2017年1月10日(火) アメリカ合衆国 6
アメリカ大統領選挙に関連して、これまで、当ブログに、合衆国シリーズとして
アメリカ合衆国 1 (2016/11/29)
アメリカ合衆国 2 真珠湾(2016/12/12)
アメリカ合衆国 3 (2016/12/22)
アメリカ合衆国 4 (2016/12/29)
アメリカ合衆国 5 (2017/ 1/ 5)
を投稿してきた。
本稿は、これらの続編で、アメリカ国内で戦われた内戦である、南北戦争について取り上げている。
アメリカの南北戦争(American Civil War)に関しては膨大な情報があるが、その中から、関心の赴くままに、自分なりに把握できた事項を中心に、纏めてみた。
歴史的な事項に関しては、今回で一区切りとしたい。
◇三角貿易と奴隷の売買
南北戦争については、合衆国の北部と南部間での、奴隷制をめぐる対立が主な原因とされるが、背景として、産業構造など地域的性格の違い、連邦制に対する考えの相違などがあると言われる。
欧州強国が、カリブ海沿岸を含むアメリカ大陸へ進出・入植するのは、16世紀頃からだが、砂糖、タバコ、綿花などの、プランテーション(大規模農業)がすすめられ、これらの生産物が、欧州に運ばれ、イギリス等での経済活動の活性化や社会の発展につながり、欧州に富が蓄積され、それが、産業革命の基ともなったようだ。
広大な農地を使った、プランテーションでは、その労働力として、アフリカ大陸から、累計1500万人ともいわれる大量の黒人労働者が、奴隷商品として輸出・輸入されるシステムが出来上がっていて、まさに、人身売買が、公然と行われた。
奴隷(slave)は、人類の歴史上、古代から存在したようで、征服者が、被征服者を奴隷とするのが通例で、個別的で、ローカルなものが多かったようだ。
これに対し、北米大陸を中心に行われた組織的な奴隷の貿易と、自由の無い強制的な使役のシステムである奴隷制(slavery)は、類例が無いという。
これ等の物と人とのやり取りの構図は、下図のように、大西洋三角貿易と呼ばれている。
三角貿易で、ヨーロッパはどんどん富み、北米の奴隷労働者は強制的に働かされ、奴隷の供給元のアフリカは、少しも、豊かにはならず、列強の植民地として長い間支配された。
◇ 合衆国内での奴隷制度をめぐる扱い
このような状況の中で、前稿のその4にあるように、宗主国イギリスと、アメリカ植民地連合との間で、独立戦争がおこり、最終的に、1783年のパリ条約で、13州からなる、アメリカ合衆国が成立している訳だ。
独立後は、政治体制などの多くの重要事項が決められたが、その中の一つに、奴隷制(slavery)の扱いがある。
植民地時代は、奴隷制は当たり前だったようだが、次第に、奴隷制を悪とする意見も出てきて、独立当初は、奴隷制を容認するか廃止するかは、各州の判断に委ねられ、以下のようになっている。
・奴隷制を廃止した州 自由州(free state) 7
マサチューセッツ ニューハンプシャー ニューヨーク
ペンシルヴェニア コネティカット ロードアイランド ニュージャージー
(合衆国発足時に制度を廃止した州が多い)
・合衆国発足後も奴隷制を維持した州 奴隷州(slave state) 6
メリーランド ヴァージニア デラウエア ノースカロライナ
サウスカロライナ ジョージア
(最後の2州は、奴隷制を維持することを条件に合衆国に加盟)
独立後は、イギリスから割譲したミシシッピ川以東地域や、フランスから購入したミシシッピ川以西のルイジアナ地域等へ、領土が拡大し、開発がすすめられた。
ここで、領土を、準州から州へと昇格させていく過程で、合衆国に新たに加わる州の奴隷制度を、どうするかが、大きな問題となったようで、詳細は略すが、13州の後に、1819年までに合衆国に加盟した各州の内訳は、結局、以下のようだ。
自由州 4 ヴァーモント(1791) オハイオ(1803) インディアナ(1816) イリノイ(1818)
奴隷州 5 ケンタッキー(1792) テネシー(1796) ルイジアナ(1812)
ミシシッピー(1817) アラバマ(1819)
この数字を、当初の13州の数字に加えると
自由州 7+4=11
奴隷州 6+5=11
と同数となり均衡している!
