2013年7月20日(土) 日本スペイン交流400周年 6
江戸初期に、スペインとローマに慶長遣欧使節が派遣されて、今年が、丁度400年の記念の年に当たると言うことで、当ブログでは、下記記事
日本スペイン交流400周年 1 (2013/6/26)
以降、2、3、4、5 と続けて投稿して来た。
これらの中で、慶長遣欧使節に関連する話題、スペインの大まかな歴史、スペインの現状についての概況と文化的側面、多言語国家と国際公用語、ユニークな世界遺産巡り、について取り上げている。
これまで、スペインには、2度訪れているが、本稿では、スペイン旅行の思い出に関する話題の、前半部分を纏めてみた。
現役時代、スイスのジュネーブでの2週間〜3週間程の国際会議や、ロンドン、ミュンヘンでの短い会議等に、何度か出席しているが、その会議の前後に、見聞を広めるためと称して、ヨーロッパ各地に足を伸ばすのが通例で、結構、各地を廻っている。
日本から直行便が出ている、ロンドン、パリ、フランクフルト、ローマ、アムステルダム等の空港を往路、復路として選びながら、これと、行きたい所を上手く組み合わせることで、料金が変わらない通しの航空券の範囲内で、ヨーロッパ各地を廻われたのである。
スペイン行きの一回目は、手許には正確な記録はないが、ある時、思い立って、国際会議終了後、一人で、初めてスペインを訪れてみようと言うことになった。だが、スペインは、当時では、上述の通しのルートが取れず、付加料金(数万円?)を払ってチケットを作って貰うこととなった。
もう一回は、某企業主催の見学ツアーに参加し、欧米各地を廻る一環として、スペインに行っている。
現在の情報も参考にしながら、おぼろげな記憶を手繰り寄せて、今でも印象に残っている旅の思い出について、いくつか記してみたい。
●初めてのマドリードのタクシー
スペイン行きの飛行機には、ジュネーブ空港から乗ったのだが、当時のイベリア航空のルーズさには、いささか往生した。予定の便が出る時間になっても、何の変更の案内も表示も無いのである。乗客の皆さんが慌てていないところをみると、慣れっこになっているのだろうか。これがスペイン流か、と、こちらも、ゆっくり構えることとした。
予定の時間よりかなり遅れて、飛行機は出発したのだが、スペインのマドリードのバラハス空港に着いて、入国し、現地通貨に交換して、外に出た。タクシー乗り場を探したが、見つからず、手荷物を抱えて暫くうろうろした。どうやら、出口を間違えてしまったようなのだ。
すると、タクシー風の運転手が近寄って来て、何だか声を出した。飛行機内で、予め読んでいたスペインのガイドブックには、{白タクが多いので要注意}とあったので、いよいよ来たな、とやや緊張した。
タクシー乗り場は? と聞いたら、件のおっさん、何やら喋ったのだが、現地語で、俺の車に乗れ、と言ったのかも知れない。
でも、それを聞き流しながら、タクシー乗り場や他のタクシーを探したのだが、やはり見つからない。なすすべも無く、やや不安ではあったが、ままよ、と、そのおっさんに乗せてもらうことに腹を決め、市内のホテル名を告げたら、勿論、直ぐ了解。
この運転手、英語は十分に通じ、実直そうな人柄だったことから、途中、次第に打ち解け、ホテルに着くまでの間、色々と話が弾んだ。 そして何と、ホテルにチェックイン後に、その足で、マドリード市内をサッと廻って貰う約束をしたのである。
ホテルに着いて、ホテルの人に、待たせてあるタクシー(?)で直ぐに出かける、と言ったら、びっくりされた。チェックインをして部屋を確認後、程なく、玄関前で待っていてくれた、あの車に乗って、午後から夕方にかけての、マドリード市内見物が始まったのである。
何処をどのように廻ってくれたかは、定かな記憶は無いのだが、“ここでしか食べられない物を食わせてくれる所に行きたい”、とリクエストしたら、屋台風の店が並ぶ混み合った場所に案内された。 そこで、料理を食べながら、話を交わし、初めてのスペインでの時間を過ごしたのである。(以下の画像は、現在のネット情報より入手)
イカを輪切りにして揚げた、てんぷら風のものが皿に盛って出て来たが、カラマレ と教えてくれた。わざわざ、calamares とメモを作ってもらったと記憶している。帰国後に調べてわかったのだが、カラマレ とは、スペイン語で、イカを指す様だ。
カラマレ
又、米と魚介類を炒め煮したような料理は、こちらは、パエリア と教えてくれた。 下の写真の様な、大きな平鍋から、小分けして貰った様に思う。パエリア とは、底の浅い鍋の意のようだ。
パエリアには欠かせない、楕円形をした、黒いムール貝の姿形と風味は捨てがたい。
パエリア(左全体 右小分け)
パエリア料理や、カラマレ等の他、美味しいタコ料理もある。このように、魚介類をふんだんに使い、米も使う、スペインの食文化には、日本と共通するものがあり、単純に、気に入ってしまった。
料理の代金は、当然、こちらで持ったが、大した金額ではなかった。連れて行った貰った場所は、運転手自身もよく行く、一般庶民の溜り場のような所だったのだろうか。
