺の経過については省略する。
*日本が降伏して大戦が終わり、連合国と日本との間で、1951年(S26年)に、「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)が締結され(翌年発効)、戦前まで日本が領有していた、朝鮮半島、台湾、南樺太、満州、千島列島が返還されたことも、周知のことだ。
この中で、返還した千島列島の中に、4島が含まれるか否かが曖昧で、日ソ間で、解釈上の争いがあり、現在まで続いている訳だ。サンフランシスコ平和条約では、ソ連は会議には参加したものの署名はしていない。(日本国との平和条約 、千島列島 参照)
◇ 日ソ共同宣言
*1956年(S31年)に、日ソ共同宣言が発出され、両国間の条約となって国交が回復したが、ネットにある共同宣言の内容を、下記に引用する。
その中の最後の項に、両国間で平和条約の締結後に、北方4島のうち、歯舞群島と色丹島は、日本に引き渡し(譲渡)すると書かれているようだ。(日ソ共同宣言 - Wikipedia 参照)
日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する。 日ソ両国はそれぞれの自衛権を尊重し、相互不干渉を確認する。 ソ連は日本の国際連合加盟を支持する。 ソ連は戦争犯罪容疑で有罪を宣告された日本人を釈放し、日本に帰還させる。 ソ連は日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。 日ソ両国は一九四五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。 日ソ両国は通商関係の交渉を開始する。(同日に日ソ通商航海条約を締結) 日ソ両国は漁業分野での協力を行う。 日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡し(譲渡)する*北方4島の状況
北方4島の状況について、以下に整理してみた。
データはネットで得られた範囲内で、以下を参照:北方領土の現状、北方領土の人口 北方領土問題対策協会
島名 面積 人口 気候 主産業
終戦時* 現在** 終戦前 現状
歯舞諸島 ≑小笠原 852世帯 根釧地方 漁業 -
5281人 ー
色丹島 >徳之島 206世帯 根釧地方 漁業 漁業
1038人 6200人
国後島 ≑沖縄本島 1327世帯 根釧地方なみ 漁業
7364人 7800人 林業
択捉島 ≑鳥取県 739世帯 根釧地方なみ
3608人 11000人
≑ほぼ同じ *終戦時(1945年)日本人 **1990年時点 ロシア人
面積では小さく、今は、ロシアの警備隊しかいない歯舞群島に、以前は、大変な居住人口があったというのは驚きである。
下図は、歯舞を主にした北方4島の、今年1月の空撮を引用(空撮・北方四島 毎日動画)。
一方、下図は、色丹、国後がやや分かりやすい空撮で、他のサイトから引用(北方4島、日露で賠償請求放棄案 読売新聞 参照)
次稿で、北方領土問題に関して、素人である筆者の、率直な印象を述べてみたい。