2021年2月4日(木) あざみの歌
一昨日は節分で、夜には、恵方巻を食べ豆まきをした。通常の煎り豆を使ったが、やけに硬かった。
そして、いよいよ昨日は立春で、寒さが和らぎ、生き物達が本格的に活動を開始する節目の日である。屋上庭園の池には、一部、薄い氷が張っていたが、ペットの金魚やメダカは元気である。
◎このところ、伊藤久雄が歌った、「あざみの歌」が気になっている。
伊藤久雄と言えば、「イヨマンテの夜」が有名だが、先の朝ドラ「エール」(著名な作曲家古関裕而が主人公)の関連のTV番組で、福島三羽烏と言われた一人が、伊藤久雄だったと知ったのが切っ掛けで、良く知っている「あざみの歌」が連想されたことだ。(下図はネットより)
古関裕而 野村俊夫 伊藤久雄 (福島三羽烏)
ネットで調べたら、あざみの歌は、終戦の年の昭和20年に、作詞者の横井弘が18歳で
復員し、下諏訪の霧ケ峰八島高原で作詞したようだ。下図は、八島高原に建っている歌碑。
八島高原にある歌碑(図はネットより あざみの歌 歌碑.html)
高原に咲いていたアザミの花に、自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものと言われている。恋人は、いたのだろうか、まだいなかったのだろうか? 全体が、文語調である。
この歌が、昭和25年から、NHKのラジオ歌謡に採用され、全国に流されている。
昭和25年は、筆者が10歳で、田舎の小学生高学年の頃に当たる。
◎歌詞の1番は、素直に読める。子供にもわかりやすい。
「山には山の愁いあり」
「海には海の悲しみや」
大自然の山や海に託して、青春時代の心の動きや思いを詠んだものだろう。
かなしみやの、「や」は、「が」/「も」でもいいかも。幾つかあるという意味にとれる。さらに、俳諧的に、感嘆の「や」、ととると面白い。
「ましてこころの花園に 咲きしあざみの花ならば」
作者の心の中の花園は、最も安心できる場所なのだろう。
清らに美しく逞しく咲いている、あざみの花の姿が見える。
「まして------ならば」という、強調の仕方が素晴らしい。
歌詞の2番は、大人にも難解だ。
「高嶺の百合のそれよりも」
「それ」は何を指すのか気になるところだが、美しさ、可憐さ、などだろうか?
百合とあざみを比べて、あざみの方に魅かれる、と言っているだろうか。
「秘めたる夢をひとすじに」
秘めたる夢とは何かはよくわからないが、ひとすじに思い抱いているだろうか。
「くれない燃ゆるその姿」
あざみの花は、実際は、紅色というより、赤紫色だが、当人には、燃えるような紅に映ったのだろう。あざみの姿形や、葉の棘も、魅力かもしれない。
「あざみに深きわが想い」
思いの丈を吐露している。
歌詞の3番は、すっかりのめり込んでいる!
「いとしき花よ 汝(な)はあざみ」
「こころの花よ 汝はあざみ」
こころの花でなく、きれいな花では、ありふれた印象になる!
いとしき花、こころの花と静かに叫んでいて、あざみの花に、理想の女性が映っているのだろう。
「さだめの経(みち)は果てなくも」
あざみよ、そなたのさだめの経は、果てしなく遠いだろうか------
「さだめの」の意味がいまいちだが、我との未来を、期待をこめて言っているのだろう。
「香れよせめてわが胸に」
せめて、わが胸に香って呉れ、との叫びである。筆者には、あまり香りは感じられないのだが、詮索は野暮というものだろう。
野に咲くあざみの花に、これ程までに、思い入れのめり込んだ作詞者の心根は、何だったのだろうか。
作詞者は、内地に出征したようだが、復員して、市中の荒廃した風景に衝撃を受け、信州の八島高原に咲くあざみに、救われたのかも知れない。
この歌は、終戦後、伊藤久雄の歌唱とともに、国民に、静かに、癒しと安らぎを与えてくれたと言えよう。
この、あざみの歌と似たような状況で作られ、終戦後の日本で、国民に、鎮魂の安らぎと、荒廃から立ち直るエネルギーを与えた歌に、「長崎の鐘」(サトーハチロー作詞 古関裕而作曲)と藤山一郎の歌声がある。
当ブログでは、
長崎の鐘によせて (2020/12/17)
で取り上げている。
◎楽譜
下記の楽譜は、次のネットのサイトから引用。(あざみの歌/うたごえサークルおけら)
日本人にはなじみの深い、短調(Eマイナー)だ。和音は、EmAmB7がセットになっている。
楽譜を見るまでは、拍子は3拍子と思っていたが、8分の6拍子である。
音域が、比較的狭く、音名で、ロ~一点ハ~二点ハ~二点ホ(ハ調の音階では、ソ~ド~ド~ミ)になり、1オクターブとちょっとのため、誰にでも歌いやすい。
作曲者の八洲秀章は、同時代に、ラジオ歌謡の「さくら貝の歌」、「白い花の咲く頃」も作曲している。
歌声喫茶運動が、筆者の学生時代に盛んだったのだが、あざみの歌は、手持ちの歌声喫茶CDの、日本の歌にも入っている。改めて聴いたが、女性合唱になっている。