その後、王宮等の市内を廻ってくれたが、途中で、滞在中に行く予定の、プラド美術館の場所なども教えて貰って、都合2時間程で、マドリード市内を、そそくさと廻って貰ったのである。
請求されたタクシーの代金は、戻った時に、ホテルの人も、気にしていたと見えて、聞かれたことだが、かなり良心的なものだったようだ。
日本に帰国後、パエリア等のスペイン料理は、すっかりファンになって、何度も食べている。
日本の飲み屋等で、イカのリング揚げのカラマレが出てくると、筆者は、誇らしげに案内してくれた、実直で親切な、あの白タクの運転手の事を思い出すのである。
● プラド美術館
マドリードには、パリのルーブル美術館や、ニューヨークのメトロポリタン美術館などと並び称される、世界有数の プラド美術館 があると言うことで、ひと時、じっくり、見物した。
ベラスケスの絵、グレコの絵、やその他の絵等、沢山あったのだが、残念ながら、余り印象には残っていない。
・興味をそそられたものの一つが、超有名なゴヤの絵で、裸のマヤと、着衣のマヤである。
通常の人間なら誰しも、裸婦像を見ると、実物は勿論、写真や絵であっても、不思議な興奮を覚えるものだ。その様な心の動きだろうか、この絵を見た時、他の絵とは異なる、新鮮な驚きがあった。(画像は、ネット画像より)
裸のマヤ 着衣のマヤ
スペイン生まれの画家ゴヤは、ベラスケスと共に、代表的な宮廷画家でもあったようで、「カルロス4世とその家族」など、多くの肖像画なども残しているようだ。
中世の絵では、宗教画以外では、裸は皆無に近いのだが、1800年代初期のゴヤの時代は、裸の絵は、社会的に許されていたのか、いなかったのかははっきりしないが、まだまだ、現代ほどではなかっただろう。
ネット情報では、最初に描かれたのが裸の絵の方で、時間をおいて、着衣の絵を書いたようだ。裸のマヤは、洋画で局部の陰毛を描いた最初の絵と言われている。(裸のマハ - Wikipedia)
ゴヤは、裸のマヤを発表後、宗教上の異端審問所等に呼ばれて、色々、追及されたりしたようだ。 絵を依頼したのは誰か、描かれている婦人は誰か、等色んな説や憶測があるようだが、宗教的なものではない事は確かなようだ。
同じ構図で二通りの絵を描いた作者は、一体、何を表現しようとしたのだろうか。
中世の絵を見慣れていると、この裸婦像は、やや大げさな言い方になるが、自然にありのままを描くことへの欲求や、宗教的・道徳的制約に対する抵抗の現れのようで、人間解放の戦いの大きな流れがあるように感じたことである。
・1500年代中頃に描かれたという、ティツィアーニ(イタリア人画家)の「ダナエ」は、ギリシャ神話が題材の裸婦像だ。
現地で、下図左のこの絵を見た時、画中右側にいる人物が気になり、厭らしい男に見えて、描かなければいいのに、などと思った。最近調べた所では、実は、この人物は男ではなく、どうやら、老侍女という。それも、右図のように、最初はエロスが描かれた平和な絵だったが、後になって、この侍女に変えられ、足元の布も無くなって迫力を増したものが、プラド美術館にある絵だと言う。
当時は、神話のダナエは、堕落の象徴で、女性美や道徳を汚す存在とされたと言う。(ダナエ (ティツィアーノの絵画) - Wikipedia)
人間解放という点から見て、ティツィアーニは、そのような時代の雰囲気に迫りたかったように思える。
ダナエ(侍女) ダナエ(エロス)
・ボッシュ(ボス)(フランドル(現オランダ)画家)の「快楽の園」という大きな絵は、1400年代末頃に描かれたと言われるが、現物を見た時、異様な雰囲気を感じた。
屏風絵風になっていて、左が天国(エデンの園)、中央が現世(快楽の園)、右が地獄、を対比している絵のようだ。平穏な天国はいいのだが、現世や地獄には、気持ち悪く目をそらしたくなるような、でも、気になって見たくなるような、不思議な魅力もある。 よく見ると、空想の世界に、不思議な生き物や、見たことも無い道具などが描かれている。(ネット画像より借用)
博物館内の土産物店で、複製画を売っていたので、印象に残った、ゴヤ、ティツィアーニ、ボッシュの絵を数枚手に入れた。複製画は、折ったり潰したりしないように、帰国するまで、持ち帰るのに結構苦労した。これらの、その後の経過は以下の通り。
・ゴヤの2種の複製画は、人気が高く、そのままで、知人にお土産に上げる羽目になった。
・ボッシュの複製画は、額縁に入れたら結構大きなものとなり、家の中で、もてあまし気味だった。ある時、職場に持ち出して暫く飾って置い たのだが、転勤時に、そのまま、寄贈している。
・ティツィアーニの複製画は、額に入れて、今も、自宅のピアノの上に飾ってある。
ピアノの上の「ダナエ」
いずれも、複製画本体は、大して高価なものではなく、額縁の方が、余程高くついている。
続く、スペイン旅行のトレド見物等の後半部分については、長くなるので、次稿に廻すこととしたい。