2014年12月19日(金) 日本百名山一筆書き踏破 3
本ブログに投稿した以下の記事では、
日本百名山一筆書き踏破 1 (2014/12/11)
日本百名山一筆書き踏破 2 (2014/12/15)
1で、イベントの概要と日本百名山について、2で、①累積標高差、②登山ルートについて、話題としたが、本稿は、これらの続編で、③平地と海での移動、④宿の有り難さ、について述べたい。
③ 平地と海での移動
このイベントの、総移動距離は7800kmと言われる。登山は徒歩でするのは当然だが、ほぼ平らな陸上でも、交通機関を一切使わず、全て徒歩で歩き、海上は、泳ぐのは無理なので、手漕ぎのカヤックで移動する、という、極めて厳しい条件となっている。
◇徒歩行
踏破ルート地図上での、目の子での計測では、以下の区間
a 大分 九重山~鳥取 大山、 b 鳥取 大山~愛媛 剣山、
c 神奈川 丹沢山~茨城 筑波山、 d 山形 鳥海山~岩手 岩手山、
e 青森 岩木山~北海道 後方羊蹄山、 f 北海道 後方羊蹄山~北海道 幌尻岳、
g 北海道 幌尻岳~北海道 十勝岳、 h 北海道 トムラウシ~北海道 阿寒岳
i 北海道 羅臼岳~利尻島 利尻岳
などが、かなり長く歩く区間だが、歩行での特に大きな試練は、疲れも蓄積している中で、レースの最終段に待っている北海道の区間(f~i)だろうか。
北海道で遭遇した大きな困難は、出発から、早、175日も経過し、93座目の幌尻岳を極めて、次の十勝岳へ向かうため、いつものように道路を歩いている途上で起こった(上記 区間g)。脚と足の痛みで、終に、歩けなくなってしまったのだ。ここでは、何度も休息するなどして、なんとか、前進している。(後述)
最後の試練は、ラス前の99座目の羅臼岳を終えて、100座目が待つ利尻島に渡る、宗谷の海岸に辿り着くまでの、オホーツク海沿岸の徒歩行だ(上記 区間i)。 あの広大な北海道の最も長い一辺約400kmを、ひたすら歩き続けるというもので、10/14に歩き始めてから、カヤックで出る海岸に、10/23に到着するまでの間、忍耐だけが必要とされたのである。よくぞ歩いたものだと思う。
日誌に拠れば、冬を迎える10月下旬の気象で、利尻水道の海の状況が不安定となる見通しから、急遽、カヤックの出発地を変更したようだ。
当初は、浜頓別から北の猿払を経由して、宗谷丘陵を横断し、カヤックに乗る予定だったのだが、カヤックの出発地を20km程南に移して、浜頓別から豊富町まで、ショートカッとして、歩く事にしたようだ。
↑利尻島 ↑豊富 ↑猿払 ↑浜頓別
◇カヤック
橋が架かっていない、以下の4か所の海域は、手漕ぎのシーカヤックを使って渡っている(海域の距離は、日誌や地図などを参照した)。
イ、屋久島―鹿児島 大隅海峡 約90km
ロ、徳島―和歌山 紀伊水道 数 km
ハ、青森―北海道(渡島) 津軽海峡 約30km
ニ、北海道(留萌)-利尻島 利尻水道 約25km
イは、最初の海域だが、この時の様子は、TVは見ていないし、NHKのサイトにも詳しい記載は無いのだが、90kmという長丁場で、手にマメを作りながら、2日かけてクリアしたようだ。海流があるので、休む訳にはいかず、夜通し漕いだのだろうか。 踏破行の初っ端での難関だろう。
ロも、テレビは観ていないが、距離も短く、難無くクリアできたと思われる。
ハは、本州の津軽半島の突端の竜飛岬から、津軽海峡を越えて、北海道に渡る区間だが、海の流れも強く、かなり懸念されたのだが、大きなトラブルも無く、夕闇せまる福島に無事到着している。
ニの、最後の最後の、利尻島に渡る海域で、大きなハプニングが待っていたようだ。
前述のように、出発地を変更するなどを行ったにも拘わらず、カヤックで出た利尻水道の半ばで、荒れる海の波を受けて、YOKIが海に投げ出され、カヤックが裏返しになってしまったのだ! カヤックでの緊急事態である。
