2023年2月15日(水) 江戸時代の方位と時刻 続き
先日、以下の記事を投稿したが、本稿は、その続編である。
江戸時代の方位と時刻 (2023/2/10) (O73)
今回は、江戸時代の時刻について取り上げたい。
◇当時の時刻の決め方は。「不定時法」と言われ、日の出と、日の入りが、基準になっていたようだ。当然のことながら、季節によって、日の出、日の入りの時刻が変わるため、一日の始まりも変化し。時の長さも変化した。昼夜それぞれを6等分し、一刻(いっとき)としたという。当然、季節に依って、時間の長さが、変化したようだ。
当時の時刻を示したのが下図だ。(参照; 江戸の時刻制度“不定時法”:お江戸の科学.html)
図は、昼と夜の長さが等しい、春分/秋分での図になっている。
図にあるように、昼は、明け六つに始まり、暮れ六つで終わる。
昼の始まり 明け六つ 6時
昼の終わり 暮れ六つ 18時
昼の長さ 18-6=12時間
夜についても、同様に、暮れ六つから、明け六つまでとなる。
一番外側の、巾の狭い円周は、現代の時刻を表しており、一周が24時間になっている。
それより内側の、巾のある円周に示されているのが、十二支だ。
0時の子から始まり、丑、寅、卯、辰、巳、と進み、午で半ばとなる。その後は、未、申、
酉、戌、亥になり、子に戻る。
最も内側の円周には、十二支の子、丑、寅、卯、辰、巳の6つの刻に対応して、九、八、
七、六、五、四が割り当てられ、次の午以降の未、申、酉、戌、亥の6つの刻に対しては、
再び、九、八、七、六、五、四がくる。
これは、理解しがたいことだ。1から始まって12で終わる呼び方や、123456を繰り
返すやり方もあるだろうがー――。
どうして、このような数字になったのかについて、ネットにある解説では以下の様だ。
陰陽道の思想では、九が最大の陽数で、民衆に時刻を知らせる、時の鐘を撞く数は、本来は、
99=18回、999=27回、9999回=36等とすべきだが、作業を簡略化するため、
10の位は略し、1の位だけにし、各時刻を、鐘を撞く数で、九つ、八つ、七つ、六つ、五つ、
四つと呼んだようだ。
(参照:江戸時代の、時と暦。なぜ四つから九つまでだけですか。 - 細かいよ... - Yahoo!知恵袋.html)
時刻を知らせる「時の鐘」について、松尾芭蕉が詠んだ、以下の句がある。
花の雲 鐘は上野か 浅草か
上野とは、上野寛永寺、浅草とは、浅草浅草寺のことだ。花曇りの桜の風景と、時の鐘の
音との対比が面白い。時の鐘は、寺だけでなく、地域の鐘楼などでも鳴らされたようで。
川越など、施設が現存している所もあるようだ。
◇往時の時間の表し方は、十二時辰(じゅうにじしん)と言われ、中国や日本で用いられた。
1日を、およそ2時間づつの、12の時辰に分ける時法である。日の出と日の入りで区切るため、昼夜の長さが季節によって変化した。
十二時辰は、下図の様になっている。第1欄の十二支に対応していて、第2、3欄は、中国での呼称だ。
(参照:十二時辰 - Wikipedia.html)
およそ2時間づつの一刻は、前半を初刻とし、後半をその時刻の正刻とし、この時刻に、図の最後の欄にあるように、鐘が撞かれたようだ。正刻になると、3回の捨て鐘の後、規定回数だけ鐘が鳴ったという。
◇昼夜の差が、最も大きい、夏至と冬至で時刻を比べると、下図のようだ。
図から、一刻を計算すると、以下のようになる。
夏至 昼の始まり 4時頃
昼の終わり 20時頃
昼の一刻約 2.67時間
夜の一刻約 1.33時間
昼夜を加えると、一刻が 4時間となる
冬至 昼の始まり 6時30分頃
夜の始まり 17時頃
昼の一刻約 2.17時間
夜の一刻約 1,83時間
昼夜を加えると、一刻が 4時間となる
因みに、手持ちの、高島暦で、来月の春分の日(3/21)の昼夜の長さを調べると、
日の出時刻 5:44
日の入り時刻 17:53
昼の長さは、12時間09分となる。
高島暦をよく見ると、3月17日が、日の出時刻 5:50 日の入り時刻17;50となっていて、昼の長さが、丁度、12時間となっていて、昼夜の長さが等しくなる。
9月23日の秋分の日に関しても同様になっている。
本稿は、ここで一区切りとし、次稿で、生活の中での時刻について取り上げたい。