2015年6月13日(土) 選挙と住民投票 5
最近行われた選挙や住民投票の中から、これまで、当ブログの下記記事、
選挙と住民投票 1 (2015/5/25)
選挙と住民投票 2 (2015/5/28)
選挙と住民投票 3 (2015/6/02)
選挙と住民投票 4 (2015/6/08)
で、それぞれ、イギリスの総選挙と、大阪都構想の住民投票と、アイルランドの同姓婚に関する国民投票と、国内の統一地方選挙と、を取り上げた。
本稿では、シリーズの最後として、選挙に関する一般的な話題の中で、選挙権や1票の重み等を取り上げたい。
◇選ぶ人と選ばれる人
選挙では、選ぶ人と選ばれる人がいる訳で、言う迄もなく、前者となる権利が選挙権、後者となる権利が被選挙権である。
日本では、現在、満20歳になると、選挙権が与えられ、被選挙権は、年齢が25歳以上(参院は30歳以上)となって与えられる。
翻って、我が国の状況を見ると、下図にあるように、明治以来の長い歴史がある。当初は、選挙権があるのは、25歳以上(被選挙権は更に5歳上)の男子だけで、しかも、納税額が一定額以上に制限されていたようだ。大正になって、納税額による制限が撤廃されて、有権者が増えたものの、婦人参政権が無いなど、男女間の差や、年齢の制限は残った。
そして、戦後になって新憲法が施行さ、男女平等な選挙権・被選挙権が付与され、年齢も、20歳等に引き下げられたことで、有権者が大幅に増え、全人口の、48%迄になった訳である。(図は、ネット画像)
日本の選挙権の歴史
我が国では、敗戦とセットで、1946年に施行された新憲法だが、残念ながら、選挙についても、勝ち取った権利というより、与えられた権利という方が近いだろうか。
筆者が選挙権を得たのは1959年だが、学生時代で、地域との馴染が薄かったこともあり、初めての選挙権を行使した実感はあまり無い。
この選挙権の年齢を、現行の20歳から18歳に引き下げる法律改正案が、この6月4日に衆院を通過し、参院に送られ、近い内に、参院も通過して成立する見通しと言われる。 来年の参院選から、適用される方向のようだ。
実現すれば、戦後間もなく新憲法が施行されて、20歳からの平等な選挙権が与えられて以降、70年振りの変更となる。
この動きは、投票年齢を18歳以上とした、憲法改正を意図する国民投票法が、昨年2月に成立した時の付帯決議で、2年以内を目途に、通常の選挙権の年齢も18歳にする措置を行う、としていたようだ。
ところで、最近、当ブログでも取り上げた、下記記事、
ウクライナでの大統領選挙 ⇒ ウクライナ情勢の行方 2014/5/20
スコットランド独立の国民投票 ⇒ スコットランドの行方 2014/9/26
イギリスでの総選挙 ⇒ 選挙と住民投票 1 2015/5/15
アイルランドでの同性愛国民投票 ⇒ 選挙と住民投票 3 2015/6/02
でも触れたが、下図のように、選挙権は18歳からというのが、世界の大勢になっているようで、16歳以上という国もあるようだ。(時論公論 「18歳選挙権実現へ ~政治的・社会的影響は」 )
日本での有権者数と全人口に占める割合は、前述のように、戦後間もなくでは、
1946年 3688万人 48.7%
だったが、最近のデータでは
2010年 10395万人 81.8%
である。(都道府県ごとの年代別有権者人口をまとめてみた(全国編) )
終戦後と現在とでは、社会状況は大きく異なるものの、全人口に占める有権者の割合が、上記のように、現在は極めて高く、人口分布での、少子・高齢化が進んでいることを、改めて再認識させられた事だ。
日本での選挙権の年齢を、18歳まで引き下げると、新たに、有権者が、240万人程増えるようだ。この結果、有権者の全人口比は、1.8ポイント程増え、83.6%程となるようだ。(18歳選挙権、衆院を通過 全会一致で可決:朝日新聞デジタル)
◇公正な選挙
民主主義の大原則の一つとして、これまで触れたように、選挙権・被選挙権が、平等に与えられることがある。これと共に、公正・公明な選挙が行われることも、極めて大事なことだ。
軍などによるクーデター等があると、その後の民政移管まで、ごたごたが続き、選挙が実施できない国の事例は多い。 選挙ではなく、気に入った人物を、任命・登用する等の独裁的行為は、アジアの近隣諸国などでは、決して珍しいことではない。
又、折角選挙を実施しても、妨害行為があったり、自由な投票が出来ない等も多く、最近のウクライナの例等でも見られた事だ。
公正な選挙の実施と監視は、国連の重要なPKO活動の一つとなっている。
最近の香港での首長選出のように、市民に選挙権はあるものの、候補者の選定に中央の思惑が反映されているなど、被選挙権が自由になっていない例もある。
公正な選挙が、きちんと実施できると言う事は、その国の民主主義の成熟度や、国の安定性や民度を見る、重要な指標であろう。
我が国を見るに、投票率の低さなどは問題ではあるが、選挙違反や不正も抑制され、曲がりなりにも、公正な選挙が実施出来ている、ことは喜ぶべきことと言える。
選挙と言えば、何と言っても思い浮かぶのは、4年に一度の、アメリカ合衆国大統領選挙である。来年秋の実施に向けて、このところ、民主党、共和党の両陣営で、候補者としての指名を巡って、有力者が名乗りを上げるなど、話題が動いている時期である。
ポストオバマとして、誰が、次の大統領に選ばれるかは、世界にとっても、アメリカは勿論、日本にとっても、重要事項だが、此処では、プロセスに注目したいのだ。