海に落ちたYOKIは、クローズドデッキになっているカヤックに、必死に、乗り込もうとするが、回転してしまい、再び海に落ちる、というハラハラする場面が、何度も続いたのだが、サポートの手は借りず、何とか自力で乗り込んで体勢を回復した。
こうして、終に、最終章の目的地である利尻島に到着し、島の宿に泊まって、最後の夜を迎えた。
④宿の有り難さ
200日間を越える長丁場のこと、当然だが、夜は休息して英気を養うと共に、時には、楽しみも必要だ。(以下は、グレートトラバース|グレートトラバース - NHKの日誌などを参照)
◇休息と充電と準備
中部地方のアルプスに登った頃は、まだ6月ということで、シーズンオフのため、無人の山小屋、避難小屋で、一夜を過ごしたことも多かったようだ。この時は、沢山背負っている、色んな食糧や飲み物や防寒具などが役に立っている。
これに比べれば、有人の宿に泊まり、食事をし、風呂も使えるなどは、天国にいるような気分だっただろうか。
具体的な地名は記憶していないが、山間の宿泊地で、次の纏まった登山行のために、レトルト食品などの沢山の食糧を買い込み、装備を整えるなどの、極めて重要な準備作業に余念がなかった様子を、何度か観ている。
◇羽黒山の宿坊
出羽三山の月山を下りて鳥海山へ向かう途中で、これも、出羽三山の一つの、杉の大木に囲まれた羽黒山に立ち寄ったが、ここは、山形出身の筆者が、何度か訪れた場所でもある。 ここでは、珍しく、修行僧等が利用する、宿坊に泊まったようだ。
この宿坊では、当然の事ながら、上図の様な、山菜などの、精進料理が出てきた。
YOKIは、ただでさえ、エネルギーが必要なレーサ-に似あわず、初めてという精進料理を、おいしそうに、ぺろりと平らげたのである。彼の飾らない人柄と、状況に柔軟に対応する姿を見た思いである。
◇わんこそば
早池峰山を終えて、盛岡に泊まり、岩手山に登る朝のこと、早い出発の予定だったのが、寝坊してしまい、10時過ぎになったようだ。
この日は、最早岩手山への登頂は無理、と諦め、何時か食べて見たいと思っていた、わんこそばに挑戦することに、切り替えたようだ。
勿論、食べる目標は、百名山に因んで100杯であるが、100杯食べると、記念の手形を貰えることも狙っていたようだ。
60杯位までは良かったが、以降は、次第に苦しくなったが、持ち前の粘りで、終に、100杯を達成! 、と思ったら、お給仕さんに、一寸した隙をつかれ、おまけの101杯目を入れられてしまったようだ! 楽しいひと時であった。
101杯の空椀の前で、手形を喜ぶYOKI
◇富良野の実家と実弟と
前述の、十勝岳へ向かう途中、足の痛みに耐えながら何とか辿りついた先の富良野には、実は、YOKIが生まれ育った実家があり、津軽海峡を渡る前に応援に来てくれた、ご両親達が待っていた!
“これ以上の物は無い”、という最高のプレゼント、何と言う、天の配材だろうか!
故郷の実家で、暫く英気を養い、体調を整えて、実弟の富夢也さんと一緒に、次の十勝岳に向かって歩き始めたのだが、何としたことか、やはり、脚の状況が悪く、実家に引き返してしまった!
休養と治療を行い、自身の身体と相談しながら、どうしようかと、あれこれ思い悩んでいる間に、2泊の予定だった実家での滞在が、1週間にもなってしまった。
日誌に拠れば、体調不良で実家で静養中だったこの期間の、忘れもしない9/27に、かの御嶽山の噴火があったようだ。 TVで知ったYOKIは、自身が、3か月程前に、この山に登って来た事と重ね合わせながら、自然の恐ろしさを思い、災難にあった多くの登山者達に思いを寄せている。
現役のスキークロカン選手である弟さんが、実家から同行し、十勝岳に向かう予定だったのだが、上記のように、予定の変更を余儀なくされてしまった。
でも、1週間ほど遅れて、再度、札幌から駆け付けてくれた弟さんとともに、その次の目標である大雪山の主峰旭岳に、登頂している。 兄弟揃って、勝手知った北海道の山を登る嬉しさは、格別なものだったろうか。