◇ミズーリ準州の昇格とその後
ミズーリ準州を、州に昇格させる事案が出された連邦議会では、奴隷州とすることを要求する奴隷州支持勢力と、バランスが崩れることを恐れてそれに反対する自由州支持勢力間の争いとなったようだ。
ここで、ミズーリ州を奴隷州として認める一方で、マサチューセッツ州を分割して、自由州のメイン州を新たに作り、両勢力を、同数の12とするという、苦肉の妥協が成立したようだ(1820年 ミズーリ協定(ミズーリ妥協とも))。
この際、その後の州昇格では、緯度(北緯36度30分)の以北では、奴隷州を禁止するということも決めたようだ。
その後、奴隷制の衰退をおそれた勢力(後の民主党)が、1854年に、カンザス・ネブラスカ法を成立(ミズーリ協定は破棄)させ、どちらの制度を取るかは、連邦議会ではなく、州の住民が決定できるとした。
一方、奴隷州勢力に対抗して、自由州勢力では、共和党が結成されている。
メキシコに、カリフォルニアを割譲させるなど、領土の拡大は続く一方、中部、西部、南部での州への昇格が続く中で、自由州が増え、対立は激しくなっていった。
1852年、ストウ夫人の著作、アンクル・トムの小屋(Unkle Tom’s Cabin 舞台はケンタッキー州)で、奴隷労働者達の、悲惨な実態が紹介されるなどして、奴隷制は害悪で廃止すべきだ、という世論が高まったようだ。
◇ 南北戦争
*南北戦争が勃発する1861年までの、奴隷制に関する各州の状況は以下である。
自由州 12+6
ミシガン(1837) アイオワ(1846) ウイスコンシン(1848)
カリフォルニア(1850) ミネソタ(1858) オレゴン(1859)
奴隷州 12+3
アカンサス(1836) フロリダ(1845) テキサス(1845)
*南北戦争の時期での各州の動きは、複雑でよくわからないが、おおよそ、以下である。
北軍側
以下の19州
メイン ニューハンプシャー ヴァーモント マサチューセッツ
ロードアイランド コネティカット ニューヨーク
ニュージャージー ペンシルヴェニア
オハイオ ミシガン インディアナ イリノイ ウイスコンシン
アイオワ ミネソタ カンザス オレゴン カリフォルニア
内戦中に、昇格して自由州になった州
1963 ウエストバージニア CSAのバージニアから分離離脱
1964 ネバダ州
南軍側
以下の11州
サウスカロライナ ミシシッピー フロリダ アラバマ ジョージア
ルイジアナ テキサス ヴァージニア ノースカロライナ テネシー
アカンサス
以下の4州は、奴隷州だが、北部との結びつきから中立策をとった。
デラウエア メリーランド ケンタッキー ミズーリ
*1860年の大統領選挙で、共和党のリンカーンが当選し、翌1861年に、リンカーンが大統領に就任すると、対抗する南部諸州は、アメリカ連合国(CSA Confederate States of America)を成立させ(首都 リッチモンド(VA))、対立が決定的となり、内戦が始まった。
南北戦争開始当時(1861年)の、アメリカ各州の状況は下図である。
図の凡例は:
グリーンの州 Confederacy:CSA(南軍側)
薄ピンクの州 States:合衆国(北軍側)
赤紫の州は Disputed areas 紛争地域
(ケンタッキー ミズーリ インディアン地域)
である。(図は アメリカ合衆国領土の変遷 - Wikipediaより)
戦闘の実際については省略するが、1965年、ゲティスバーグ(PE)の戦いで北軍が大勝し、CSAの首都リッチモンドが陥落して、4年に及ぶ内戦は終了した。
ゲティスバーグの戦場跡でリンカーン大統領が行った演説は、あまりにも有名である。
なお、 カンザスは、1861年に州に昇格し、北軍に入ったが、ネブラスカが昇格したのは、戦争後の、1867年である。
◇ 再統一された合衆国
南北戦争が終了し、破れた南軍のCSAが解体し、この11州や中立州などが、北軍の勝利で存続した合衆国に戻った。この結果、下図のように、36州からなる国家としての統一が保たれ、その後、アメリカでの産業革命が、大きく進展することとなった。
この過程で、南部諸州で解放される黒人労働者(アフリカ系アメリカ人)たちの、政治的、経済的、社会的なシステムでの、恒久的な平等の実現には失敗したようだ。(レコンストラクション - Wikipedia )
黒人問題は、その後のアメリカ社会に、大きな影を落としていて、現代まで続いている。