可なり長い期間に亘って、言わば、国民的お祭りのように、国内が興奮状態になる。この間、表向きに報道される範囲では、大きな混乱や、事件も無いようだ。各党の候補者が選ばれ、国民投票のようにして、州毎の選挙人が選ばれ、この選挙人が間接的に大統領を選んで行くという一連の選挙行事が、着実に進められる風景は、驚嘆に値する。 アメリカ国民が、楽しんでいるようにさえ見える、選挙という行動によって首長が決められていく流れは、民主主義の最高の御手本と言えるだろうか。
世界には、ISなどのテロ勢力など、不安要素や脅威は多いのだが、今度の大統領選も、無事に実施できるのだろうか、やや、気になるところだ。
アメリカ合衆国大統領の発言力やリーダ-シップは別格だ。その理由は、アメリカの強大な経済力や軍事力が背景にある事は否めないのだが、他方で、上述のような、オープンなプロセスを経て選出された大統領である、ということが、ステータスを確かなものにしているように思える。
◇1票の重み
法の下での平等ということで、この所、話題になっているのは、特に、国政選挙での、1票の重みの格差の問題である。
国会では、区割りを変更したり、定数を増減するなど、しぶしぶ手直しは行なわれているものの、1票の重みの不平等を巡って、国政選挙がある度に、各地の下級裁判所では、違憲という判決や、選挙の無効の判決も出るなど、常態化しているようだ。
しかし、最終審である最高裁判決では、憲法違反の判決は出されるものの、選挙の無効の訴えは、却下されてきている。
議員定数は、地域を代表する側面と、有権者を代表する側面等とがあるだろうか。
前者で典型的なのは、米国の各州2名づつの上院議員定数で、当該州の有権者数と無関係であるのは徹底している。日本の参議院では、選挙区枠は、都道府県単位で広いが、有権者数に応じて、2~10名の定数になっている。一方、以前の全国区に似ている、非拘束名簿式比例区枠は、支持政党毎の有権者数に比例して当選者を決めて行くという、特殊なものだろうか。
後者では、各国の下院(日本の衆議院も)等が該当し、こちらでは、有権者数に比例した形で区域内定員が決められている。
この場合、理想形を実現するには、出来るだけ広い区域を1選挙区とし、極論すれば、区割りを止めて、対象地域全体を1選挙区としなければならない。でも、地域が広いほど、選挙運動や投開票の実務が大変になる訳で、現実的には、区域内を区切って定員を割り振られている。
地域を区割りで分割する場合、1票の重みが、区域によって異なってくるのは、止むを得ないことだが、時間的な有権者数の変化を、出来るだけ忠実に区割りや定数に反映するのは、決して容易なことではない。
常識的には、1票の重みが、2倍未満の場合は、摩擦的な数字の違いとして許容されようが、格差が2倍以上は、どうだろうか。1人1票という平等の観点に立てば、2倍以上では不平等と言えようが、格差が3倍以上なら、明らかに、不平等と言えるだろうか。最高裁の判決等では、2倍以上を、不平等で違憲状態とする目安にしているようだ。
昨年暮に実施された総選挙から、小選挙区の定員を、0増5減して295名に、比例代表を180名とし、衆院の議員定数を、480名から475名とすることで、漸くにして、何とか、格差解消が実行できた形だ。
でも、用いたデータが古かった(意図的に古いデータを使った?)ことから、すぐに違憲状態になっているという。
敢えて素人の私見を述べれば、最高栽で違憲判決を出す時に、投票無効の判決も出したらどうだろう。三権分立のもと、憲法の番人を自任する裁判所として、存在を示すいい機会と考えるし、その方が、国民には、解りやすいのだ。違憲となった当該地域で、当選が無効となり、定数が見直されて再選挙が行われることは、決して無駄とは思わない。形式的な手続きに堕してしまっている裁判官の国民審査を生かす上でも有効ではないか。
無効判決を受けて、当選が無効となれば混乱を来たし、定数の見直しを急いでやるのは無理がある、ということは尤もだ。ならば一歩下って、違憲判決で、次の同じ国政選挙までに、格差を減らす見直しを、最優先で速やか行う事を強制し、若し、議員の職務怠慢から、例えば、次の選挙で、3倍以上となった地域があれば、その選挙は無効とする、と明確に予告しておくのはどうだろうか。
次の選挙の時に、3倍以上となってしまう当該地域では、代表が居なく欠員のままとなるが、この状況は、別の意味で大きな問題なので、関連地域の住民や議員は、文字通り、真剣になることだろう。
裁判が、地方→高等→最高と、順送りに進むと手間がかかるので、促進ルールの様なものを作って置く手もあるだろうか。
有権者数を把握する基本は、自治体の住民基本台帳での登録数だろうが、国勢調査も関係するだろうか。情報収集・集計手段が発達している現代では、地域毎の有権者数を把握すること自体は、さして、難しいことでは無いように思える。
でも、このようにして得られたデータから、区割りや定数を見直す場合、現在は、議員自身が修正作業を行う事となるので、直接、利害や思惑が絡むだけに、並大抵ではない。
先般、選挙権年齢を、18歳にした時の衆院採決では、満場一致だったというが、定数変更になると、嘘のように渋くなり、紛糾するのは、情けない話ではある。
議員定数の見直しを、議員自身が議決して決めるという現在のルールには、自己矛盾があり、御手盛りになったり、紛糾しやすいこととなる。
一案だが、国会や政府とは独立した第3者機関で、定数の見直し案をつくり、それを極力尊重する形で議決する、というやり方は、出来ないだろうか。 現在も、既に、そのような形になっている?