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富士山を巡ってー富士登山の思い出

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2013年6月7日(金) 富士山を巡ってー富士登山の思い出 

 

 世界文化遺産への登録が、ほぼ確実となった富士山について、当ブログではこれまで、

 

     富士山を巡ってーUTMF                  (2013/5/10)

     富士山を巡ってー世界自然遺産として         (2013/5/15)

     富士山を巡ってー世界文化遺産に登録へ その1  (2013/5/20)

     富士山を巡ってー忍野八海で寄り道           (2013/5/22)

     富士山を巡ってー世界文化遺産に登録へ その2  (2013/5/29)

     富士山を巡ってー田子の浦で一休み          (2013/5/30)

 

と話題にして来た。

特に、前々稿や前稿では、「眺める富士」として、浮世絵、絵画や、短歌について述べたが、本稿では、「登る富士」について触れたい。

 

 古来、日本の最高峰である富士山へ登ることは、庶民の夢であり、富士講などで、修行と行楽を兼ねた富士登山が盛んに行われたが、裾野の一合目から始めて、長大な登山道を歩いて登頂することは、並大抵のことではなかったろう。幾つかの登山道が開かれ、維持されて、現在まで引き継がれているが、登山道の詳細については、ここでは省略したい。

 戦後の、1964年(昭和39年)に、吉田口から、富士山有料道路(富士スバルライン)が開通し、5合目まで、車で上がれるようになり、比較的楽に富士登山ができるようになって以来、様相は大きく変った。

 整備された、JR・富士急や高速道路(中央高速)で、首都圏からやってきて、河口湖・吉田口方面から、このスバルラインを利用した登山者が、大幅に増えることとなったのだが、その後、須走口や富士宮口から5合目までの道路も、開通しているようだ。

 戦前、国鉄の東海道線は、現在の御殿場線を経由していたようで、途中にある御殿場駅で降りて、御殿場口から登る人も多かったようだ。が、昭和9年に、丹那トンネルが開通し、東海道線が、熱海を経由し、そこからトンネルを経て沼津に出るようになった結果、御殿場口からの登山者が大幅に減ったようだ。

 

 6月6日のTVのニュースでは、世界遺産登録で、この夏の富士登山者数が、大幅に増えると見込まれることから、山梨・静岡両県の知事・副知事が観光庁長官を訪れ、登山の安全対策の徹底等を要請したと言う。 昨今は、5合目まで車で行き、暗い夜の間に登頂し、日の出を拝んで返ってくるという、「弾丸登山」なるものが、特に、若者の間で行われているようだ。(富士山「弾丸登山」は自粛を NHKニュース

この登山だと、無理なスケジュールでの寝不足等から、高山病になったり、転落等の事故の多発が懸念されるようだ。或る調査では、途中の山小屋で一泊する場合と比べると、登頂成功率は

     一泊登山 94% → 弾丸登山 73%

まで低下すると言う。無茶な登山を抑制するために、スバルライン等を夜間閉鎖にする案も出ているという。

 一方、登山者数が増えると、環境汚染の問題もあり、現在も、シーズン期間は、マイカー規制等が行われているようだ。更に、入山料を徴収して、現状並みに数を押さえるには、7000円程にする必要があるとの試算があり、その資金を、環境保護や安全対策に振り向けると言う案も検討されるようだ。(<富士山>「登山客抑制へ7000円必要」入山料を試算 (毎日新聞)

 観光振興と環境保護というジレンマが、富士山の場合も、より一層、深刻になることは明らかで、他の事例も見ながら、いよいよ、知恵を絞って行かねばならないだろう。 

 

 ここで、自分の富士登山の思い出について述べたい。

 昭和40年代の始めで、結婚後間もなく、湘南藤沢の片瀬江の島海岸近くに住んでいた頃だが、夫婦で、富士山に登ってみよう、ということになった。富士山は、住まい近くの海岸等からもよく見え、直近の昭和39年(1964年)春に、富士スバルラインが開通して間もなくのことで、身軽なうちに、生まれて初めてだが一度登ってみよう、と言うことである。

