2015年3月10日(火) 花子とアン
NHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』が、昨年の3月末から9月末までの半年間、放映され、時間に余裕のある我が家では、毎朝の日課として、ほぼ、欠かさず視聴した。
ここ10年間のNHKの数多くの朝ドラの中で、最高の視聴率になったと言われる。
(NHKサイトより)
このドラマは、カナダの女流作家 L.M.モンゴメリの小説等の、英文学の翻訳家として知られる、村岡花子氏(明治26~昭和43)の、明治から昭和にかけての半生をテーマにしたものである。
印象的だったこのドラマが終了して、まだ余韻が残る昨年10月半ばに、新幹線で山形に出かける用事があり、旅のつれづれに読もうと、上野駅構内の書店で、ドラマに関係する原作である『赤毛のアン』の文庫本(村岡花子訳 赤毛のアン・シリーズ1 新潮社)を手に入れたことである。このようにして本を買ったのは、何年振りになるだろうか。
往路と復路の各3時間程の新幹線の車中で、かなり集中して読んだことで、半分近くまで進んだだろうか。 帰京後も、近くに出かけた時の、電車やバスの車中で、機会を見ては、少しづつ読んだ。
でもその後は、年賀状の準備等の恒例の年末年始の取り込み事や、プリンタやコーヒーメーカーのトラブル等もあって、読書は途中までになってしまっていた。
そして、新年も疾うに過ぎた、先月後半になって、思い返したように再び読み進み、ついこの間の3月2日になって、漸くにして、読了したところである。 全体で、530ページ程だが、読み終えるまでに、4か月半も掛かった事となり、朝ドラが始まってから数えると、凡そ1年弱の、長丁場のお付き合いであった。
記憶が薄れてしまった所などは端折りながら、テレビドラマ「花子とアン」と、小説「赤毛のアン」に関わる、筆者の印象に残った幾つかの話題を取り上げて見たい。
テレビドラマは、孫娘の村岡恵理著「アンのゆりかご」-村岡花子の生涯―(新潮文庫)が基になっているという。
今回は、ドラマ「花子とアン」の話題である。
引き続いて、次稿以降では、小説「赤毛のアン」、舞台となったカナダのプリンスエドワード島、作家モンゴメリ、ドラマで活躍した女優たち、などについて触れる予定である。
このドラマの前半は、主人公の青春時代で、山梨の農家と、東京のミッションスクールが舞台である。
主人公が生まれ育った山梨の農村風景は、往時の我が国の姿を彷彿とさせるもので、貧しさの中での、温かだが耳の早い人間関係などが巧みに描かれていて、幼い頃の我が人生とも重なった。
“コピットがんばれ”といった甲州弁がよく出てきた。 相手に言う時に使うようで、コピットとは、“チョッピリ”の意味と思ったが、“シッカリ”に近い、面白い表現のようだ。現在も使われているのだろうか。
一方、東京で始まった女学校生活は、主人公にとっては異次元の別世界で、そのような環境にありながらも、精一杯生きようとする、“安東 はな”の逞しさが印象的である。
学校生活では、数多くのトラブルや事件を引き起こすが、中でも傑作なのは、
・ラブレター事件
校長先生に英文の手紙を書く宿題。はな が、スコット先生の部屋の掃除の時に、先生が恋人宛てに書き損じ、ゴミ箱に捨てたラブレタ ーを見つけ、そっくり写して提出した。 はな が、流暢な英文を書けるはずも無く、すぐに、ばれてしまった。
・ワイン酩酊事件
友人の蓮子に勧められて、薬と思って飲んだ初めてのワインに酔っ払ってしまい、夜中に中庭に出て大声を出した事件。 蓮子が、校 長に対して、ワインを持ち込んだ事も、飲ませたことも、自分の責任だと、率直に言ってくれたことが、2人の間の信頼の絆を確かなものにしている。
だろうか。
トラブルを引き起こした事に対するお仕置きとして、呼び出されて、ブラックバーン校長から、建物内の掃除を言い付けられたり、
“Go to bed!” (部屋で謹慎せよ)
“Go to home!” (自宅で謹慎せよ)
などと、大声で命じられたりした。
でも、厳しい中にも、温かさがある校風だったろうか。
はな は、最初はトンンチンカンだった英語に興味を覚え、猛勉強して、メキメキ、力をつけ、学校内で、頭角を現わしていったのは見事であり、学園祭でやる演劇「ロミオとジュリエット」の脚本担当となっている。上記のラブレター事件が、努力する切っ掛けになったかもしれない。
場面は覚えていないが、ある時、英文で解らない単語に出あい、駆け足で部屋に戻って辞書を引き、
palpitation (ときめき 動悸)
の意味と解って喜ぶ風景が思い出される。この単語は、筆者も知らなかった。
又、主人公の名前のことだが、正式には、勿論、“安東 はな”である。
でも、ドラマの中では、前出画像のTVのタイトルにもあるように、何度も、何度も
“はな(花)でなく はなこ(花子) と呼んでくりょう!”
と言っている。
往時の日本では、女性は、うめ、はな、やす 等、仮名2文字の名が多かったのだが、ドラマの主人公の、名前に対する強烈なこだわりは、村岡花子氏が実際はどうだったかは別として、何故なのだろうか、と、不思議にも思った。
でも、後日、原本の小説を読んで謎が解けた感じだ。赤毛のアンの主人公は、自分の名前は、ANNではなく、ANNEと、語尾にEが入ると、何度も言っているのだ。語尾のEの有無で、発音がどの様に違うのかは、筆者には全く分らないがーーーー。
原作のトピックスを、ドラマにも取り入れたのかも知れない。
良家の出で、異人種の様に行動し、歌人でもあり、歳も離れた女学生である葉山蓮子は、当初は反発もあったが、最後には、はなの生涯の友となる。
ドラマでは、“腹心の友”という表現が何度も出て来る。日本語では、“親友”以上の最も深い関係と言えるだろうか。
この表現は、原作の赤毛のアンでも、アンの女友達、ダイアナのことを、こう言っているが、原文では、“bosom friend”となっているのだろうか。
カナダへ帰国することとなった、あのラブレター事件のスコット先生から、プレゼントされた原本が、カナダの作家モンゴメリの
“Anne of Green Gables”
で、この原本が、村岡花子のその後を支え、この本を翻訳して、日本語版で出版することが、目標となったと言えるだろう。
戦火の中でも、大事に守って来た翻訳原稿だが、戦後になって、出版を引き受けてくれる所が無く、あちこち掛け合った末に、ある出版社で、漸く日の目を見る目途がついた。
出版に当たって、本のタイトルをどうするかが議論され、原題に沿って
「緑の切妻屋根のアン」
などとする案ではなく(日本語の“切妻屋根”は、固い表現)、主人公のアンが、自分の髪の色が赤いことを大変気にしたことから、
「赤毛のアン」
と、短く、言いやすくしたのは良かったようだ。 色が、緑から赤になったのは面白い。
このようにして、出版した結果は、終戦後の荒廃した状況下での希望ともなって、大変な人気を博すこととなった。
(NHKサイトより)
ドラマの最終回は、“曲がり角の先に”、で、終わるのだが、原作でも、最終章は、
第三十八章 道の曲がり角
となっている。
ドラマの中の村岡花子と、小説の中のアンという、二人の主人公にとって、曲がり角の先がどうなるのか、不安はあるものの、今後の人生が、期待と希望に溢れたものとなるだろう、という予感があり、自身と未来を信じて生きて行こう、としているのである。