2015年9月16日(水) 日本の安全保障 2
目下の安保法案だが、政府与党としては、憲法違反ではないか、戦争に繋がるのではないか、等の国民の批判が強い中で、伝家の宝刀である、60日ルールによる、衆院での再可決は行い難く、参院でも、なんとか採決して成立させたい意向と言われ、形だけの、中央・地方公聴会を経て、今夜にも、特別委で採決し、明日の参院本会議で採決・成立させたい意向で、ヤマ場と言われている。 国会周辺での反対デモも、この所、勢いを増している。
このような、緊迫した状況の中だが、先日、当ブログの記事
日本の安全保障 1 (2015/9/14)
で、安保法案の、現憲法9条との関連や、国連憲章との関連等をみて来たところだ。
本稿は、これらと密接に関連するテーマだが、法案群に対する司法判断について、取り急ぎ触れたものである。
○憲法学者の証言!
この6月4日の、衆院の憲法審査会の席上という公の場で、与党、野党から推薦された3人の憲法学者全員が、揃って、“今回の安保法案は憲法違反だ”、と意見陳述したようで、これがそのまま、TV等で伝えられたのである。 通例なら、与党推薦の参考人は、「憲法違反ではない」と言う筈なのに、である。
参考人を推薦した与党としては、“人選を誤った”ようで、大変な失態だろう。
その後、合憲とする学者の名前や考え方も紹介される、などなど、与党、野党、マスコミは、てんやわんやであった。
このニュースは、国民にとっても大変な驚きだったのだが、この事もあって、世論の流れは大きく変わっただろうか。
筆者が、この事実を知った時、時の政治に迎合しない、学者としての良心を感じるとともに、“憲法にある日本語は、まだ死んではいない!”と、妙な点で感激した。
左寄りと言われている、ある新聞が行った、安保関連法案が合憲か違憲かを問う、憲法学者へのアンケート調査結果(6月下旬 実施)では、回答のあった122名の内訳は、以下だったとある。
104名 憲法違反
15名 憲法違反の可能性がある
2名 憲法違反にあたらない
○司法の判断
◇違憲立法審査権
教科書には、国の機関は、立法、行政、司法の、それぞれ独立した、三権分立で構成されているとある。普段、司法の存在は目立たないが、例えば、原発の再稼働の差し止め訴訟等では、司法は、国民が、意見を表明する有力な手段となっていると言えよう。
司法の頂点となる、最高裁判所については、憲法では、以下のように規定している。
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
一般に裁判所は、法律が成立施行され、その結果、具体的な不利益や問題が生じて、提訴されると初めて、法律に基づいて判断する組織となっている。最高裁判所もこの流れの中での終審裁判所とされている訳だ。
つまり、安全保障に関する法令も含めて、下級裁から最高栽まで、裁判所には、合憲/違憲を判断する権限があり、通常これを、「違憲立法審査権」と呼ぶようで、教科書にも書いてある。
この違憲立法審査権は、実体的には、以下のようだ。
①上述のように、法令が出来上がって、それによって不利益が生じて、実際に訴訟が起こされた場合だけ、合憲、違憲の判断を行うこととなっていて、これは、法学的には、「付随的違憲審査制」などと呼ばれ、イギリス・アメリカ型の考え方で、日本も、これになっているようだ。
警察予備隊が設置された当時、社会党が、憲法違反だとして提訴したが、最高栽で、具体的な事案ではないので、判断する権限はない、として、手続き的に却下されている。(警察予備隊違憲訴訟 - Wikipedia )
安全保障に関わる基地闘争の事件の訴訟で、自衛隊は違憲ではないかなどが争点になったケース(砂川最高栽判決など)では、最高裁では、「統治行為論」などを持ち出し、高度な政治的判断として、換言すれば、政治・行政が決める事として、判断を避けて来ている。
三権分立は絵に描いた餅に見え、司法は行政(政治)に従属している、と、じれったいもどかしさがを感じる。(統治行為論 - Wikipedia)
衆院選と同時に行われる、最高裁判事の適否を問う国民審査が、完全に形骸化しているが、その大きな原因の一つが、この辺にあるようにも思われる。