 

 8月下旬のある日だが、出発当日の朝は、生憎の雨模様であった。中止にすればそれまでだが、山小屋も予約していた事もあり、一か八か、兎も角、現地に行ってみようと、登山の装備で出発した。

 藤沢からの東海道線は、雨模様の天候は変わらなかったのだが、國府津で御殿場線に乗り換えて、御殿場まで行ってみると、なんと、現地は、雨があがっていて、青空も覗いているではないか! 雨が上がっている幸運に恵まれ、バスで河口湖まで出て、そこでスバルラインのバスで、5合目まで、一気に上がった。ここからは、自分の足で登ることとなるが、一泊予定の、8合5勺にある山小屋迄が目標だ。

 天候は、結構良くなってきて、上を見ると、山頂方面は、直ぐ行けそうなのに、なかなか近付かない。足腰の負担が大きいのは当然だが、高山のため、空気が薄くなっていることで、息も続かず、気持ち悪くなりそうで、休み休み、ゆっくり登った。高度が高くなるほど、空気が薄くなって、呼吸で取り入れる酸素の量が少なくなって、高山病気味になるのである。

 空気の密度(気圧)は、平地では1気圧(1013hPa)で、10m高くなる毎に、約1hPaづつ下がって行く。このことから、凡その気圧は、富士山頂では平地の2/3に、エベレスト山頂では1/3に、なるようだ。 

 

 日暮れ前に、無事に山小屋に到着した時の嬉しかったこと! 一か八か、駄目元で、雨模様の中を出て来たのだが、天候に恵まれたことに感謝した。

 小屋の外に出て、後ろから射す夕日で、雲海の上に富士山の影が出来る、影富士を楽しんだ。又、自分の記憶にはないのだが、ワイフKの話では、自分がタバコを吸っている姿も、雲の上に映ったと言う。早目に就寝。

 

 

 翌朝は、早起きしたが、御来光を迎えた場所は、山小屋を出たところだったか、上がった山頂だったかは、明確な記憶も記録も無い。現在の情報では、8合5勺から山頂まで登る所要時間は90分程とある。又、富士山頂の日の出の時刻は、今日現在では、4時18分とある。

 余談だが、深夜の0時直前のNHKのラジオで、各地の日の出の時刻が伝えられるが、風呂に入りながら、時々聞いては、季節の変化を楽しんでいる。

 改めて、ネットで調べた所では、今朝の東京の日の出は、4時25分だ。もう直の夏至の頃には、最も早くなり、その後は、再び遅くなってゆく。富士山山頂では、海抜が高いことから、季節に依らず、日本で一番早い日の出となるようだ。富士山と経度がほぼ同じ甲府市も含めて日の出を比べてみると、以下のようになる。

            東経        海抜 m   日の出時刻(6/7)   

  東京都庁    139度41分    37     4:25

  甲府市(県庁) 138度34分   270     4:30

  富士山頂    138度39分  3776     4:18

 自分達が登ったのは、吉田神社の火祭りの前日の8月24日だが、今年のこの日の富士山頂の日の出時刻は、5:00とある。 それに間に合うように、90分程かけて山頂に辿り着くには、遅くとも3:30には出発しなければならない。こんなことから、8合5勺の山小屋で、ご来光を見たように思われる。

 兎も角、朝焼けに染まった空の下、雲海の切れ目から昇って来る朝日の荘厳さは格別であった。

 

 以前、当ブログの以下の記事で、日の出の事を話題にしたことがある。

    東京の日の出は7時少し前  (2010/1/28)

    南房総の旅―山並みとお日様 (2011/2/24)

 

 8合5勺から10合目の山頂までは、大した距離ではなく、比較的楽ちんだった。2時間弱の所要時間だろうか。

 山頂には、小さな祠や、金名水、銀名水の井戸もあった。 結構な値段で、飲み水も売っていた。ひとしきり展望を楽しんだ後、火口を一回りする、御鉢巡りを行った。多少の上がり下がりがあり、富士山の山頂が、幾つかの峰に分れていることを始めて知った。

