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メトロ文学館

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2017年7月2日(日)  メトロ文学館 

 

 先日の火曜日、東京メトロの千代田線に乗って都心に出かけたが、電車内に掲示されたポスターの、「メトロ文学館」の作品が目にとまった。 つり革に捕まりながら見た作品は、「月めぐり」と題する、大変印象深い詩だった。

以前、通勤していたころは、このような掲示は、良く見かけたが、最近では、珍しいことだ。 持っていたデジカメで写そうと思ったのだが、結構、乗客も多かったので、不審な行動に見えるか?、と思い止まった。

帰宅後、早速、メトロ文学館をキーにしてパソコンで検索し、画像表示にしたところ、ズバリ、あのポスタ-が出てきて、出典のサイトも判明した。この4~6月に車内に掲示された、最新の公募採用作品で、作者は、島村晶与氏(多分 女性)である。以下に引用させて頂く。(メトロ文学館 | 公益財団法人メトロ文化財団

    

 

以下に、この詩について、筆者なりの印象を記したい。 

情景の設定は、作者の年老いた母親のこれまでの生涯を、母親の気持ちになって、折々の月の変化に託して、詠われている。(月の名前は、月の名 等を参照)

  

・最初は、銀座の街角での父と母の出会いの情景で、月は朧月だったというのは、おぼろな恋心を誘ったようだ。

・次は、神田川沿いの風景で、二人で暮らした日々だ。寝待月という表現で、仕事に追われる父親の帰宅を、待ちくたびれる母親の姿を彷彿とさせる。 

・勝鬨橋の近くで、母親は作者の自分を生んでくれたと、嬉しさいっぱいである!

出ていた月は、満月で、天満月と書いて、“あまみつつき”と読むようだ。月明かりが、空いっぱいに広がる。上の写真も、この情景だろうか。 

・そして、現在のスカイツリーをみて、母は、天にいる父を思い出している、という風景だ。

片割月(かたわれづき)とは、半分だけ光る弦月のことだが、やや、ストレートな表現で、深い寂しさを現しているだろうか。

 

この詩全体からは、仲の良かった両親が、折々に、作者である娘に語って聞かせてくれた光景が思い浮かぶ。

また、月の変化についての作者の蘊蓄が素晴らしく、和歌なども嗜んでいるだろうか。筆者は、恥ずかしながら、天満月という表現と、読み方は知らなかったことだ。

 菅原道真公を祀った天満宮(天神さま)は、関西、九州、関東など、全国各地にあるが、この“天満”(てんま てんまん)と、月との関係はどうなのだろうかと、今回調べた範囲では、不明である。

 

 前出のサイトには、今回目にした作品と一緒に、他に、以下の2作品が出ていて、地下鉄の他の路線の車内に、同時に掲示されたと思われる。

   ・降りることのない駅

   ・見知らぬ笑顔

これらも読んでみたが、筆者には、やや難解で、ぴったり来ないものであった。

 

 

 

 

 


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