②法令を作成、審議する段階で、最高栽の意見を聞けないだろうか、とは、誰しも思うところだ。
照会すれば、最高栽が内容について意見を述べる、ということで、法学的には、「抽象的違憲審査制」と呼ばれ、ドイツ型の考えと言われる。
上記①にあるように、日本の最高裁のルールでは、この方法は採っていないようだ。
これに関し、民主党が、今回の安保法案騒動の反省を踏まえ、今後に向けて具体案を検討中という(民主党が提案する内閣暴走をチェックする新制度をメモ.docx)
③これらの事から、これまでは、行政の一部である、「内閣法制局」が、最高栽に代わって、安全保障もふくめて、内閣等で作成する法案が、憲法や法律に違反していないかどうかをチェックして来た。「法の番人」とも言われ、独自の存在感を示して来た。
前稿で述べたように、内閣法制局が、安全保障に関して、憲法解釈上、個別的自衛権までは許される、とのギリギリの合憲範囲を決めて来たといえる。 でも、今般、政府は、意に沿うように、責任者の首をすげ替えるなどを行い、集団的自衛権まで許される、と拡大解釈するに至り、組織の存在意義が薄れ、憲法が形骸化してしまっている。
◇公人と私人と
*上述の、衆院の特別委での騒動の時は、“違憲か否かを判断するのは学者では無く、最高栽だ”という、尤もとも聞こえる、開き直った強硬意見もあった。
でも、法案成立後、法律の性格上、提訴するだけの具体的な問題が見つかり難い上に、上述のように、日本の場合は、訴訟になるまでは、違憲か否かの判断は行われないので、政府側としては、かなり時間があり、気楽でもあるだろうか。
そして、今月9月3日に、元最高裁長官である、山口 繁氏が、安保法案は憲法違反だ、砂川判決は、集団的自衛権の根拠にはならない、との見解であることが、マスコミで報道された。(東京新聞:最高裁元長官も「安保法案は違憲」 「砂川判決は根拠にならぬ」)
これに対しても、政府見解では、元長官の見解は、1私人の意見だ、と撥ねつけており、元長官も軽く見られたものだ。
*一方、この6月22日の衆院 特別委に呼ばれた、元法制局長官である、坂田収、宮崎礼壱両氏が、憲法違反と述べたようだが、TVで報道されなかったケースや(元内閣法制局長官の「違憲」批判を放送しないNHKの言い分)、この9月8日の、参院 特別委に出席し参考人として意見を述べた、同じく、元法制局長官の大森政輔氏が、集団的自衛権まで拡大解釈した法案群は違憲だとし、独断で内閣の閣議決定からスタートした現政権の暴走を批判したという。(日刊ゲンダイ|「国民を誤って導く結論」元法制局長官が“古巣”に異例の苦言)
都合の悪い意見には耳をかさず我が道を行く、現政権の暴走の前には、「法の番人」であった人達の影は薄くなり、無視されて、その権威は、すっかり地に落ちてしまったようだ。
○世論の反対の中で
◇政権内部には、“自衛隊も、創設当初は、憲法違反だ、という意見が多かったが、今や、国民の多くが必要性を認めているではないか”、として、最初は、良く知らないので、反対するが、いずれ分って来ると受け入れるものだ、という、先駆者然とした見方もある。
今回の安保法制も、世論調査では現在は、憲法違反で反対だ、という意見が大勢なのだが、出来上がって時間が経てば、だんだんと理解されてくる、といった、首相をはじめ、妙に自信を持った、保守政治家は多いようだ。
◇先日の、9月13日の夜、緊急として放映された、
「緊急生討論 10党に問う どうする安保法案」
というNHKスペシャルの番組を、最後まで観たところだ。
長時間の番組だが、与党と野党の主張・意見は並行線のまま、これまでの繰り返しで議論にならず、こちらとしても、少しも、理解が深まらず、疑問は解消せず、いずれ分って貰える、との上記の様な傲慢な発言もあるなど、完全に期待外れで、虚しい失望だけが残った。
政府与党としては、何が何でも、予定通り成立させる、の一点張りであった。
事ここに至っては、最早、クーデターは望むべくもなく、成立を阻止する合法的手段は見つからず、政権の思惑通りに、事は進むことだろう。
次稿では、我が国の「憲法」の、今後のあるべき姿について取り上げる予定である。