+2023年2月10日(金) 江戸時代の方位と時刻
先日の節分の時に、この所よく目にするようになった、恵方巻を食べた。
今年の恵方は、南南東とあり、手持ちの、神宮館発行の高島暦を見たら、南を上にした、八角形の方位盤に、恵方が示されている。
このような暦は、近年は縁が遠くなったが、ひと昔前までは、可なり利用されていたように思われる。
これまで、往時の方位と時刻について知りたいと思って来たが、いい機会なので、調べてみることとした。
〇江戸時代は、方位について、十二支の子と北を対応させることから始まって、基本となる東西南北を、十二支と、以下のように対応させたようだ。
北 子
東 卯
南 午
西 酉
方位を、十二支の12に分けるのは、やや、憶え難いので、基本の4方位に、その中間の4方位を加えた、全体で8つの方位を考えた様だ。
中間の方位は以下である。それぞれの方位に、固有の難解な文字を配し、( )に示す、呼び方をしたようだ。
北東 艮(うしとら)
南東 巽(たつみ)
南西 坤(ひつじさる)
北西 乾(いぬい)
下図は、以上の8方位を示している。
〇現代では、このような8方位は、殆ど使われず、皇居関連で、建造物の名称に残されている。
巽櫓:江戸城の巽の方向にある櫓(やぐら)で、風格があり、濠の外側からよく見える。
下図のように、近代的なビルとの対比が面白い。
乾門;江戸城の北西、乾の方位にある門。新年の一般参賀や、桜の開花時などに、使用される。
ふと、小倉百人一首にある、以下の歌が思い浮かんだ。掛詞があり、難解だが、京都の巽の方角の庵に住んでいたようだ。
わが庵は、都の巽しかぞすむ、世をうぢ山と、人はいふなり。 (喜撰法師)
言うまでもないが、地球の北と南を結んでいる仮想の線は、子午線(しごせん)と呼んでいる。
現代は、8方位を細分化した、下図のような16方位が、般的に使われている。
8方位を細分した時の呼称は、例えば、北東では、北寄りを北北東、東寄りを東北東と呼ぶ。
このようにして、南東、南西、北西についても、細分した、方位の呼称が決まる。
気象情報での、風向きの方向などで、よく出てくる。
〇今回、方位について、角度の面から調べてみることとした。
8方位では、各方位は、一周360度を8等分するので、45度づつで、次の方位になる。
そして、16方位では、一周360度を16等分するので、22.5度づつで、次の方位になる。
一方、十二支に対応させた方位は、一周360度を12等分するので、30度づつで、次の方位になる。
この、22.5度と30度の違いに、改めて気づいたことだ。
本稿は、ここで一区切りとし、次稿で、江戸時代の時刻について取り上げることとしたい。