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天皇陵が世界遺産に   3

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  2019年9月8日(日) 天皇陵が世界遺産に その3

 

 

 この7月6日に、日本の古墳群が世界遺産に登録されたことを受けて、当ブログでは

 

      天皇陵が世界遺産に  その1  (2019/7/15)

    天皇陵が世界遺産に  その2  (2019/7/22) 

 

を投稿し、その1では、日本の世界遺産への登録状況と、世界全体でみた場合、登録国が欧州地域に偏在している、等について触れている。その2では, 今回登録された遺産の、具体的な構成資産と、古墳時代の天皇の系図と各古墳との対応等について述べている。

 

その後、暫く時間が経過したが、本稿は、これらの続編であり、前半で、世界の三大陵墓について扱っている。そして後半では、今回の最も重要な遺産である、仁徳天皇陵(大仙陵)について具体的に取り上げている。

 

  本稿をもって、一連の世界遺産シリーズを、締めくくることとしたい。

 

 

◎世界三大陵墓の比較

  世界三大□□は数多くあるが、その中に、「世界三大陵墓」というのがあるようだ(日本が言い出した?)(世界三大一覧 - Wikipedia.url。)堺市のHPに、三大陵墓の大きさ比較で、下の図と、数値が載っている。(世界三大墳墓の大きさ比較 堺市.url

 

 

陵 墓 名       高さ   全長   体積     世界遺産登録年

クフ王のピラミッド  146m 230m 260万㎥  1979  

                            ピラミッド群で登録

秦の始皇帝陵        76    350    300万㎥  1987  

                            関連施設の兵馬俑坑も

仁徳天皇陵      35.8 486  140万㎥    2019

                           赤字は三つの中での最高値

 

 いずれも、当時の支配者の絶大な権力を象徴しているが、各々についての関連情報を以

下に示す。

 

◇クフ王のピラミッド 

        所在地 エジプト カイロ市近郊(ギザ地域)

        呼称  世界三大ピラミッドの中で最大。

              建造 BC2550年頃

            近くに、カフラー王のピラミッド(クフ王よりやや低い)、

            メンカウラー王のピラミッド(さらにかなり低い)がある。

            ピラミッドの呼称は、形が似ているギリシャのパンから。 

        形状  四角錐(2等辺三角形)の真正ピラミッド

            他地域には、形状の異なる階段ピラミッド、屈折ピラミッドも

            ある。

        その他 内部・外部の学術調査を何度も実施(γ線による内部調査も)               

                                ツタンカーメン王の陵墓の発掘(黄金の、棺とマスクの発見)

            世界七不思議の中で、唯一現存

      

◇秦の始皇帝陵 所在地 中国 峡西省西安市 西安の北東30kmの驪山

        建造  BC500頃 

        構造  地下宮殿(170m x 145m)があるが、未調査。 

             

  始皇帝陵の副葬品とされる兵馬俑坑

        始皇帝陵から1.5km程東方の場所   

        1974年(45年前)住民が井戸掘りで、偶然に発見

               (文献にはあったが場所は謎だった。)       

        発掘作業  1、2、3号坑  広がり2万㎡ 

               等身大(180cm程)の武士俑8000体 陶馬600体 等 

        発掘することで、俑の彩色が退化することから発掘作業を抑制                   

                  →広大な未発掘地域があるようだ!                       

                 

◇仁徳天皇陵  所在地 日本 大阪府堺市大仙町 

        建造  AD400頃

        詳細  次項

 

                

◎ 仁徳天皇陵

◇構造

 陵墓本体の周りには、濠(ほり)と堤(つつみ)が多重に巡らされていて、陵墓本体ー内濠ー中堤ー中濠ー外堤ー外濠となっている。(濠と堤の呼称は筆者が便宜的に付与)

 その外側に、約2.8kmの周回路がある。(皇居の一周は5km弱)

 方角は、ほぼ、北向きになっていて、西側が海に面している。(下図はネットより) 

  

 この前方後円墳は、陵墓が鬱蒼とした森で覆われているが、地表面の空中調査等では、北側の円墳が頂上部(35.8m)で、そこから、南側の方墳に向けて坂状に緩やかに下がっているようだ。地表では、神事が行われたという。

 下図は、森林を除いた前方後円墳の構造を、CG画面で表したものだ。(後述のNHKサイトから引用)

  

 前方後円墳の方墳側(写真右)が正面になっていて、正面入口の奥に拝所があり、内濠越しに陵墓を拝める。円墳の中央部に陵墓の石棺があると言われる。

 

◇陵墓の周遊

 下図は、下記のサイトで見つけた、仁徳天皇陵の案内図である。

    (世界遺産に登録!堺市の仁徳天皇陵古墳を一周しよう!  大阪府  LINEトラベル

 正面の拝所は図の右側の赤紫色の●印になり、周遊路は、茶色の●●●で示されている。

    

     案内図                                  案内図の下方の「現在地」にある案内板

  ネットのこのサイトの記事では、JR阪和線の百舌鳥駅を出てから、収塚古墳(図にはない。図右上の欄外)から始まって、時計回りに周回した時の状況についての記述がある。詳細は略すが、主な経由地点は以下だ。(*は図に表示)

