2020年12月17日 「長崎の鐘」に寄せて
このところ、「長崎の鐘」の歌が、耳元を離れない。古関裕而が作曲した曲自体は、歌いやすいのだが、作詞者サトーハチロウの鮮烈な表現が、なかなか出てこず、字数合わせで、他の歌詞も作ってみたりした。
昨夜も、寝ながら、何度も何度も、堂々巡りのように、歌詞を思い出していた。
こうなったきっかけは、先日、NHKの新BS日本の歌で、五木ひろしがこの曲を歌ったのが、極めて印象的だったことだ。彼の持ち歌の、千曲川、遠き昭和の・・・、も歌った。
番組の内容を確かめようと、NHK番組表で、過去に遡ってこの番組を、何度か検索したが、見つけられなかった。
一方、作曲家古関裕而を主人公にした、12月始めまでの、先の朝ドラ 「エール」があるが、ドラマの中で、ウインクしながら、山崎育三郎が、長崎の鐘を歌っている。
以下に、この歌について、触れることとしたい。
〇全体
原爆 広島と長崎の、2度の原爆で、終戦
怒りの広島、祈りの長崎と言われる。
作詞者サトウハチローの思い
戦争と原爆に対する、怒り、悲しみ、祈り、鎮魂歌
復興への希望
作曲者 古関裕而の思い
自身の戦争協力への贖罪
⇒ なぐさめ以降の後半で、短調Dmから長調Dへ転調し、希望を表現
発表時期 戦後の焼け野原からの復興を象徴(昭和24年)
デビューは、端正な、藤山一郎が歌った。
下図の楽譜は、ネットより(長崎の鐘 楽譜.png)
〇歌詞の逐条解釈
歌詞1番 自分の印象と解釈
青字は間違いやすい箇所
こよなく晴れた青空を 素晴らしい青空の風景
自分としては、こよなく を、このように使った記憶はない。
広辞苑 語意
こよなくは、形容詞こよなしの連用形(副詞)
この上なく 非常に
例示 こよなく晴れた秋の空
悲しと思うせつなさよ ”悲し友よせつなさを” のように聞いていた。
すっきり晴れた青空が、悲しくせつなく思える、という意味
ー晴れ渡る空が切ない、恨めしい、腹立たしいー
がよく理解できなかった。
うねりの波の人の世に 憂いの波の-----、のように記憶
ウネリノナミノヒトノヨニ の字数合わせから、心のきずを慰めて、のようにも。
うねりの波の人の世:戦争に対する作詞者の強烈な表現
うねりの波:大事件・大混乱の被害の表現
晴れ渡る空に、原爆のキノコ雲が浮かぶ風景が見える。
人の世:人間が生起させたもの
人事(ひとごと)、人の世の出来事
はかなく生きる野の花よ 生きるは、咲ける、と聞いていた。
野の草花は死に絶えることなく、焼け野原で、はかない小さな花を必死に咲かせている、とい
う、生きていることへの感動がある。
歌うと、強弱の関係で、字余りになることがある。
なぐさめはげまし なぐさめるように、はげますように
漢字でなく、ひらがな なのがいい。やわらかく優しい印象
長崎の鐘が鳴る 新たな復活の象徴として、教会の鐘の音が響きわたる風景が見える
なぐさめるように、はげますように、聞こえる教会の鐘の音
この鐘は、廃墟の中から、掘り出され、現在も保存されているという
ああ 長崎の鐘がなる ああの後、同じ繰り返しがあるのがいい
歌詞2番 青字は間違いやすい箇所
召されて妻は天国へ 残された夫のキリスト信者としての表現
別れてひとり旅立ちぬ 残された夫の寂しい心境
かたみに残るロザリオの ロザリオは、肌身離さず、亡くなった妻が身に着けていた
鎖に白きわが涙 首飾りの鎖に涙が落ちる風景
なぐさめはげまし長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
〇長崎の鐘等
・鐘:被爆した浦上天主堂の瓦礫の中から発見され、現存しているという。
・歌詞2番の主人公:筆者は、賀川豊彦と思っていたが、永井隆の誤り
永井 隆 長崎医大の医者
夫人は緑で、原爆で教会で被爆し死亡(贈ったロザリオを着けて)
賀川豊彦 社会活動家(1888.7.21-1960.4.23)
夫人はハル(1888.3.16-1982.5.25)
・浦上天主堂
被爆で全壊したが、昭和34年に、下図のように再建された。(カトリック浦上教会 - Wikipedia.html)
〇電子オルガン
家内の知人が、エレクトーンで、この曲を演奏し、鐘の音も入れたCDを作った。
家内のクラス会の集まりで、このCDに合わせて、恩師が、長崎の鐘を、朗々と歌ったようだ。
「余談」筆者の長崎の思い出
かなり前だが、職場の部下の結婚式の仲人役で、夫婦で長崎を訪問。(結婚式は東京)
特急寝台列車だったと思う。
市内のレストランで、皿うどんを御馳走になったことは、鮮明に覚えている!
又、
グラバー亭(長崎造船所の遠望)
眼鏡橋の印象(水災害の前)
浦上天主堂(階段を上ると白亜の教会 これは家内の証言)
も訪れていると記憶。