 途中、最高峰である剣が峰近くに建設されている、レーダードームの近くも通る。富士山頂のこの気象レーダーは、我が国の気象予報にとっては極めて重要な役割を担って来て、特に、台風シーズンには、活躍したものだ。1999年に、気象衛星に役割を譲って以降は、引退の身となり、今は、吉田市に移設されているようだ。

  レーダード−ム(ネット画像)

 御鉢巡りは、1時間を少し超える時間だったろうか。ひと廻り後、持ってきたチョコレートを食べようと出して見たら、白くコチコチになっていたのを記憶している。味には変わりは無かったが、気温の低さと、湿気の無さであろうか。冷蔵庫に入れても同じようになることをその後体験した。

 

 山の天候の急変もあるので、そそくさと下山することにした。勿論、登りと比べれば、下りは楽ちんである。

 登って来た吉田口登山道と、8合目辺りで分れて、須走口の方に向かった。須走では、通常の須走口登山道でなく、砂走りと言われる、下山専用道である。(図はネット画像)

  砂走り(-------) 

 さらさらした火山灰やごろごろした石混じりの道を、一気に下るのである。前日、登る時に仕入れていた、登山用の棒(金剛杖)でバランスを取りながら降りる。

 金剛杖を、股の間に挟んで、後ろに体重を掛けながら、ブレーキをかけるようにして降りると快適だ。この方法は、火山灰等の砂も一緒に流れ下るので、やる人数が多くなれば、流下量はかなりのものになるだろうか。だが、当日は、そのルートで下山する人は、他には見当たらなかった。言って見れば、二人で富士山を占有した訳だ。

途中までは、傾斜角度はかなり急だったが、降りて来た道を振り返ると、山頂に白い雲がかかった富士山が見えたが、振り返る度に、あっという間に山頂が遠くなっていく。上記の地図で見ると、砂走りの区間は、海抜約3000m〜約2000mで、高度差にして1000m程になるようだ。

 

  自分達が山を下る音以外は、何も聞こえない静まり返った風景。自分は、このような雰囲気に、山の気のような神聖なものを感じたが、家内は、後ろから、富士山が迫って来るようで、あの時は怖かった、と、現在も、振り返る。

砂道の下山を終わると、殆ど平坦な道になり、5合目にあるバス停まで歩いた。そこからは、バスで御殿場に出て、前日とは逆方向に藤沢まで戻って、初めての富士登山は、無事終了した。

 下山したのは、山仕舞いの行事である、吉田の火祭りの前日で、この登山は、天候も含めて、ギリギリセーフだった、と言えるだろうか。

 

 

 その後の人生でも、眺める富士山との付き合いは多いのだが、登る富士山との付き合いは、この時の一度だけである。勿論、人によっては、何度も登っている人も多い。

自分の富士登山は、決して、悪い印象ではなかったのだが、かといって、軽快で良い気分の登山だったとも言えず、再度登りたいと言う意欲は湧かなかった。

その後、アルプスのモンブランに登ったことがあるが、ロープウエーで上がる内にだんだん気分が悪くなり、最後にエレベータで上がるのをパスし、店に残って待っていた事がある。 この時は、軽い高山病で、富士山に登った時の気分を思い出していた。

でも、一度登ったという安心感や達成感の様なものは残っただろうか。自分の足で登った後に眺める富士の姿は、それ以前とは、やや異なって見えるかも知れない。

 譬えは適切ではないが、これは、昨年開業した、建造物では日本一(電波塔では世界一)の東京スカイツリーにも言えるだろうか。このスカイツリー、建設中は、知人を案内したりして、下まで何度も見に行ったのだが、開業後は、混雑が嫌なことから、毎日眺めているだけで、まだ、登ってはいない。空気が薄くなる心配は無いので、やはり一度は上に上がって、そこから眺めてみたいものだ。


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