 →収塚(おさめづか)古墳からスタート。

 ・正面 拝所*

 ・銅亀山古墳*

 ・大阪女子大学舎跡(→ガイダンス施設建設予定地)
 ・樋(ひ)の谷*  以下の説明と写真は、ネットの記事からの引用。

 樋の谷の排水遺構 

❛さらに北へ歩を進めると、濠の水を調整して排水する施設があり「樋の谷」と呼ばれています。こ

 こは古墳造成以前から天然の開析谷があった場所で、古墳がつくられる際は、海側の低地への排水

 のための場所であったと考えられます。西側(海側)に排水するため、南北に長い古墳がつくられ

 たとする説もあり、百舌鳥古墳群形成の謎を解くための貴重な遺構です。❜

 

  ・丸保山古墳*

 ・茶山古墳(中堤に)*

 ・大安寺山古墳(中堤に)*

 ・源右衛門山古墳*

 ・塚廻(つかまわり)古墳

 →スタートの収塚古墳に戻る。 

◇謎に迫る

・5月25日(土)のNHK番組 「ブラたもり」で、世界遺産登録が確定していた仁徳天皇陵について紹介された。その中で、建造当時の、赤茶色の壮大な仁徳天皇陵が、CG画像で示され、それが大阪湾にある船の上から見えた、と報道されたことが、強く印象に残っている。上述した、陵墓の西側の海側に面している「樋の谷」を通して、大阪湾まで、濠の水の排水作業も行われたと思われる。

・世界遺産登録後の7月18日(木)に放映された、NHKクローズアップ現代+ の番組では、かなり突っ込んだ情報や幾つかの疑問点が伝えられた。被葬者は? 石棺は1個だけでなく、方墳側や坂の途中にも、2、あるいは3個目がある?、という説もあるようだ。地域住民との入会地の関係などもある。明治の初期には、陵墓内の調査が行われ、石棺の所在は確かめられたようだ。でもそれ以降、陵墓内部の調査は行われておらず、周辺の濠や堤の調査も部分的なようで、出土品も限られているため、疑問点は明確にはなっていないようだ。

  さらには、仁徳天皇の在位期間と、陵墓の建造時期とにかなりの開きがあり、被葬者が仁徳天皇という治定(宮内庁の判断)にも、疑問が残るという説すらあるという。 

最近の調査では、内濠には、長年の間に、濠の水面下に、2mものヘドロが蓄積していると言われるが、そんなに濠を深くした理由は何だろうか? 古くなるほど真実は分からなくなるが、太古のロマンとして楽しむべきかもしれない。

(以上 新発見続々!世界文化遺産 古墳ミステリー - NHK クローズアップ現代+  などより) 

 

◇今後に向けて

 クフ王のピラミッドなどには、あの高さまで巨石を積み上げるのは、現代の技術でも謎と言われるほどの凄さがある。世界の七不思議と言われる所以だ。

 又、秦の始皇帝陵墓そのものは、びっくりするほどではないが(陵墓の地下には。未調査の地下空間もあるようだが)、副葬品である兵馬俑は、数が膨大であるだけでなく、等身大で個々の表情が多様な事は、驚異的であり、未発掘地域も残っているという。

 これに対し、大仙陵は、地表面積では超巨大だが、信じられないような事項は見つかってはいない。

 上述のように、多くの疑問がある中、陵墓の今後の発掘への期待は大きい訳だが、令和の現在まで、連綿と続いてきた天皇家の墓地だけに、学術調査であっても、発掘は憚られ、難しいのではないか。

イコモスの評価(2018/5)では、古墳時代の埋葬の伝統と社会政治構造を明らかにし、日本の支配体制の成立過程を示すものとして、顕著な普遍的価値があるとされたようだ。古墳時代から飛鳥時代にかけて、大和朝廷の権威が確立していく事となる。 

  上記のような、被葬者が誰か、何人か、などで、今後、結果が変わったとしても、世界遺産としての価値は変わらないだろうと思われる。

むしろ、イコモスが懸念しているように、長年守ってきた折角の文化遺産が、観光事業圧力や、都市の開発圧力、自然災害等で、これ以上消失することがないように、維持保全していくことが強く求められている。

 

「余談」 仁徳天皇陵の思い出

 かなり前のことになるが、筆者が、NTTの現役の頃だが、実家が堺市という職場の同僚がいて、一緒に大阪へ出張した時に、仁徳天皇陵を案内してもらったことがある。殆ど記憶はないのだが、拝所に行き、しばらく周遊路を歩いたろうか。

 その日の夜は、彼の家に泊めてもらったのだが、夜中に珍しい騒動が起こったのである! 深夜、玄関のドア付近でごそごそ物音がして、家族が目を覚ましたようだ。鍵穴にいくつかの傷跡があったものの、幸いにも、ドアは開けられずに済んだのだが、翌朝、肝を冷やしたこの話で、もちきりとなったことだ。

残念ながら、最近は、彼との音信はないが、忘れられない思い出ではある。

 

 

 

 

 

 

 


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